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2008.04.30 06:57 |  診療  |  医療制度 / 行政  |  その他(医療関連)  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 1

清潔と不潔 

 昨日の続きと言えば続きです。

 「清潔」と「不潔」は反対語ですが、必ずしもきちんとペアになって用いられるとは限りません。
 たとえば年頃の娘は「お父さんって、フケツ」とは言いますが「お父さんって、清潔」とは言いません。「クリーンな政治」「清潔な政治家」は「ぅわぉ、たまにはこんなのが存在するんだ」という“オドロキの表現”であって、決して「不潔な政治家」と対称形をなしてはいません。世の中ではことばは辞書に書いてある通りには使われていないことがあるようです。

 医学の世界で「清潔」「不潔」は世間一般とはさらに異なる独特の用法をされます。簡単に言うなら「病原体が一つでも存在している(可能性がある)」場合は「不潔」です。風呂上がりに洗濯したての下着を身につけていても、医学的にはその人は「不潔な存在」です(皮膚にも口の中にも腸内にも、常在菌がうようよですから)。まっさらのハンカチも、滅菌処置を受けていなければ「不潔なハンカチ」です。なんだか変な感じですが、ことばの定義が定まっている以上、それに逆らった個人的な用法を強行すると現場が混乱して不潔なものが清潔区域に侵入して医療事故の元になってしまうので、「郷に入れば郷に従え」で医療現場では私も“そういう使い方”をします。(帰宅したらニホンゴを使いますが、家庭では、幸か不幸か娘はいませんので、「お父さんってフケツ」とは言われずに済んでいます)

 病院関係者でなくても、病院で流しが二つ並んでいて、それぞれに「清潔」「不潔」と書いてあるのを見た人も多いでしょう。保健所が厳しく指導してくれるのです。「流しは二つ作りなさい」「清潔の流しと不潔の流しとをきちんと分けなさい」。そして、流しで洗う場合「不潔なものは不潔の流しで洗いなさい」と。たしかにウンコを触った手と患者さんの脈をとった手を同じ流しで洗うのは問題かな、と思いますが、もしも「清潔」の流しで手を洗っていると怒られます。「手は不潔です。不潔の流しで洗いなさい」

 ……ちょっと待って。すると「清潔」の流しでは、いったい何を洗うんでしょう? だって「清潔なもの」は洗う必要、ありません。不潔だからこそ洗う必要があり、洗うために流しがあるのです。もしかして、洗った後「清潔」になったものを一時保存するための場所? だめですよ。清潔なものを流しに直に置いたら「不潔」になってしまいます。いくら「清潔」と表示しても、流しのステンレスの表面を滅菌や消毒しているわけではありませんし、たとえしたとしてもその直後から空中落下細菌でそこは「不潔」になっているはずなのですから。清潔の表示を見て「あ、ここに来てはいけないのか」と細菌がUターンしてくれたら良いんですけどね、それを病原体に要求してもまず間違いなく無視されるでしょう。

 どうも保健所にも「清潔/不潔」に関しては独特の用法があるようです。しかも指導に来る人によって言うことが違うのを見ると、方言も多いのかな。

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2008.04.29 07:37 |  診療  |  その他(一般)  |  その他(医療関連)  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 0

