私の行きつけの(「バターの品不足」で触れた)パン屋さんでは、決まった曜日の決まった時間帯に行くせいか、大体同じおばさんと同じバイトの女子大生の組み合わせがレジに立っています。で、パンをトレイに乗せてレジに置くと、おばさんが「280円サンドイッチ、120円ドーナッツ……」とトレイの中身を歌うように読み上げてそれをバイトの子がさらさらとレジに打ち込むという手順です。
ところが先日は読み上げが終わって袋詰めが始まろうとした瞬間、女の子からストップがかかりました。トレイを指さして「これ、まだ打ってません」。見ると数日前から並ぶようになった新製品です。おばさんが唱えます「はい、これは130円」。ぱちぱち(レジを打つ音)「はい、1135円です」
コインを数えながら私は「ほー」と感心しました。ダブルチェックが生きて機能している例を実見できたからです。
私の職場、病院ではさかんに「ダブルチェック」が行われます。たとえば私が処方箋を書くと、まずその内容を看護師がチェックして薬局に送ります。薬局では調剤が行われると薬剤師が二人で内容をチェックします。薬の現物が病棟に上げられるとそこでまた看護師が処方箋と内容のチェックをします。ダブルどころか何重にも厳重なチェックです。ところがそれでもミスが発生します。
このパン屋では、レジ打ち係が、読み上げられる声を聞きながら自分の目でもトレイの上を確認し続けて、耳からと目からの情報が合致したものを、レジで打つ、という手順を取っていたのでしょう。これも立派なダブルチェックです。さらに、レジに打ち落とした商品について「あんた、ちゃんと読み上げた?」とか「すみませんすみません、打ち間違えました」とかの感情を使わずにさらりと事務処理が行われています。この“職場の雰囲気”は大したものです。どんなに厳密に手続きをマニュアルなどで定めても、それを運用するのは人ですから、職場の雰囲気がぎすぎすしていたら必ずミスは増加します(これは断言します。書類しか見つめない官僚にはこの辺の機微はわからないでしょうけれど)。「ゆとり教育」とはまた違う意味での「ゆとり」が「現場」には必要なのです。(余談ですが、ゆとり教育も「教師たちにもっとゆとりを」だったらもっともっと違った良い結果が出たんじゃないか、と私は想像しています。実際には見事にその逆方向ですが)
蛇足です。
世の中にはいろんな人がいます。その中で、「厳密に規定やマニュアルを作ればミスは減る」と主張する人は、「人間(の限界)」がわかっていません。そういった人にはためしに百科辞典くらいある“厳密なマニュアル”を作ってあげましょう。で、その人がそれを全部暗記して100%一文字も間違いなく遵守できるかできないか、賭けてみます? それも数年間改訂を繰り返し続けて、ですよ。(あ、もっと簡単な例を思いつきました。「注意深く筆写せよ」と一行のマニュアルを作って、電話帳を渡してそれを丸ごと筆写してもらうの。一文字の間違いもなく写せるかな? ミスがあったらマニュアルが悪いのかな?)
「ケアレスミスをする奴は注意が足りないだけだ。自分は注意深いからミスをしない」と公言する人は、人類としては希有な例外的に優秀で神に近い存在/自分を過大評価している/自分に関する現実から目をそらしている(心理学用語を使うなら「否認」)/ただの嘘吐き、のどれかです。人の本質に対する洞察ができるか、あるいは人の集団に対する観察をちゃんとしていたら、「To Err is Human(人はミスをするもの)」がわかるはず。
おっと、「自分はミスをするがそれは許されるべきである。他人はミスをしてはならないし、したら罰せられるべきだ」はただの唾棄すべきダブルスタンダード野郎です。
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しかしそれでも不幸な結果になってしまった患者家族は警察に刑事事件として訴えます。
よくアメリカのレジデントの過酷な勤務が引き合いにだされますが、少なくとも今は真っ赤な嘘です。連続30時間以内、週に80時間以内に法律上定まっています。
日本だけです。異常なことを医師に強いているのは。
そういえば看護婦さんが輸血や入院の申し送りに必ず申し送りをしています。医師の仕事は放射線の診断から処理まで 他の医師が立ち会ってダブルチェックが出来ません。
医師が少ないがゆえのシステム上の欠陥だと思いますよ。
個々の医師に責任を擦り付けてどうなるもんじゃないのです。
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