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 『死体は生きている』の読書報告です。
 『死体は語る』の続編です。著者は元東京都監察医務院長の上野正彦さん。角川書店から1990年の出版です。著者は30年間監察医を務め、2万体の異状死体を検死したり解剖したそうですから、ネタはいくらでもあることでしょうね。しかし、「警察のように状況から事件を考えるのではなくて、死体から考える」という視点からは、こちらの意表を突く記述が次々登場します。
 ただし、表紙カバーに麗々しく肩書きが(医学博士までつけて)書かれていますが、不必要ですね。タイトルだけで十分インパクトも説得力もありますから。

 まずはことばから。「検死」は死体を外から見て死因を推定することです。変死の場合には検死が行われます。しかし、検死でわからなければ、監察医によって解剖をすることができます。(ただし、監察医制度が日本でほぼ完璧に機能しているのは東京都だけだそうです) 監察医の判断でできる解剖を「行政解剖」と呼びます。それに対して、犯罪の死体を検事の指揮下でみることは「司法検死」「司法解剖」と呼ばれます。(根拠となる法律が異なります)

・死亡したお年寄りの浴衣の襟を高く合わせてある。それを開けると「首が寒くないように」と日本手ぬぐいが巻いてある。それを取ると索溝(紐などで首を絞めた痕跡)が。素朴な隠蔽工作ですが、「あれ?」と思ったら確認しないといけないのですね。自宅での死亡に対して死亡診断書を発行する場合には、ちょっと注意が必要そうです。

・首つり(縊死)の区別も載っています。呼吸ができなくなって窒息死するのは非定型的縊死です。では定型的縊死とは? これはひもが左右対称にかかりかつ全体重が一気に作用した場合に、両側頸部神経叢が圧迫されて反射的に心停止をきたしてあるいは頸部の動静脈が一瞬に圧迫閉塞されて急死する状態です。(そう言えば「足が地面についた状態でも首つり自殺はできる」は著者の前著で読んだのだったかもしれませんが、それは非定型なのですね) だから「真似をしてみよう。息が苦しくなったら綱をつかめばいい」とか思ってうっかりやってしまうと、あっさり心停止、ということもあるのです。

・男の同性愛に関する(死体ではなくて生体の)解剖学的生理学的考察も「そういう見方があるか」と興味深いものです。同じ「同性愛」と言っても、男のと女のとでは違った世界なのでしょう。

・幅広いもので首を絞めて索溝が残らないようにし、さらに放火して体の表面を焼いて証拠が残らないようにした事件。それを解決したのはやはり解剖でした。監察医は意外なところを見ることで死因も凶器も死亡時間も推定できました。見る人が見たら、死体は雄弁なのです。

・親友4人が一台の車で遊びに出かけてガードレールを突破して急斜面を転落、4人とも死亡という痛ましい事故がありました。ところが遺族から運転者(と目された人の家族)に対して賠償請求が。当時はまだ交通外傷の鑑定は未成熟で、経験豊富な著者のところに話が持ち込まれます。記述内容から見てまだ昭和の中頃、エアバッグとか安全ベルトの時代ではないですから、4人の体はこんがらがった状態で発見されたはず。それでも全身の写真を見て著者は誰が運転していたかを(根拠をつけて)述べます。それは皮肉な結果でした。一番強硬に賠償を要求していた家族の息子が運転者だったのです。
 バイクでも同様の事例があるそうです。二人乗りでともに死亡して「自分の子どもは同乗者だった」と“運転者”側に賠償請求していたら、鑑定で逆だったのがわかったそうな。……えっと、こんな場合、「自分が相手に要求していたこと」をそのまま相手にしてあげるんですよね?

・解剖の手順についての記載もあります。「解剖されたら、バラバラにされてしまう」なんて感情的に反対する人のための説明でしょう。まあ、バラバラになってもならなくても解剖はイヤだ、という遺族の感情もわかりますけれど、あまりに強硬に遺族が解剖に反対するので逆に警察が怪しんで解剖をしたら、他殺だった、という例もあるそうです。
 ちなみに行政解剖だとお代は無料、と本書にはあります。うらやましいなあ。私が住む地域では、病死だと思うけれどそれでも確認したい、と家族を説得して大学病院に解剖を依頼することができますが、お代が10万円(消費税別)ですから。「変死」の場合は行政でやって欲しい。

・車庫の中の車内で死亡していた男女二人。締め切った車庫でエンジンをかけっぱなしにしていての一酸化炭素中毒です。女は下半身裸、男のズボンのチャックが開いています。ナニカをしている最中だったのでしょう。ところが死後変化に大きな差があります。女は二日前、男は五~六日前に死亡した様子なのです。同時に死亡していないと言うことなのでしょうか? 一体二人に、(死ぬ前に、そして死んだあとに)何が?

