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2008.02.29 16:51 |  生活 / くらし  |  その他(一般)  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 1

税務署で吠える人

 確定申告のシーズンです。私もすませました。資料さえ揃えれば説明書を読みながら計算や記載は2時間足らずで終わるのですが、この「2時間集中」して数字をちまちま見つめているのは苦痛です。自分は事務職には向いていないと痛感する時間です。

 いつの間にか“恒久的”定率減税がなくなったようですが、それでも私の計算では還付額は去年より微増。ま、それだけ出ていくものが多かったということで、狂喜乱舞はしませんが、それでも返ってくるのは嬉しいことです。

 

 こちらでは昨年まで税務署で税務相談(税理士に相談したり申告書を作ったり)ができたのですが、今年からその会場が遠くになって税務署は単に申告書を提出するだけになりました。ちょっと別の用もあったし郵送の切手代も節約しようと申告書を持って行ったら、昨年と違って駐車場はガラガラです。窓口に並んでいる人もほとんどいません。受付のとなりに各種用紙のラックと「記入コーナー」があって、そこでも申告書を書くことができるようになっています。昨年までは玄関の外にも殺気だった人がうろうろしていましたが、今年は全体的に穏やかな雰囲気です。
 ところがそれでもトラブルはあるんですねえ。初老の男性が吠えています。「今は昭和ではなくて平成だぞ」「責任者を出せ」「俺は納税者だぞ」「やってくれても良いだろう」「なんでここまで言わなきゃいけないんだ」……聞いていると何のことはない、遠くの相談会場に行くのが嫌だからここで申告書作成をしたいけれど、自分はやりたくない、税理士に頼むのも嫌だ、だから税務署の職員がやれ、なのです。これってただの「わがまま」ですよね。「自分で作る」「足を運んで相談する」「金を払って他人に作ってもらう」……頭か足かお金か、何か「自分で努力する」ことで申告書を作ればいいのに、そのどれも嫌なのですから。「口を動かす(暴力的なことばを使う)ことで他人を操作する」のも「努力」といえば努力でしょうけれど、なんか違うと感じます。
 対応していたのは、初老の管理職の男性でしたが、これが女性だったら「男を出せ」、若い男性だったら「若造じゃ話がわからん」が追加されていたのでしょう。税務署もそれを予想してそう言った人を受付のロビーに配置していたのかな。

 ああいう無理難題をひたすら押し通そうとするタイプの人って、一事が万事で、日常的に自分のわがままを通すために莫大なエネルギーを毎日毎日使っているのではないか、と思いました。どうせエネルギーを使うのなら、もっと生産的な方向に使えば、思いが通りやすくなるでしょうし、なによりトラブルが減って自分も周囲も楽になるでしょうにねえ。


 私としては、せっかくの平日休みをこんなことに使って、という思いが、面白いものを見物できた、に変わって満足でしたけれど、こんな感想を持つのはちょっと人が悪いでしょうか。

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 まず地方の人口を減らします。
 つぎに医療を崩壊させます。すると病院がばたばたつぶれます。(総務省も「赤字の公立病院はつぶせ」としています)
 近くの病院がなくなったから、せめて道路を整備して、遠くの病院になるべく早く到着できるようにします(そのとき、「かわいそうな住民のために」と恩着せがましく言うのがコツです)。で、道路整備のためには道路財源が必要です。それもたくさん。


 普段は縦割りなのに、実にお見事な連携ですね。厚労省と国交省だけではなくて総務省も“援護射撃”ですか。
 「日本を良くしたい」という「志」を欠いた人間が権力の名の下につるむと、不幸な日本人が大量に発生しそうです。


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2008.02.27 18:44 |  診療  |  医療制度 / 行政  |  その他(医療関連)  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 0

羮に懲りて膾を吹く

 日本の景気がなかなか回復しない原因の一つに、新設住宅着工件数の減少があるそうです。「景気が悪ければ、家を建てる人も減るよなあ」なんて思っていたら、「手続き」がネックになっているのも一因とか。

