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2008.01.26 15:19 |  医療制度 / 行政  |  その他(医療関連)  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 2

一県一医大

 死語シリーズ(?)第三弾。1月22日の「3時間待って3分診療」、23日の「薬価差益ゼロ」の続きです。
 1970年代に「医学部・医大がない県がある。何とかしろ」と誰かが言ったのでしょうか、それまで医学部がなかった県に続々と医大が作られました。同時期に自治医大・防衛医大・産業医大も作られたのですから、新設医大ラッシュです。
 年齢別に医師の人数をグラフに描くと、「団塊の世代」が目立ちますが、その少し下にどどっともっと大きな山ができます。これが新設医大の“山”。これだけ見たら「医者過剰」と厚生省が言いたくなったのもわからないではないです。で、それがわかったら当然「だったら何でそんなに医大を作ったんだ?」と返したくなりますが。
 当時は政治家が自分の選挙区のためだけに国鉄の線を引かせたり駅を作らせたりを平気でやっていた時代です(新設医大のちょっと前には、新幹線でもそんなことがありましたっけ)。医大も、国全体のことよりも別の何か優先事情によって作られたのかもしれません。邪推ですけれど。

 当時、「地域格差」ということばは使われていませんでしたが、都市への人口集中と過疎地の差が話題になっていて(それでも、今のような根こそぎ人が減るまでの深刻な状況ではありませんでしたが)、その一つの表れとして無医地区とか医療過疎とかが盛んに新聞などに取りあげられていた記憶があります。それをなんとか是正しようとするために、「地方に医大を作れば、地方に定着する医者が増えるだろう」という期待と地方への投資を両立させようとしたのが一県一医大運動だったのかもしれません(好意的な解釈です)。でもそれだと、結局“目的”が不明確です。大学を卒業した人間はその卒業地に定着する、わけはありません。手に職を持った人間は(包丁一本サラシに巻いて)自由に動くのですから(手に職を持たない人間も自由に動きますけどね)。
 結局、一県一医大運動が「地域の格差を是正するための政策」だったとしても、それは「診断 → 治療」ではなくて「期待 → とりあえず投資」のように私には見えるのです。将来予測とか、投資の必要性の厳密な判断とか、効率的な投資配分の検討とか、投資の結果の判定とかは一切無しのいい加減さ。
 「これさえ食べれば健康になる」とか「この政策さえ行えば日本は良くなる」なんて感じの、日本を良くするための「最終兵器」とか「万能の妙薬」的な政策はもしかしたら存在しないのでしょう。学力テストのような「補助線を一つ引けばいい」「何か公式を適用すればいい」といったシンプルな態度ではなくて、統一的なビジョンに基づいてメインとなる政策だけではなくて補助的な細々した政策もタイミングを計りながら同時に遂行させなければだめなのよ、ということ。理念と的確な勘と計算力と決断力と実行力と宣伝力と厳しい自己評価がないと、実行以前に政策提言さえ難しそうですけれど、それを今の官僚や政治家に求めるのは、望みすぎですか?

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一県医大構想はロッキード事件で逮捕された田中角栄元首相の発案。
このひと、基本的に土建屋出身だから公共事業と言う名のもとに箱物行政や道路や橋を作るために国費を地元に還元したのと同じ発想で、新設の国立医大を作った(造った?)。
彼の心の中には、医療システムの改善目的がベースにあったわけではありません。
中央官庁も地方自治体も、単に話に乗っただけ。
なかには県立病院を大学病院として提供した秋田県のように、真面目に医療システムづくりを考えた県もありましたが。

当時は26校だった国立大医学部が、新設医大構想で16校増えて42校になりました。
医者を増やしたかったら、既存の国立大医学部26校の定員を増やせば良かったんですが、そうはしななかったのが土建屋行政の発想。
医大を作れば、校舎作りで建設業界が・・・

今までも新設国立医大は卒業後に地元に残る医学生も少なかったですが、新研修医制度で流出に拍車がかかりましたね。。

ちなみに1県1医大構想でできた国立医学部16校は、
旭川、秋田、山形、山梨、浜松、富山、福井、滋賀、島根、高知、香川、愛媛、佐賀、大分、宮崎、琉球。
written by 鶴亀松五郎 / 2008.01.26 19:31
》医者を増やしたかったら、既存の国立大医学部26校の定員を増やせば良かったんですが、そうはしななかったのが土建屋行政の発想。

 なるほど、わかりやすい“解説”ありがとうございます。「アヤシイなあ」と思っていましたが、やっぱりあやしかったんですね(^_^;)。自分の直感に自信を持てました。
 しかしこんなにあったんですね。教えてくださってありがとうございます。そういえば愛媛の第一期の受験は、たしか秋だったような記憶が蘇ってきました。えっと……これくらいは自分で調べましょう……開学式は昭和48年11月7日だそうです。不思議な時期ですが、たとえそのままカリキュラムを進めて秋に卒業でも、当時は国家試験が年二回ありましたから、“実害”はなかったのでしょう。
written by おかだ / 2008.01.26 21:56

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