しゃけつ 

 古代の医療で用いられた治療手段は、主に手当(手を当てる)と薬草と祈祷です。あとは体内にたまっているであろう病毒を体外に排出させるための手段として、発汗・下剤・利尿などが行われました。毒素を汗や便や尿に乗せて強制排出させてしまえば健康が取り戻せるという発想ですが、同じ発想でもう一つ、瀉血(しゃけつ)というものも広く行われていました。ちょいと切って「悪い血」を外に出せば体はスッキリさわやか、という理屈です(悪い血と良い血をどう区別するのかは、聞かないでください)。この瀉血、西洋では非常に人気がありました(床屋外科が主に担当していました)が、一日に何回もとか、1回に1リットルもとか、とっても健康に悪そうなやり方も横行していました(やって病人の容態が改善しなければ「おかしいなあ、これはきっと瀉血が足りないんだ。もうちょっとやりましょう」なわけです)。下手すれば死にます、というか、実際に有名人の日記などから医療記録を分析したら「この人は、過度の瀉血によってひどい貧血が生じて全身状態が悪化して死んだのではないか」と疑いのある例もごろごろあるそうです。
 この“治療法”は中世から近代までヨーロッパではポピュラーに行われ、江戸時代には長崎に派遣されてきたオランダの医者が通商使として訪れた江戸で瀉血をやって見せて見学に集まった日本の蘭方医たちを驚かせた、は、たしか『蘭学事始』(杉田玄白)に書いてあったと記憶しています。
球が異常に多い)やヘモクロマトーシス(体内に鉄が過剰にたまる)以外では)あまり見られなかった療法ですが、実は最近“復権”してきています。
 C型慢性肝炎やNASH(4月20日に書いた「ッシュ」で紹介した病気)では肝臓に沈着した鉄が悪さをするので、(肝炎を治すのではなくて肝臓のダメージの進行を予防するために)定期的に瀉血をすることが有効なのだそうです。古代人が現代の医療を見たら「そらみろ、我々がやっていたのは正しかった」と胸を張るかもしれませんね。
 もっとも、現代人も古代人に対して威張るのは難しいかもしれません。「ワルイモノ」を汗や便で出してしまう、なんて民間療法が今でもありますが、たとえば「良い汗」と「悪い汗」とをきちんと区別できています(化学分析をしています)か? 汗をかくべき状態とそうではない状態を峻別していますか? 「とにかく汗をかけばいい」「とにかく排便すればいい」は「体の調子が悪いのなら、とにかく血を出せばいい」と結局同じ態度なのですよ。


・余談その1
 東洋ではあまり瀉血はポピュラーではありませんでしたが、古代中国では瀉血は行われていたようです。ただ、そこで用いられたメスがなぜか細長く進化して鍼になってしまい、結局鍼療法がポピュラーとなって瀉血は廃れたのだそうです(経絡理論(ツボを圧力(指圧)や温熱(灸)で刺激することで、体内環境に影響を与えようとする)と上手く合体させた名医がいたのではないかと私は想像しますが、紀元前のことですから確証は持ちません。ただ、瀉血が盛んではないこと・鍼治療が存在すること・指圧や灸が存在すること・出土したメスが妙に細長いこと、が事実として存在するだけです)。
 ついでですが、私自身が病気になって、もし「鍼か瀉血かどちらか選べ」と迫られたら、上の段落に書いた病気以外ではまず間違いなく鍼を選択します。有効性が期待できて副作用がない方が望ましいですから(もちろん、鍼も副作用がゼロではありませんが、瀉血よりはるかにマシ、と考えます)。

・余談その2
 「床屋外科はかつて瀉血をしていた。床屋のねじりん棒の赤・青・白は動脈・静脈・包帯のシンボルだ」という俗説があります。私は、その前半は信じますが、後半は信じません。その根拠は3つあります。
1)床屋外科が全盛だったのは中世から近代前半ですが、床屋のサインポールはその前から使われていたはずです(おそらくは理容師という職業が発生した古代エジプトから)。古代の理容師は現代と同様に医療とは無関係ですから、もちろん瀉血とも無関係です。
2)「血管」と言えば「動脈と静脈」、が現代人のたしなみ(?)ですが(さらにそこに「毛細血管」と「門脈」を加えるのが医学教育を受けた人間)、古代では事情が違います。古代では人体各所に大切なものを届けるのに血液ではなくて「精気」の概念が重要視され、古代ギリシアのエラシストラトスは精気を全身に運搬するルートとして「神経と動脈/静脈」の二分を重要視しました(神経と動脈を同一視していたのです)。それに対して古代ローマのガレノスは「神経/動脈/静脈」の三分を主張し、結局ガレノスの説がルネサンス以降までヨーロッパ医学のスタンダードとなりました。精気説を無視して単純に「赤と青」=「動脈と静脈」と見るのは現代人の偏見です。ついでですが、動脈と静脈が「血管」という概念の下に統一されたのは「血液循環説」を唱えたウィリアム・ハーヴィー(ハーヴェイ)(17世紀)からで、それ以前は全く別の“臓器”でした。
3)さらに「白い包帯」は近代の産物でしょう。「白」が象徴する「清潔」という概念は近代のもの(ゼンメルワイス、19世紀)ですし、モノとしても、産業革命以前に漂白された包帯が一般的に大量に用いられていたとは私には思えません(エジプトのミイラは“包帯”でぐるぐる巻きですが、あれは傷の手当てとはまた別のお話ですね)。瀉血後の止血には、手近にある適当な布や葉っぱなどを用いていたんじゃないかしら。(あるいは泥かも。物理的には傷の良い被覆剤ですから。もちろん細菌学的にはオススメできない代物ですけれど)
 大量出血しそうなものの一つに宦官の去勢手術がありますが、安禄山が宦官を作ったときには熱い灰で止血したそうです。古代ローマでは「熱い灰の上を転がした卵(つまりはゆで卵?)」がポピュラーな前菜だったそうですが、同じ熱い灰でも場所によってずいぶん違った活用をされたんですねえ……って、ブログのタイトルを換えたら話がよく転がるようになったかな?