 耐震偽装に懲りた国土交通省が建築基準法を改正して建築申請のチェックをとってもとっても厳しくして、以前だったら悠々パスだったものもなかなか認めなくなっているそうな。
 もちろん耐震偽装は困ります。だけど、日本の景気の足を引っ張るくらい審査を厳しくすることが“解決”ですか? 私には「羮に懲りて膾を吹く」態度に見えます。いや、「角を矯めて牛を殺す」かも。

 お役所が熱心にやるべきことは、書面審査を厳重にすることではなくて(いや、もちろん有効な書面審査は必要ですけれど)、たとえば現場でコンクリートに水を多めに加えていないかとか実際の鉄骨が図面より細くなっていないかのチェックも重要ではありませんか? 机上だけでやたらと厳しくやっているのは、なんだか私には普段無関心に看過していていざ問題が起きたら大騒ぎをする「羮に懲りた過剰反応」でしかないように思えるのです(あるいは仕事をしている振りをして周囲にアピールしているだけかも)。問題は「普段の無関心」の方で、大切なのは「実効のある仕事」なのに。

 そういえば、厚生労働省も「羮に懲りて膾を吹く」態度を見せています。
 ここからは2007年12月に書いた「ため息をつきながら」の“後日談”です(現在進行中ですけれど)

 結局私は「リタリン登録医師」の申請をしました。申請は認可されて登録証明書が送られてきましたが、この処方から調剤までがややこしいこと。まず私が処方箋を書きます。私が勤務する病院の外来は院外薬局処方なので、処方箋と同時にどこが登録薬局(リタリンを処方しても良い、と認められた薬局)かを患者さんに紹介します。処方箋を受け付けた薬局は、リタリン流通管理委員会事務局に連絡します。事務局は、処方した医師が登録医師であるかどうか・薬局が登録薬局であるかどうか、を確認して折り返し薬局に連絡します。そのアクションが終了して初めて薬局はリタリンの調剤ができます。薬局の在庫が切れてリタリンを発注する場合も、この流通管理委員会を通さなければいけません。

 今までは“放置”で、一転こんどは手続き経路がずいぶん長くなりました(一般日本語では「面倒くさい」とも言います)。官僚から見たら「手続き経路を長くすること=問題のある処方を排除するバリアー」なのでしょうが、私から見たら「まともな医者と薬局に負担をかける」点で嬉しい制度ではありません。それと「悪意を持って固く決意した人」を防ぐのに、これで十分なのか不安もあります(私が思いついた手口に関して詳しいことは書きません)。イケナイことをしているところは、現場で薬の流通を末端までちゃんと追えばある程度見当がつくのですから、そちらから締めつけた方が実効的だったんじゃないかしら。膾を吹いているよりも。


※そういえば療養病棟で時々「こんなに悪くなっているとは知らなかった」と病棟中に響くような大声を出す見舞客がいます。“翻訳”したら「長い間見舞いに来ていなかったからじわじわと状態が変化している経過を知らなかった」となるのですが、こういった場合、「病棟に顔を出す回数の多さ」と「声の大きさ」は反比例している、が私の経験則です。もちろん「だんだん状態が悪くなった」ことも問題ですが、「その経過に無関心だった」ことは“無罪”?


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2008.02.26 18:31 |  仕事 / 職場  |  その他(医療関連)  |  おかだ  | 推薦数 : 0

実習生たち

 今、私が勤務する病院内を、たくさんの若い衆がうろうろしています。看護学生の実習生たちです。

 病棟実習をしていたときの、自分の学生時代を思い出します。あの頃は私も初々しかった(自分で言うか?)。

 指導に学校からついてきた先生が「病院で一番大切なのは、患者さん。次に大事なのは、職員のお仕事です。あなた達は病院では大切ではありません」と少し厳しめに話しています。学生がついつい自分のことに夢中になって、病院業務の妨害にならないように気を配っているのでしょう。もしかしたらそんな“前科”があって、どこかの病院が学校に苦情を言ったのかもしれません(私の病院ではそんなことはないようですが)。

 正直言って、右も左もわからない(しかも、いろいろ指導したとしても将来育って自分を助けてくれるわけでもない)人がたくさんいるのは、ちょっと迷惑です。だけど……医療界に“次”が育ってくれないとこちらも困るのです。私よりも将来の患者さんが困ります。君たちの実習に患者さんが快く協力してくれますように。私にももっと気楽に質問においで。みかけは怖いけれど、頭からがりがり囓ったりはしませんから。

