子ども時代に読んだ本(『次郎物語』だったか『路傍の石』だったかな?)に子どもが疫痢で死ぬシーンが登場したとき、私はそれを読んでそれはそれは怖い思いをしました。漠然とした「成長」とか「未来」しか知らず、「自分が死ぬ」という概念を持っていない人間に「お前だっていつ死ぬかしれないのだ」という“現実”が突きつけられたのですから。昔はこの病気はけっこうポピュラーなものだったようです。そして「子どもが死ぬ」のもよくあることでした。
良くわからないのが「赤痢」と「疫痢」の違いですが、赤痢はアメーバ赤痢や赤痢菌による病気で、疫痢はそれ以外の(死にいたる)急性胃腸感染症だったのでしょうか。急性胃腸感染症というとなんだかおどろどろしいものに見えますが、実際には腹痛と嘔吐下痢症です。「嘔吐下痢」で死ぬのか?は現代人の“常識”に基づく疑問で、点滴もきちんとできない時代状況だったら、子どもは大人と違ってあっさり脱水になりそのまま死んでしまうことがあります。
医者になってしばらく私は「疫痢」ということばに接することはありませんでした。久しぶりにそれを見たのが、O157(おーいちごーなな)の騒動のときです。まるでこの世の終わりが来たような報道でしたっけ。で、その中に「昔疫痢と呼ばれていた病気の中に、このO157によるものが混じっていたのではないか」という記事がありました。タイムマシンがあったら確認できるのでしょうけれどね。(過去の病気の正体を知りたい、という点では、黒死病が本当にペストだったのか、とか、ナポレオンやモーツアルトの死因は、とか、中国の三国時代に流行した「傷寒」の正体は、とか、私は疑問をほかにもいくつも抱えています)
そういえば、(いつもの)余談ですが、O157報道の過熱ぶりは、ものすごかったですね。最初期の当事者に話を聞いたことがありますが、やって来た報道陣の横暴ぶりは簡単に表現しがたいすごさだったそうです。そういえば、脳死移植の最初の数例のときの報道の過熱ぶりもすごかったですね。過熱といってもマスコミの「過」は結局一過性の「過」で、大騒ぎを自分たちで演出しておいて、飽きたらぽいで見向きもしません。O157だって、今は全然報道されませんが、無くなったわけじゃないですよ。
毎日毎日日々新しく違うことに「これは大変だ」「こんどはこれが大変だ」と大騒ぎをしている人間がいたら、「どうせそれは今日“大変”なだけで、明日は別のことが大変になるんだろうな」と友人たちからの信頼を失うのがオチです。どうしてマスコミの信頼は失われないんだろう? 昨日大切なことは(状況が激変しない限り)今日も明日も大切なことではありませんか?
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