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2008.04.28 06:56 |  開業 / 病院経営  |  医療制度 / 行政  |  その他(一般)  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 2

舌先三寸 

 「来年3月までに、未確認の年金記録は確実に名寄せを完了させます」と誰かさんが言ったのは去年の参院選挙の前でしたね。で、今はもうすぐ4月もおわり。「名寄せが完了している」と思う人、手を挙げて〜。

 「勤務医の待遇を改善するために診療報酬を改定する」と誰かさんが言ったのは、ほんのちょっと前のこと。まだ始まったばかりですからめきめきと効果は出てはいないでしょうが、それでも今回の診療報酬改定によって待遇が改善される気配がたしかにある、と思う勤務医の人、手を挙げて〜。
 ちなみに、私が勤務する施設は、昨年よりも今年度は減収の予定です(ベッドはほとんどフル回転なので、診療報酬改定の影響が非常に計算しやすいの)。さて、私の待遇が“改善”されることを厚生労働省に期待していいんですかねぇ。
 ……まさか、ね。

 来年の今頃、もし覚えていたら、またみなさんに挙手を求めてみようかな〜。

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 まったく何を考えているのだろう、と感じます。
 たとえばネコを殺すのは、内なる破壊衝動の発露と理解できます。もちろん賛成はできませんが、なにか人間として押さえきれない生物的な暴力衝動の病的な発露なんだろうな、と。
 だけど、チューリップの花を次から次へと落としていくことには、なんだか形容のしがたい気持ち悪さを感じるのです。頑是無い幼児の善悪をわきまえない悪戯とは違います。ただの単純な破壊衝動ではなく、悪戯でもなく、花好きの人間が悲しむのを見て喜びを感じるという非常に陰湿で屈折した陰性感情の発露ではないか、と私には感じられるのです。本人は「不幸なのは自分だ」と思っているかもしれませんが。

 こういった人に与えられるべきは、罰ではなくて治療ではないでしょうか。


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新型インフルエンザH5N1』岡田春恵・田代眞人 著、 岩波書店(岩波科学ライブラリー139)、2007年、1200円(税別)

 現在の強毒型H5N1鳥インフルエンザの流行は2003年に始まりました。流行は主に北半球の冬期を中心としていますが、東南アジアでは必ずしも気温とは関係していません。そのウイルスは、元々は弱毒型だったのが、1996年頃に中国南部で強毒型に変異したと考えられています。(広東省のガチョウから分離されたウイルスが、この株で現時点でたどり着ける最古のものだそうです) 以後「鳥→人」(ときに人→人)の感染で、昨年末までに335人の感染者が報告されうち206人が死亡しています。さらに特徴的なのは、若い人の感染と死亡が非常に多いこと(高齢者を多く殺したSARSとはここが大きく違います)。このタイプのインフルエンザのパンデミック(世界的な大流行)は社会を破壊し、「少子高齢化」をさらに促進させる可能性が大なのです。
 弱毒型の鳥インフルエンザは渡り鳥の腸管や気管の中で静かに生きています。便から排出されたウイルスは水を汚染しそれでヒナがまた感染します。それが鶏に感染しても普通は産卵率が下がる程度です。ところが鶏で感染を繰り返しているうちに突然強毒性(高病原性)に変異してばたばた鶏を殺すようになることがあります(特にH5型とH7型)。ちなみに2007年末時点で、3億3000万羽の家禽がインフルエンザで死んだり殺処分を受けています。鳥の世界ではすでにパンデミックは起きているのです。
 20世紀初めに世界を席巻したスペイン風邪は、H1N1型インフルエンザでした。現在の研究では、弱毒型の鳥インフルエンザウイルスが人への感染性を獲得したもの、とされているそうです。弱毒型ですから基本的に感染部位は呼吸器だけでした。
 現在流行しているA型インフルエンザは、1968年からの香港型(H3N2)と1977年からのソ連型(H1N1)です。興味深いことに、ソ連型はその30年くらい前に流行していて姿を消したインフルエンザとほぼ同じ遺伝子型で、当然あるべき30年分の突然変異がありませんでした。そこで、どこかの研究室で冷凍保存されていた株が漏れて、免疫を持たない若い人を中心に広がったのではないか、と言われています。スペイン風邪にしても香港型・ソ連型にしても弱毒型であることは共通です。問題は、ウイルスが鳥の間で感染を繰り返しているうちに強毒型に突然変異し、それがさらにたとえばブタに感染してそこで人のウイルスとRNAが交雑して人への感染性を獲得した場合なのです。

