今でも使う言葉ではありますが、もともとは本当に「小さなカメラ」を飲んでいたのは皆さんごぞんじでしょうか。『ガン回廊の朝』(柳田邦男)にそのへんの開発過程が詳しく書いてありましたが……遠隔操作でシャッターを切るために三味線の糸を使ったとか、胃壁からの距離を確保するためにコンドームを使っていたと私の記憶は主張しています。なにせン十年前に読んだ記憶なので、自信たっぷりには書けませんが。
やがて光ファイバーを使った内視鏡が登場し「これは厳密には“カメラ”ではない」ということになりました。ですから当時うっかり「胃カメラを飲む」なんて言うと、日本語に厳しい人からは「カメラじゃなくてファイバー(あるいは内視鏡)」とツッコミが入ることがありましたっけ(経験者は語る)。
ところが私が胃の検査から離れるようになった時期にこんどはCCDを使った内視鏡が登場。小さなデジタルカメラが先にくっついたような構造の内視鏡ですから、つまりはまた「カメラ」……「カメラを飲む」がまた“正しい”日本語になったわけです。
文明が進歩すると、かえって元に戻ったようになることがあるのだなあ、と私は一人で面白がっています。ただしこれは、元の場所に戻っているわけではありませんから、円環構造ではなくてらせん構造(上から見たら戻っているようだが、横から見たら進歩している)、と言った方が良いのかもしれませんけれど。
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