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2008.02.25 18:32 |  生活 / くらし  |  その他(一般)  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 1

「ノストラダムス」は今

 10年前の日本では「ノストラダムス」が“ブーム”でした。今そんなことを言いだしても「ああ、そんなこともあったねえ」と一瞬遠い目をされて軽く流されるのがオチでしょうが、当時は本当に真剣に心配する人が大勢いました。
 たとえばその頃私が時々出入りしていたNiftyServe(現@nifty)の「子育てフォーラム」に「来年人類が滅びようとするのに、お腹の子どもを出産しても良いのだろうか」という相談の発言があったくらい。
 私はそれに対して、たしかこのようなコメントをつけたはずです(根拠は私の記憶なので、一部事実と変わっている可能性はあります)。

・1999年に人類が滅亡しないことは、それ以後の年代についても「予言詩」が書かれていることから明らかなこと。人類が滅びるのなら、その後の「予言」は不必要でしょう?
・日本語で「諸世紀」と訳しているのは、英語では「センチュリー」だけど、「世紀」ではなくて「百」のこと(当時のコメントには書きませんでしたが、ラテン語の「centum 百人隊」「centrio 百人隊長」の頭の部分です)。タイトルは詩を百ずつまとめたことを意味しているだけで本当は「百詩篇」とでも訳すべき。そんな素朴な誤訳をする人の文章および解釈はあまりまともに取らない方が良いし、本当に信じるのなら自分で原文か他の翻訳に当たってからにした方が良いでしょう。
 あと、何かおまけを付けたと思うけれど、忘れました。

 だけど、私の文章が怖かったのか、それともノストラダムスはただの口実で別の理由があって出産をためらっていたのか、以後レスポンスはありませんでした。どうなったのか、今でも気になっています。


 実はまだ気になることがあります。当時「ノストラダムス」で商売をしていた人たちは今は何で商売をしているのか、そして、当時「ノストラダムス」でカモになっていた人たちは今何でカモになっているのか、です。たとえば金(ゴールド)の現物まがい詐欺事件の豊田商事(覚えていますか?)で甘い汁を吸うことを覚えた人が、あの事件の後しばらくして同様の“商売”が摘発されたときに、やはりそこに次々顔を出していたことを私は覚えています。人はそうそう自分の基本行動パターンを変えられません。だとしたら、「ノストラダムスのカモ」はまた別のもののカモになっているのではないかなあ……私が心配するべきことではないのかもしれませんが。


※ノストラダムスの少し後にY2K(2000年問題)がありました。どちらも過ぎてしまえば「なーんだ、なんにもなかったじゃないか」でしたが、両者には根本的に違う点があります。先日の首都圏での自動改札機ハングアップ騒動などを見ればわかるように、へたすると数字一つの食い違いでプログラムはとんでもない不調を示すことがあります。一部で言われていた「大晦日の真夜中過ぎたら飛行機がばたばた落ちる」「全国で停電だ断水だ」は、さすがにそれはいくらなんでも騒ぎすぎだとは思っていましたが……でも、Y2Kでは明らかにプログラムにバグがあったわけです。それが結局「なーんだ、なんにもなかったじゃないか」ですんだのは、全世界でプログラマーやシステムエンジニアたちが頑張って対策を立ててくれたおかげだ、と私は思っています。努力せずに「その時」がくるのを待てば良かったノストラダムスとはまったく違うのです。ああいった「何も起こさないための汗」には、もっと光が当てられるべきではありませんか?