 強毒型の新型インフルエンザは、プロテアーゼで開裂されたHAが全身細胞への感染性を持つため、全身臓器に感染します(弱毒型は気管と消化管だけ)。さらに、感染に対して発動された防御機構が暴走してサイトカインが過剰に生産され、その結果サイトカインストーム(過剰なサイトカインによって全身の臓器が傷つけられる)と呼ばれる現象が発生します。「スペイン風邪は大変だったけれど、それほど死者が出なかったアジア風邪の例もあるし」なんてのんびりしている場合ではありません。強毒型鳥インフルエンザは“別物”なのです。(ただ、サイトカインストームに対して否定的な見解を言う人もいます)
 もちろんそんな最悪最凶の疫病は流行しないかもしれません。ウイルスは強毒型に突然変異しないかもしれませんし「人→人」への感染性を獲得しないかもしれません。自然は気まぐれですから。しかし「流行はしないだろう」と高をくくっていたら足をすくわれるかもしれません。自然は気まぐれですから。
 この本は結果として「オオカミ少年」になってしまうかもしれません。でも「わるいことなんかおきやしないさ」と、たしか『星の王子様』に登場したダチョウのような(ライオンに追われたとき、砂に頭をつっこんで「ライオンが見えないからもう脅威は存在しない」と自分に言い聞かせる)態度だったら、その無責任さは特に為政者の場合万死に値するでしょう。

 対応は国ごとに特徴があります。アメリカやカナダは行動計画をすでに発表していますし、スイスは全国民分の抗ウイルス薬とワクチンを備蓄を計画しています。で、日本は……日本は……だいじょーぶかなぁ。そもそも強毒型のインフルエンザが流行する、という前提をちゃんと某お役所は持っているかしら? まさかスペイン風邪(弱毒型)で計画していないでしょうねえ。タミフルも、新型ウイルスに対しては効きが弱いし、さらにタミフル耐性ウイルスの問題もあります。効かなかった場合の「二の矢」は考えているのかなあ。

 北半球の人間としては、南半球の冬の時に新型インフルエンザが発生したら北が冬になるまでに準備ができる、と一瞬考えてしまいますが、スペイン風邪の時には季節は関係なく世界中で大流行したそうですからあまりそんな他人を踏みつけにすることは期待しない方が良さそうです。ただ、南北問題はここにも登場します。インドネシアは「WHOにウイルスを提供しても、先進国だけでワクチンを作って自分たちの所には安く回ってこないんじゃないか?」とおかんむりです。HIVのときにもあった話ですが、これは製薬会社に「途上国には安く売れ」と言うよりも、ODAの一部として扱えないものかと思います。途上国での新型インフルエンザの流行を押さえることは、全世界にメリットがあるのですから。

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 落語には、その日集まったお客さんからことば(お題)を三つ言ってもらって、即興でその三つすべてを織り込んだ話を演じる「三題噺」というものがあります。

 あまりの評判の悪さに、厚労省は「後期高齢者医療制度では、老人医療のアクセス制限などはない」などと弁解しています。
 ところで、現在私たちに見える厚労省が語ることばは……たとえば「高齢者の主治医制度」「外来のまるめ化」「レセプトオンライン化」です。おや、ちょうど(?)3つです。
 はい、話ができました。
 まずどんな手を使っても良いから「主治医」をお役所に届けさせます。口実なんかどうでもよろしい。「○○さんの“主治医”は××医師」という届けが役所にある、という形式が整えばいいのです。
 同時にどんな形でも良いから外来診療の定額化を進めます。
 さて、そこでレセプトのオンライン化を完成させたら何ができるでしょう。機械的にレセプトに検索をかけて特定個人のレセプトを抜き出し、「主治医」のところには定額だけ支払い、主治医“以外”のところは「主治医じゃないから支払いはナシね」と通達することができるのです(今は「しない」と口先だけ言っていても、将来「することができる」これが(官僚や政治家にとっては)重要なポイントです)。

