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確定申告のシーズンです。私もすませました。資料さえ揃えれば説明書を読みながら計算や記載は2時間足らずで終わるのですが、この「2時間集中」して数字をちまちま見つめているのは苦痛です。自分は事務職には向いていないと痛感する時間です。
いつの間にか“恒久的”定率減税がなくなったようですが、それでも私の計算では還付額は去年より微増。ま、それだけ出ていくものが多かったということで、狂喜乱舞はしませんが、それでも返ってくるのは嬉しいことです。
こちらでは昨年まで税務署で税務相談(税理士に相談したり申告書を作ったり)ができたのですが、今年からその会場が遠くになって税務署は単に申告書を提出するだけになりました。ちょっと別の用もあったし郵送の切手代も節約しようと申告書を持って行ったら、昨年と違って駐車場はガラガラです。窓口に並んでいる人もほとんどいません。受付のとなりに各種用紙のラックと「記入コーナー」があって、そこでも申告書を書くことができるようになっています。昨年までは玄関の外にも殺気だった人がうろうろしていましたが、今年は全体的に穏やかな雰囲気です。
ところがそれでもトラブルはあるんですねえ。初老の男性が吠えています。「今は昭和ではなくて平成だぞ」「責任者を出せ」「俺は納税者だぞ」「やってくれても良いだろう」「なんでここまで言わなきゃいけないんだ」……聞いていると何のことはない、遠くの相談会場に行くのが嫌だからここで申告書作成をしたいけれど、自分はやりたくない、税理士に頼むのも嫌だ、だから税務署の職員がやれ、なのです。これってただの「わがまま」ですよね。「自分で作る」「足を運んで相談する」「金を払って他人に作ってもらう」……頭か足かお金か、何か「自分で努力する」ことで申告書を作ればいいのに、そのどれも嫌なのですから。「口を動かす(暴力的なことばを使う)ことで他人を操作する」のも「努力」といえば努力でしょうけれど、なんか違うと感じます。
対応していたのは、初老の管理職の男性でしたが、これが女性だったら「男を出せ」、若い男性だったら「若造じゃ話がわからん」が追加されていたのでしょう。税務署もそれを予想してそう言った人を受付のロビーに配置していたのかな。
ああいう無理難題をひたすら押し通そうとするタイプの人って、一事が万事で、日常的に自分のわがままを通すために莫大なエネルギーを毎日毎日使っているのではないか、と思いました。どうせエネルギーを使うのなら、もっと生産的な方向に使えば、思いが通りやすくなるでしょうし、なによりトラブルが減って自分も周囲も楽になるでしょうにねえ。
私としては、せっかくの平日休みをこんなことに使って、という思いが、面白いものを見物できた、に変わって満足でしたけれど、こんな感想を持つのはちょっと人が悪いでしょうか。
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日本の景気がなかなか回復しない原因の一つに、新設住宅着工件数の減少があるそうです。「景気が悪ければ、家を建てる人も減るよなあ」なんて思っていたら、「手続き」がネックになっているのも一因とか。
耐震偽装に懲りた国土交通省が建築基準法を改正して建築申請のチェックをとってもとっても厳しくして、以前だったら悠々パスだったものもなかなか認めなくなっているそうな。
もちろん耐震偽装は困ります。だけど、日本の景気の足を引っ張るくらい審査を厳しくすることが“解決”ですか? 私には「羮に懲りて膾を吹く」態度に見えます。いや、「角を矯めて牛を殺す」かも。
お役所が熱心にやるべきことは、書面審査を厳重にすることではなくて(いや、もちろん有効な書面審査は必要ですけれど)、たとえば現場でコンクリートに水を多めに加えていないかとか実際の鉄骨が図面より細くなっていないかのチェックも重要ではありませんか? 机上だけでやたらと厳しくやっているのは、なんだか私には普段無関心に看過していていざ問題が起きたら大騒ぎをする「羮に懲りた過剰反応」でしかないように思えるのです(あるいは仕事をしている振りをして周囲にアピールしているだけかも)。問題は「普段の無関心」の方で、大切なのは「実効のある仕事」なのに。
そういえば、厚生労働省も「羮に懲りて膾を吹く」態度を見せています。
ここからは2007年12月に書いた「ため息をつきながら」の“後日談”です(現在進行中ですけれど)
結局私は「リタリン登録医師」の申請をしました。申請は認可されて登録証明書が送られてきましたが、この処方から調剤までがややこしいこと。まず私が処方箋を書きます。私が勤務する病院の外来は院外薬局処方なので、処方箋と同時にどこが登録薬局(リタリンを処方しても良い、と認められた薬局)かを患者さんに紹介します。処方箋を受け付けた薬局は、リタリン流通管理委員会事務局に連絡します。事務局は、処方した医師が登録医師であるかどうか・薬局が登録薬局であるかどうか、を確認して折り返し薬局に連絡します。そのアクションが終了して初めて薬局はリタリンの調剤ができます。薬局の在庫が切れてリタリンを発注する場合も、この流通管理委員会を通さなければいけません。
今までは“放置”で、一転こんどは手続き経路がずいぶん長くなりました(一般日本語では「面倒くさい」とも言います)。官僚から見たら「手続き経路を長くすること=問題のある処方を排除するバリアー」なのでしょうが、私から見たら「まともな医者と薬局に負担をかける」点で嬉しい制度ではありません。それと「悪意を持って固く決意した人」を防ぐのに、これで十分なのか不安もあります(私が思いついた手口に関して詳しいことは書きません)。イケナイことをしているところは、現場で薬の流通を末端までちゃんと追えばある程度見当がつくのですから、そちらから締めつけた方が実効的だったんじゃないかしら。膾を吹いているよりも。
※そういえば療養病棟で時々「こんなに悪くなっているとは知らなかった」と病棟中に響くような大声を出す見舞客がいます。“翻訳”したら「長い間見舞いに来ていなかったからじわじわと状態が変化している経過を知らなかった」となるのですが、こういった場合、「病棟に顔を出す回数の多さ」と「声の大きさ」は反比例している、が私の経験則です。もちろん「だんだん状態が悪くなった」ことも問題ですが、「その経過に無関心だった」ことは“無罪”?
