恥ずかしながら私はときどきものすごく基本的なことがわからないことがあります。今回私にとりついた疑問は、「医学って、何?」。
……医者のくせに、しかも四半世紀以上医者をやっていて、今さら何を言っているのでしょう?
「医学は病気を治すものだろう」
「病気だけ? 怪我は?」
「言葉尻だなあ。ならば疾病と言い換えよう。『疾』は『矢で倒れた者』、『病』はやまいで床に寝ている人を上から見たところ、に見えるから、『疾病』で外科と内科と両方だろう」
「見えるけど、それだと『疾』が速い(疾走など)の意味を持っていることが説明できないよ。むしろ『矢』の飛ぶ速さを意味しているんじゃないかなあ。それと『病』の『丙』は『寝ている人』の形じゃなくて『病』の音を担当している部分じゃないか? ほら、『柄』もそうだよね」
……などと自問自答をしてみました。こんなことをしていたら、人生、退屈しません。退屈はしませんが、疑問の回答は得られません。
そういえば古い中国の言いまわしに「下医は病を治し、中医は人を治し、上医は国を治す」があります。病気と怪我の二分法ではなくて三分法で医学を見てみましょう。
学生時代に私が教育された「医学」は、基礎医学/臨床医学/社会医学に大別できます。基礎医学は、教育や研究です。臨床医学はもちろん実際にベッドの脇で患者を治すための医学。社会医学は保健所や国がやる政策的なもの(たとえば19世紀にドイツのウイルヒョウは「下水道を作るのは医学である。その結果伝染病で死ぬ人が減る」と主張しています)。
私が学んだことではなくて、「医学の目的」に注目したら、医学はこんどは四つに分類できるでしょう。
1)治療医学
2)予防医学
3)健康増進
4)リハビリテーション医学
1)は誰にも分かりやすいですね。「疾病に苦しむ患者を治すこと、それこそが“医学の目的”であ~る」。原始時代から今まで、医療者はそれを目的として努力をしてきたと言ってよいでしょう。いくら おかだ が天邪鬼だからといって、そのことを否定はできません。
ただ、「治療」が目的だった場合、「治療ができなかった」ら、それは目的が達成できなかったわけですから、“医学の失敗”でしょうか。致命傷や重病で患者が死んでしまった・後遺症が残ってしまった、それらはすべて(あってはならない)「失敗」ですか?(トンデモ医療裁判だと無条件に失敗扱いですが)
たとえばアリセプトという薬があります。アルツハイマー型認知症(昔は痴呆と言っていました)の薬ですが、これの効能は「認知症症状の進行を遅くする」です。対症療法であって認知症を根本的に治すわけではありませんし、そもそも対症療法と言っても病状を改善するわけではありません。すると「治療医学」の観点からはこれは“欠陥商品”でしょうか。いえいえ、私はそうは思いません。放置しておいたら症状が悪くなるのを食い止める、それも立派な“治療”だと思うから。
2)予防医学。これも分かりやすいですね。ワクチンがその手段の代表ですが、目的が「病気になるのを水際で食い止める」は立派な医学です。もしそれが認められない人がいたら、パスツールやコッホ以前の世界の文明水準で生きてみてください。
3)健康増進。これはどこからでてきたんだ、と思ったら、私が持っているある教科書に「WHO(世界保健機構)では、治療医学・予防医学の体系に健康増進を加えて……」とありました。ふーむ、WHOのお墨付きです。権威が好きな人はWHOの名前の前にひれ伏してください。
ただ、漢方医学ではこれは昔からの“常識”です。「未病を治す」という概念があって、病気になってからではなくてなる前に手を打つことが好まれます(特定の病気を予防するのではなくて、体の調子をバランスよく整えることが推奨されますので、予防ではなくて健康増進のジャンルに私は含めます)。『神農本草経』では収載される生薬365種類のうち「上薬」120種類は、毎日摂取しても副作用はなく体の調子が整えられて病気になりにくくなるものが選ばれています。(ついでですが、「熱を下げる」とか「便秘を治す」といった効果が目に見えて強く、でも副作用があるものは「下薬」扱いです。ということは、現在の西洋医学の薬は、漢方の立場からはことごとく「下薬」ですな)
4)さて、治療はしたけれど、完全に元には戻っていない場合、そこで医学が逃げ出したら残されるのは呆然とした患者です。ならば“あきらめ悪く”失われた機能を少しでも回復させる、残された機能を伸ばす、それでもだめなら患者の周りの環境の方を変えてしまえ、目的は「再適応」だ、がリハビリテーション医学です。もちろん治せるものは治そうとしますが、治せない場合も別の手を考え続けるのです。良く言えばフレキシブル、悪く言えば……悪く言うのはやめておきましょう。私は、「社会を治療する(社会をもっと健康的にする)医学」としてリハビリテーション医学に期待して注目しているのです。
「医学とは何か」の結論をここで無理に出してしまおうとは思いません(うっかり結論を出したら、考える楽しみが一つ減ってしまいます)。まだまだ別の分類法があるかもしれません(たとえば宗教や文化とのからみに注目したらまた別の面白い分類ができるでしょう)。
1)の治療医学の場合に限定しても、臨床では「一つの臓器の病気」だけではなくて「システムとしての臓器」を、「臓器」だけではなくて「人間としての患者」を、「患者」だけではなくて「患者の環境(家族や仕事など)」までを見なければ良い治療はできません。医学を論じる場合も、どこまでの大きさで医学を見るか(どこまで視野を拡げられるか、どこまで深く見透せるか)、それをまず意識しておかないと、医学に関する“良い”思考や議論はできないでしょう。大切なのは、目の前の現実だけではなくて、地方・国・地球……え~い、宇宙まで話を広げてしまいましょう。ともかく、「全体像」なのです。
もちろん、何かを論じるためにはその全体像をまず思い浮かべることが必要なのは、医学に限りません。
……な~んて偉そうなことを言っている私も「全体を把握すること」にかけては、まだまだなんですけどね。(別にそれを“白状”しなくても、ブログの文章を読んだら一目瞭然? はい、ごもっとも……また自問自答をしてみました)
固定リンク
|
コメント (0)
|
トラックバック (0)