昨日書いた「医者で物書きがけっこう多い」からスタートした私の思考を一晩寝かせておいたら、「医学は理系か?」と極論(?)にたどり着いてしまいました。「そんな馬鹿な」という前に、なぜそうなったのか自己分析を試みます。
日本で「医学は理系か文系か」と多くの人に質問をしたら、「理系に決まっているだろう」と即座に断言されるか怪訝な顔をされることでしょう。
たしかに医学部を受験するのはふつう理系の学生です。ほとんどの医学部の受験科目も数学と理科二つ(多くは物理と化学)と英語であって、国語や社会を受けて医学部にはいるという話はあまりありません。高校で数学や理科(特に物理と化学)が得意な理系の学生がそのまま医学生になって医学を学んでいます。つまり日本の医学部は“理系の学生が進学するところ”。
私が医学生の時、教養課程の次に学んだ基礎医学はまず、解剖学・組織学・生理学・生化学でした(現在だったら私の時代にはあまりなかった、分子生物学・免疫学・遺伝子工学・核医学・情報処理なども必要なことでしょう)。ここで“正常な人体”について学んだ後で、そこに起きる異常事態(疾病)の診断・検査と治療について臨床医学で学ぶという順番です。こうしてみると、たしかに医学は理系(それも科学そのもの)と言えそうです。
しかし「医学は純粋な理系か(理系の学問だけで構成されているのか)」と最初の設問を微妙に変えたら、どうでしょう。たとえば、法医学・倫理学・社会医学など“文系”の分野も医学の重要な一部です。そしてそれらは決して“理系より劣ったもの”や“科学の従属物”ではありません。遵法精神や倫理観や社会に対する視点を欠いた医者は、社会にとってありがたい存在とは言えないはずです。経済学も必要でしょう。医学が社会の一部である以上、経済性を全く無視した医療は成立が困難です(病院が破産するのは困りますし、一部がじゃんじゃん医療費を使うことで社会に経済的負担を押しつけられるのも困ります)。患者=医師の人間関係では、心理学やコミュニケーション技法が重要です。医療事故を防止するためには、人とシステムに関して総合的で深い理解が必要です。
たしかに現代医学には「科学」を代表とする理系の要素がたっぷり含まれています。それは現代医学の「背骨」と言って良いでしょう。19世紀の科学によって、医学は病気の原因の多くが微生物であることを知り、主にワクチンによってそれに対する戦いを展開することで人の病気が人の手によって減らせることを知りました。20世紀の科学によって、医学は抗生物質という微生物に対して非常に有効な武器を手に入れ、麻酔などの科学技術の進歩によって外科的な治療も大きく進歩しました。21世紀の科学によって医学はおそらく遺伝子そのものに対する治療を進歩させていくことでしょう。
しかし、前記したように、医学には“文系の要素”(倫理学、経済学、政治、社会学、法学、心理学、コミュニケーション……)もたっぷり含まれているのです。それを“無視”して、(医学の内部でも外部でも)多くの人が「医学は理系」という“常識”で判断停止をしていることが、現在の医学に人が感じる不満や発生する不祥事の原因の一つになっているのではないか、そう私は感じています。
身近なところで、新聞の大見出しになる医学関連のニュースを思い出してみましょう。「○○手術が成功」「××病に新しい検査法と治療法」「□□ウイルス出現」「△△薬に副作用」「ヒトゲノム研究に新知見」「εβ細胞研究に新展開」……こうして列挙すると、たしかに医学の「学」は科「学」の学である、と言っても良さそうです。しかし、別の領域の医学ニュースもあります。「医師不足」「現場の疲弊」「診療報酬」「赤ちゃんポスト」「医師の不祥事」「延命治療の是非」……こちらはどう見ても“理系”ではありません。むしろ“文系”の話題に私には見えます。「脳死(人の死)の定義」も、科学で割り切れば話は簡単ですが、割り切れないと思う人が多いからこそなかなか話がきれいに決着しないのでしょう。
「理系の人間に理系の教育を施し理系の医者として育て上げておいて、医師として出た実際の現場では突然文系の振る舞いも十分できることを要求する」……それが現在の社会が医学生と医師に求めている態度のように私には見えます。それなら最初から、文系とか理系とかにこだわらずに人材を集め、文系・理系を超えて総合的に教育した方が良いのではないでしょうか。
最近の医学部入試では、学士入学(他の大学を卒業した人が、専門課程から入学する)やAO入試(学力よりは人物像を重視して入学を許可する)などによって、以前よりは多彩な人材が医学生になれるようになりました。だけど、それで私が前述した総合的な教育がすぐできる、とは私には思えません。問題は、彼らを教育する側が、その多彩さに対応できるのかどうか(「育てる人」をどう育てるのか)、と、それを社会が許すかどうか(たとえば私が「医学生に話を限らずすべての分野で文系と理系を分ける日本のやり方はこのままで良いのか?」と疑問を呈したら、一緒にちょっと考えてくれるかあるいは「文系/理系にわけるのは常識だろう!」とあっさり“却下”されるか)、でしょう。
医学が社会の中に存在しているように、医学の中には社会が存在しています。そして社会が「医学は理系」という考え方を棄てず、理系の学生が医学生になるという受験システムを大きく変えない限り、医学はこの社会の中で大きく変わる(“パラダイムシフト”をする)ことはできないでしょう。
余談です。
昨日書いた、杉田玄白・前野良沢らの翻訳家チームは「文系の医者」と言っても良さそうですが、奈良時代まで遡ると「僧医」にぶつかります。当時中国から輸入された大量の文献はまず僧が読みました。仏典が多かったせいもありますが、漢文をすらすら読み解く知性の持ち主の集団が当時は寺にいたからでもあります。文献の中には医書も多く、しかも僧の任務(の一つ)は仏の功徳を世間に広めること。となると、僧の中に医者を兼ねるものが出現するのは、もう理の当然です。病気の人間を救うのは仏の教えの実践であると言えるのですから。こちらもまた「文系の医者」ですね。
中世ヨーロッパでの医学では、大学での医学教育と民間医療だけではなくて、修道院での医療が大きな位置を占めていました。これもまた、神の恩寵を巡礼者たちに、という目的に合致していたからですが、「宗教と知性と医療の合体」が昔は東西ともに見られるのは、私には大変興味深いことです。
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