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10年前の日本では「ノストラダムス」が“ブーム”でした。今そんなことを言いだしても「ああ、そんなこともあったねえ」と一瞬遠い目をされて軽く流されるのがオチでしょうが、当時は本当に真剣に心配する人が大勢いました。
たとえばその頃私が時々出入りしていたNiftyServe(現@nifty)の「子育てフォーラム」に「来年人類が滅びようとするのに、お腹の子どもを出産しても良いのだろうか」という相談の発言があったくらい。
私はそれに対して、たしかこのようなコメントをつけたはずです(根拠は私の記憶なので、一部事実と変わっている可能性はあります)。
・1999年に人類が滅亡しないことは、それ以後の年代についても「予言詩」が書かれていることから明らかなこと。人類が滅びるのなら、その後の「予言」は不必要でしょう?
・日本語で「諸世紀」と訳しているのは、英語では「センチュリー」だけど、「世紀」ではなくて「百」のこと(当時のコメントには書きませんでしたが、ラテン語の「centum 百人隊」「centrio 百人隊長」の頭の部分です)。タイトルは詩を百ずつまとめたことを意味しているだけで本当は「百詩篇」とでも訳すべき。そんな素朴な誤訳をする人の文章および解釈はあまりまともに取らない方が良いし、本当に信じるのなら自分で原文か他の翻訳に当たってからにした方が良いでしょう。
あと、何かおまけを付けたと思うけれど、忘れました。
だけど、私の文章が怖かったのか、それともノストラダムスはただの口実で別の理由があって出産をためらっていたのか、以後レスポンスはありませんでした。どうなったのか、今でも気になっています。
実はまだ気になることがあります。当時「ノストラダムス」で商売をしていた人たちは今は何で商売をしているのか、そして、当時「ノストラダムス」でカモになっていた人たちは今何でカモになっているのか、です。たとえば金(ゴールド)の現物まがい詐欺事件の豊田商事(覚えていますか?)で甘い汁を吸うことを覚えた人が、あの事件の後しばらくして同様の“商売”が摘発されたときに、やはりそこに次々顔を出していたことを私は覚えています。人はそうそう自分の基本行動パターンを変えられません。だとしたら、「ノストラダムスのカモ」はまた別のもののカモになっているのではないかなあ……私が心配するべきことではないのかもしれませんが。
※ノストラダムスの少し後にY2K(2000年問題)がありました。どちらも過ぎてしまえば「なーんだ、なんにもなかったじゃないか」でしたが、両者には根本的に違う点があります。先日の首都圏での自動改札機ハングアップ騒動などを見ればわかるように、へたすると数字一つの食い違いでプログラムはとんでもない不調を示すことがあります。一部で言われていた「大晦日の真夜中過ぎたら飛行機がばたばた落ちる」「全国で停電だ断水だ」は、さすがにそれはいくらなんでも騒ぎすぎだとは思っていましたが……でも、Y2Kでは明らかにプログラムにバグがあったわけです。それが結局「なーんだ、なんにもなかったじゃないか」ですんだのは、全世界でプログラマーやシステムエンジニアたちが頑張って対策を立ててくれたおかげだ、と私は思っています。努力せずに「その時」がくるのを待てば良かったノストラダムスとはまったく違うのです。ああいった「何も起こさないための汗」には、もっと光が当てられるべきではありませんか?
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結婚したら……子どもはまだ?
子どもができたら……男はまだ?
子どもが育ったら……親のところにもっと連れて行かないのか?
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