患者にとってよい医者と出会えるかどうかは大問題です。しかし「よい医者」と一言で言ってもそれは単純ではありません。いくつかの異なった概念が混じっていますが、最低、「腕のよい医者」と「人間性がよい医者」に分けられるでしょう。(「愛想がよい医者」「どうでもよい医者」はここでは考えないことにします) さらに後者は、「絶対的に良い(万人に好ましく感じられる)」と「相対的に良い(患者と医者の関係(相性)に評価が依存する)」に分けられます。
「腕がよい医者」に出会える確率を高めることはある程度の努力で可能です。評判や公開されている治療成績などが手がかりになるでしょう。一般的には、ベテランは新人よりは経験を積んでいるだけ腕が良いでしょうし、逆に新人の方は新しい知識を持っている点がベテランより有利です。たとえば私が大学病院で難しい手術を受けるとしたら、執刀医には教授よりは講師クラスを希望するかもしれません。ある程度経験を積んで知識もまだ比較的新しいというバランスが絶妙で、さらに老眼が進行していないだろうことが私にとっては(特に細かい手術の場合に)重要です。
だけど、人間性がよい医者に出会える確率は……これは一筋縄では評価できません。
まずは「絶対的に人間性が良い医者」ですが……はたして“コンナモノ”がこの世に存在するのでしょうか? 「医者」のところをたとえば様々な職種に置き換えて見てください。「絶対的に人間性がよいニュースキャスター」「絶対的に人間性がよい大将」「絶対的に人間性がよい八百屋さん」……この世にそんな神や仏のような人がごろごろいますか? というか、神や仏でさえ悪魔や悪鬼から見たら「敵(ワルモノ)」です。そもそも万人にウケがよい人はつまりは八方美人ですが、「八方美人」は日本ではどちらかというと悪口ですよね?
となると次の「相対的に人間性がよい医者」ですが……これは「評判」がアテにならないので困ります。「Aさんにとって神のような人(医者)」でもそれがすなわち「Bさんにとっても神のような人」である保障はないのです。AさんとBさんは違う人間なのですから、同じ人に対しても違う評価を下す可能性が大なのです。
もしかしたらおおざっぱに言って、ある人が「(人間的に)よい医者に出会える確率」はその人がこれまでの人生で「よい人間に出会えた確率」にほぼ等しいだろう……で、よいですよね?(理論と自身の体験を根拠とする、弱気の推測)
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