 もちろんレセプトにチェックを入れるのは、厚労省の天下り先のお仕事です。きっとやりがいがあるでしょうね。「無駄な医療費」を大幅に削減できて、しかも自分の就職先はしっかり確保できるのですから。
 じゃあ、なぜ今やらないか? それは面倒だからです。現時点では書類を一枚一枚手でめくってつきあわせなければなりませんがそんな肉体労働を高級なお役人様がやりたいわけありません。それが、レセプトのオンライン化を進めたら、検索ボタン一発で居眠りしていても結果が出せるようになります(おそらく、検索ボタンを押す係と押したことを確認する係と個人情報を印刷する係と個人情報をシュレッダーにかける係とで4人、それを管理する管理職が5人、さらにそれを監督する理事が常勤と非常勤とで20人“必要”となるでしょう)。しかもお役所は「オンライン化を義務づける」と書類を一通発行するだけで、実際のオンライン化の金銭負担は各医療機関持ちです。こんな“美味しい”(経済的にも肉体的にも楽な)話はありませんね。

 面白くなかった? こりゃまた失礼しました。私には落語家に必要な才能と努力と言語感覚とユーモア感覚の四つがございませんので、「三題噺」ではなくて現実に即したただの「三題話」になってしまったようです。

 ……それでは、おあとはよろしくないようで……テケテンテケテン……


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2008.04.24 06:58 |  その他(一般)  |  おかだ  | 推薦数 : 0

 凄「我が身に換えても……」
 困「死んで償えば良いんだろ?」

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2008.04.23 06:51 |  診療  |  その他(一般)  |  その他(医療関連)  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 1

パンツとアトピー

 先日、学校検診をやってきました。タテマエでは学校医がやることになっているのでしょうが、一人で数百人を診るのは無理ですから、地元の医師会から、開業医も勤務医も仕事の合間に集まって協力するのです。
 高校というものに入るのは、長男の学校行事以来かな、などと思いながら向かいましたが、高校が近づくと別の心配が。私のようにいかにも外見が胡乱な人間がバイクで校門を突破しようとしたら「あやしいやつめ」と誰何されるのではないか、と。いや、被害妄想じゃありません。こんなご時世です。私が住む町内の小学校でも校内に立ち入るにはPTAが配ったリボンなんかをつけなきゃいけないのですよ。かつての日本は「地域に開かれた学校」を目指していたはずなのに、それを妨害したのは、誰?
 いざとなったら、持参のエコバッグから白衣を取り出してそこについている写真付き名札を見せればいいや、と腹をくくります(ちょっと大げさ)。結局、校門に案内の人がいて、何てことはなかったのですが。
 2時間で100人ちょっとを診察したら、さすがに疲れました。チェックしたのは、歩き方・顔色・難聴の有無(小声で指示して従うかどうか見る)・脊椎の湾曲・上半身の体表観察・心肺音の聴取くらいに絞っていたのですが、一言の挨拶でも同じことを百回繰り返すとそれだけで疲れます。新しく発見できた所見としては心臓の機能性雑音を見つけたくらいであとはあまり役には立たなかったのですが……印象的だったのはアトピー性皮膚炎の多さです。一目でわかる全身の人からよくよく見たらの局部的な人まで、何パーセントくらいだろう、とにかく目立ちます。もっと多かったのは、はみ出たパンツ。あれ、パンツ(トランクス?)がでかいのでしょうか、それともズボンを下にずらしてはいているの? ほとんどの生徒でパンツがまるで腹巻きのようにズボンからはみ出ているのです。今の世の中ではあれが格好良いことになっているのでしょうね。でも私は賛同しません。「だらしないぞ」と主張します。オヤジの腹巻きも格好良い、なら我慢しますが。

 昔のことをふっと思い出しました。「マラソン大会前の高校生の検診」なんてのをやったこともあるのですが、男子高校生特有のにおいが立ちこめていてげんなりしましたし、元気いっぱいの心音を次々聞いていたら耳が痛くなりましたっけ。なにより、この検診の意義がわからないのが苦痛でした。タテマエは「マラソンに参加して良いかどうかの判断」なのでしょうが、明らかに心不全症状でもあるのならともかく、目の前に座った人を数秒で「この人はマラソンを走ったら不整脈発作を起こして死にます」なんて判断が聴診器一本だけでできます? そんな検診に時間とお金をかけるくらいなら、入学時に持病などの聞き取りをきちんとすることと運動が負担になっていないかどうか普段の観察を密にしておいた上で、マラソンの時に緊急時に対応できる医師数人とAED複数台と救急処置と搬送のできるボランティアを多数きちんと配備することの方がよほど現実的な解決じゃないかなあ。