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2008.02.24 17:06 |  研究  |  その他(医療関連)  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 0

血液型とノロウイルス

 血液型占いを私は信じません。干支占い(「亥年生まれは突進タイプ」とか「丑年は頑固でのんびり」とか)でさえ「人間の性格はたったの12種類か? 各学年毎に層状に性格が明確に異なっている小学校なんかないだろ」と私は疑わしく思う人間ですから、ABO式の性格占いについては「全人類の性格がたったの4つ」の時点で“却下”です。(さらに言うなら、ABOにだけ注目して100以上ある他の“血液型”を無視するのも気に入りませんし、さらにさらに言うならABOに限定したとしてもその中の「Oh」(ボンベイ・ブラッド)などはどうするんだ、とも思います)

 ところが、ノロウイルスが、その株によって血液型物質と親和性に差がある、という面白いことを知ってしまいました。
http://www.city.hiroshima.jp/shakai/eiken/topics/tp007/fp_case/fp-004.htm
たとえばロードスデイル類似株は「O・A・B」と、ノーウォークウイルスは「OとA」、スノーマウンテン類似株とメキシコウイルスは「AとB」、アムステルダム類似株は「O」と結合親和性がある、というのです。分泌型・非分泌型でも差があります。さらに、組織血液型抗原のLewis抗原型やH抗原型との結合親和性を持つウイルスもあります。ということは、同じものを食べても発症する人としない人が同じグループの中で分かれることがあるわけですね。

 ある種のウイルスには好かれるが、別のウイルスには嫌われる血液型の人間……「ねえねえ知ってる? 君の血液型はノロウイルスの××株に好かれるんだよ」……う~ん、合コンなどでこうやって他人をどんどん分類してあげると、みなに嫌われる性格と言われそうです。


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2008.02.23 18:11 |  医療事故  |  その他(医療関連)  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 3

割り箸事件のリンチ

 最高裁まで行ってないから、まだ判決は確定はしていませんが、現時点では当事者の医師は「無罪」です。で、仮定の話ですが、もし無罪が最終的に確定したとして、「無実の医者」に必死に「社会的制裁」を加えて人生を台無しにした人たちは、「無実」ですか? 彼らがやったことは、ただのリンチです。で、リンチ(私刑)というのは、法治国家ではたとえ有罪の人間に対してでもしてはならないことなんですけどね(それともそれは私の勘違い? それとも日本は法治国家ではない?)。

 そういえば、松本サリン事件の時に第一通報者の「会社員」を犯人扱いして好き放題を言ったりしたりした人たちは、その後ちゃんと“責任”を取っているのでしょうね。


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2008.02.23 07:58 |  恋愛 / 結婚  |  その他(一般)  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 1

小姑

結婚したら……子どもはまだ?

子どもができたら……男はまだ?

子どもが育ったら……親のところにもっと連れて行かないのか?

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2008.02.22 18:31 |  診療  |  医療制度 / 行政  |  その他(医療関連)  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 3

親孝行ノススメ

 かつての「人生」は自宅で始まり自宅で終わる、つまり最初から最後まで「自宅」で展開可能なものでした。人は自宅で生まれ、育ち、働き、結婚の披露宴を行い、病気になって寝つき、老い、死に、自宅から野辺の送り、だったのです。簡潔に言えば「生老病死」はすべて「自宅」で、だったのです(仏陀さん、ごめんなさい。最初の「生」は、本来の「人生」ではなくて「出生」に変えています)。

 しかし今は核家族の時代。今までは普通にやっていたことも今では……出産は病院、労働は会社、披露宴はホテル、入院は病院、老いたら老人施設、葬式は葬祭会館……自宅に残された機能は、生活することと子育てくらい? でも、実際にそれ以上のことを「自宅」に期待されたら、私も困ります。現在の生活でいっぱいいっぱいで、余力はありません。


