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2008.05.27 07:11 |  その他(一般)  |  その他(医療関連)  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 1

自由と平等 

 民主的な社会の構成要素は「自由で平等な個人」のようです。

 しかし、自由と平等は実は両立しません。完全に自由な個人だけなら能力・出自・体格差・性差などによってそこには必ず不平等が出現します。逆に完全な平等を実現しようとしたら自由は必ず制限されます。


 障害者や社会的弱者に対する福祉は、そういった本来は存在しない共同幻想である「自由と平等」を幻想のまま維持するための、社会的なコストかもしれません。障害者・老人・幼児・低所得者層などは、この社会の中で個人が自由でも平等でもないことをあからさまに表現する存在なのですから。


※「機会の平等」という聞こえの良いことばがあります。しかし、たとえば知的障害と身体障害が合併している人がさらにたとえば脳卒中を起こして全失語となったとして、その状態で、どんな「平等な機会」が与えられるのか、どなたか具体的に教えてください。というか、機会を“与える"と言った瞬間、それは「与える側」と「与えられる側」の間の不平等が出現していませんか?

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