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 先日何となく勢いでつけたブログのタイトルですが、じっと見ていると、実態をみごとに現しているのかもしれないと改めて思っています。

 「転石苔むさず」"Rolling stone gathers no moss" には欧米ではポジティブとネガティブ二つの意味があるそうです。ポジティブなのは「常に活動しているのは良いこと」。ネガティブなのは「職を転々としていると金持ちになれない」。
 私は医者になってから、職場を転々としています。自分の経歴を指折り数えてみたら常勤の施設だけで9つ、非常勤(兼務または常勤からの長期出張)の施設は7つ。ついでに引っ越しも9回。で、たしかに金持ちにはなれていません。引っ越し貧乏のせいかもしれませんが、ともかくネガティブな方の意味は見事に当たっているように思います。だけど、一カ所に落ち着かずにいることで、常に頭には刺激が与えられ内面の撹拌がされている点で、ポジティブな方の意味も当たっているようです。

 このブログ自体はまだ5ヶ月目。まだごろごろ転がり始めたところですが、月間アクセスはなんと25,000を超えました。2月1日に「2ヶ月でアクセス総計21,000!」と喜んでいたのが夢のようです。やはり“読者”の存在は書く励みになります(私は、ムチではなくてニンジンをぶら下げられたら走るタイプなのです)。

 これからブログがどんな方向に転がっていくのか、タイトルだけではなくてスタイルも内容もどのように変遷していくのか、私には予想もできません(まだ変わっていく、ということだけはまず確実でしょう)。ただ、変なところに落ち着いてしまわないように、といって妙な方向に暴走しないように、自分自身と読者の存在を意識してドライブしていきます。

 ご愛読への感謝と、これからも書きまっせの決意表明でした。


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2008.04.21 06:56 |  医療制度 / 行政  |  その他(医療関連)  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 1

列島崩壊

 日本列島改造論が華々しく打ち出されたのは、たしか私が高校生の時(ああ、もう30年以上前なんですねえ、と遠い目)、日本中を高速道路と新幹線で結んで地方と都会の格差を解消し日本中をバランスよく発展させる、というものだったと記憶しています。
 だけどねえ、道路ができて実際には何が起きたでしょう。トンネルや道や鉄道ができたら「人が来る」と思ったら、それは同時に「人が去る」ルートでもあったのです。そして大金をかけて日本中に建設された交通アクセスは、田舎から都会に人を運ぶのに(それとあとはゴールデンウイークとお正月には「故郷」に向かう人が渋滞を作るために)使われるものでした。ちょうどあの頃「医科大学がない県を解消する」運動も起きましたが、そのことは以前書きましたのでここでは省略します。結局「格差」は解消するどころか拡大されたのです。

 医療崩壊とは、「医療人が不誠実な行動を取ること」ではなくて「医療システムの崩壊」のことですが、実は「医療システム“だけ”の崩壊」ではありません。日本の様々なシステムが崩壊している中での一つの現れ、それが「医療崩壊」なのです。つまりは、(大げさに表現するなら)列島崩壊が進行している、と私は現状を捉えています。したがって「医療崩壊」に対する“処方箋”を「医療に限定したもの」にしたなら、それはただの“対症療法”にしかなりません。
 で、“処方箋”を作るためには“原因”を上げる必要がありますが、列島崩壊の原因はとりあえず列島改造までは遡れるのではないかと私は現在考えています。(実際にはそこからさらに過去に遡ることはできるのでしょうが、私の記憶が届かないので残念ながらあきらめます) “現在”だけを見て右往左往してとりあえずの対症療法をするよりも、迂遠なようでも過去に遡って原因療法をした方が未来は明るくなるとは思うのですが、こういう面倒くさい考え方は人気がないのが残念です。


※今の道路族の主張は、結局角栄さんの主張の変奏曲のように私には見えます。だけど、それが日本に何をもたらしたのか/これから何をもたらすのか、きちんと過去から検証している人はどのくらいいますか?



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