 来年度からの診療報酬改定の話がそろそろ具体的に数字を交えてこちらにも流れて来はじめました。ぼんやり見ていると、リハビリテーションのジャンルで一つの流れが目に止まりました。「自宅退院への誘導」です。自宅へたくさん帰せない(退院患者が施設に多く行く)病棟は、入院料を削減(収入を減らす)という手法が導入されています。「自宅へ帰せないのはリハビリテーションが上手にできない(状態を良くできない)ことだから、そんな病棟には罰金」という発想でしょうか。(「重症者ほど他の病院や施設に行く可能性が高い。ならば最初から軽症者を多く入院させたらたくさん自宅に帰れる」という入院時点での“選別”(“難民”発生)を防止するために、一定割合以上の重症者を入院させることも必要とされています。官僚って、こういう細かなことにはよく気がつきます)
 ちょっと待って。「老人を病院から自宅へ」は小泉改革の時からのトレンドですが、つまりは「(政府による)親孝行ノススメ」なのでしょうか。だけど、いくらそう言われても(親孝行の心を持っているかどうかとは無関係に)現実問題として“それ”ができる家庭とできない家庭があります。今の「家庭」にはもうそこまでの「力」は残っていないでしょう。さらに、家庭は地域の中にあってこそ機能するものであり、そして地域にも地域内の弱者を支える力が以前と違って失われていることも忘れてはいけません。単に「親不孝者」を責めるだけでは、何も解決しないのです。
 私の場合、現在4人の両親がいますが(私と家内と二人ずつ)、もし全員がたとえば脳卒中になって後遺症が残って同居しようとしても、今の家の経済的および物理的状況では四人は無理です。二人でも……まことに申し訳ないけれど、無理です。
 ……つまり私は政府によって「親不孝者」の烙印を押されてしまうのでしょうね。(だけど、「親を自宅に引き取らない」と頑張ると、その病院の自宅退院率が下がることによって親の入院料負担は安くなります。あら、政府は実は「親不孝ノススメ」をやっていたのかな)


 ところで、人気があるものは別に勧める必要がありません。放っておいても人は“それ”を勝手にやります。無理矢理強権的にススメなければならないのは、“それ”の人気がないからです。「人として不自然な行為」と言い換えることができるかもしれません。私も「親と子とどちらを取るか」と問われたら(親にはまことに申し訳ないことですけれど)子の方を取ります(できたら、そういった究極の選択を迫られないことを望みますが……って、今日はなんだか謝ってばかりですね)。『孝経』は「身體髮膚 受之父母 不敢毀傷」で有名ですが、その程度のことで親孝行かどうかが判定できたのどかな時代がちょっとうらやましいとも思えます。

 なお、これはリハビリテーション病院の問題だけではありません。同時に始まる成果主義(状態が改善しないと“罰金”)もとりあえずリハビリテーション関係で始めてみて、ついで健康保険全体に拡張、が厚労省の目論見でしょうから、日本の医療関係者全員にとって他人事ではないのです。


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 今朝の朝日新聞(大阪版)にこんどは写真特集がありました。救急現場の写真が5枚載せられていますが、1枚は救急車の中から電話をしている救急隊員で、残り4枚の被写体はすべて「医師」。
http://www.asahi.com/kansai/news/kyuukyuu/OSK200802210095.html
 重い腰を上げてやっと“現実”を報道する気になったのはめでたいことですが、ただ、やはり決まり文句に頼って突っ込みが浅いことに引っかかります。たとえば、「医師が足りない」と強調していますが、足りない・疲れ切っている、のは医師“だけ”でしょうか? ほかの人たちは?
 そもそも「救急崩壊」の“原因”は「医師不足」でしょうか。だったら救急現場に医師の頭数だけ増やせばそれですべてが解決して皆がハッピー……いいえ、そうは思えません。「医師」に視点を固着させるのは、結局「救急医療」全体から目を背けることになると私は感じます。一つの臓器ばかりに注目して、患者全体を忘れるヤブ医者のように。(結局「医者の悪口を言えればいい」と医師に注目していた習性をちょっと形を変えて引きずっているだけ、でしょうね)

 行政の無責任さ・医療費削減の政府方針・医療に過剰な期待をする社会の雰囲気・病院運営の問題・まともな報道をしないマスコミの問題……それらについては軽くスルーをして「真剣なまなざし」「市民を守る誇りを持ち続ける人たち」と耳に心地よいことばだけ並べても、現場の問題は何も解決しません(というか、これまた救急医療を辞めた医者に対しての「市民を見捨てた」「誇りも捨てた」という悪口になっているところが、さすがことばのプロです)。

 せめて最低限、救急医療がチームで動いていることをまず理解してくれないかなあ。ちゃんと見ていたらわかるはずなんですけれど。「医者が減った」ことも、救急崩壊の“原因”ではなくて、別の何かの“結果”ではないか(つまりは“過程”の一部)、という疑いを持ってくれないかなあ。それはマスコミに対する過剰な期待かしら。

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