・シビアな話を遺族にするときの心情も語られます。インフォームド・コンセントの参考になります。

 監察医制度は、死因を究明するためだけの制度ではありません。不審な死を遂げた人にその“言い分”をきちんと語らせることは、死者だけではなくて生者のためにもなるものだと思います。ただ、「究明」ではなくて「糾明」を目的としてその制度を使うのは“悪用”でしょう。
 本書によれば、全死亡の15%は「変死」だそうです。ならば、医師法21条に則って「変死」の届けを医師がちゃんと出す。それに基づいてきちんと検死や解剖が行われる。そのような制度を全国に確立するために政府や自治体が金を出し人の手当てをする。
……とならないのは、なぜ? やっぱり医者が悪いの?
 だけど、事故調という新しい組織を作る前に、今ある監察医制度をきちんと機能させるだけで、相当日本の医療は変わる(それも良い方向に変わる)と思うんですけどね。それに、今すでに存在している制度さえきちんと確立し運用することができないお偉い人たちに、それを越える新しい制度をきちんと作った上できちんと運用できるとも思えませんし。

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2008.01.30 18:33 |  研究  |  仕事 / 職場  |  その他(医療関連)  |  おかだ  | 推薦数 : 0

Macでスライド作り

 死語シリーズ第六弾です。

 1990年頃、ある大学のある医局には、NECのPC-9801とアップル社のMacintoshが並んで置いてありました。学会が近づくと、98では一太郎(90年だとVER.4ですね)が立ち上げられて「しゃべり原稿」の作成が行われ、Macintoshではスライド原稿が作られていました。今ならどちらもWin機のみで(あるいは、少数派の人はMacのみで)行える作業ですが、当時はまだまだパソコンが学会で活躍する黎明期。Intel系のマシンはWin3.1どころかまだMS-DOSの時代で、画像をスマートに処理することができませんでした。そもそも文字でさえ、画面に見えるものをそのまま印刷することができなかったのです。それに対して当時のMacは「WYSIWYG(What You See Is What You Get だったかな、ネーミングセンスが悪いですな)」と称して「見たままの画面をそのまま印刷できる」がウリでした。ネーミングセンスはともかく、技術はすごいです。だから画像に関してはMacしか選択肢がありませんでした。ならば日本語もMacで処理すれば、と思いますが、当時の欧米人が作った日本語ワープロはどうも使いにくくて(たとえば罫線処理は全然駄目。というか、今でも欧米産の日本語ワープロソフトは私にとっては使いにくいものです)結局「日本語はPC98で一太郎」に落ち着いてしまったのでした。

 今はどこの学会でもプレゼンテーションソフト全盛ですから「スライド原稿」どころか「スライド」ということばさえもう死語になりつつあるのかもしれません。プロにスライド作成をまかせたら上のドクターに「俺たちはリバーサルフィルムを切ってマウントして自分でスライドを作ったもんだ!」とびびらされたのも、今では懐かしい思い出です。


 ちょっと粘りすぎかな、と反省して、死語シリーズはここでいったん終了にします(ネタが切れた、とも言います)。もし「再開希望、そのときにはこんな死語を取りあげてくれ」というリクエストをお持ちの方は、ここにコメントを頂けたら幸いです。書くか書かないか、書くとしてもどんなものをいつ書くかの確約はできませんが、検討いたします。ネタが貯まったら勝手に再開するかもしれませんが。
 ということで明日は月末ですが新ネタです。さて、何を書こうかしら。


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2008.01.30 07:47 |  医療制度 / 行政  |  その他(医療関連)  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 1

厚労省の“偽装”

 ニュースによると「開業医の再診料を下げて勤務医対策に回そうとしたら、医師会の“抵抗”に遭って厚労省は断念した」そうです。

http://www.asahi.com/life/update/0129/TKY200801290410.html 

 

「せっかく日本の医療が良くなろうとしていたのに、開業医が足を引っ張った」とでも言いたそうな口調の記事ですが……

 

 私は勤務医なのでその立場で考えてみます。さて、厚労省のはじめの計画がそのまま通ったとして、それで私に何か良いこと(給料が増える、休みが増える、同僚が増える(分担する仕事が減る))が起きるでしょうか? 起きません(あっさり断言します)。もし起きるのだったら、そのメカニズムとそのエビデンスをどなたか教えてください。

 つまり、厚労省の「勤務医のための計画」という主張は、何かの“偽装”です。ホンネは別。おそらく「開業医を少しでもいじめたい」じゃないかな。

 

 何かを本気で推進したいとき(私の場合だったら、たとえば治療計画)、最初のプランがぽしゃったとしても、二の矢三の矢を準備しておきます (ない場合は、その場ででもひねり出します。それが臨床です。「なんでちゃんと治らないんだ。患者が悪い」なんて言いません)。で、厚労省は「断念」して計画を失速させるだけで「二の矢三の矢」の提示はしないのでしょうか? だとしたら最初の「計画」が本気ではなかった、つまり何かの“偽装”であると判断できます。さて、この“偽装”の下には何があるのでしょう。「自分は有効な計画を作れないくらい無能だけれど、働き者です」という主張かな。

 

 

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2008.01.29 18:35 |  診療  |  その他(医療関連)  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 0

検査漬け

 死語シリーズ第五弾。「薬漬け」とセットでよく言われていたことばです。もう、耳にタコができるくらいに。

 クイズです。あなたは以下の医者の外来における行為を妥当だと思いますか?
1)「消化不良がひどいんです。げっぷをしたら楽になります」と言ってきた人に、心電図検査をした。
2)咳がひどい人に、胃内視鏡をした。

 内科を学んだ人には解説は不要でしょうが、1)は狭心症や心筋梗塞を考えています。心臓の病気だからと言って「心臓が痛む」とは限りません。その周辺に痛みが放散することがあるのです。2)は逆流性食道炎による頑固な咳を疑ったのですね。
 で、医師を軽々しく非難する人は、一見関係なさそうな検査をすると「検査漬けだ」と医師を軽々しく非難します。ところがそういった“無関係な”検査をさせずにおいてあとから別の医師によってその診断がついたら(あるいは誰の目にも明らかな症状が出たら)「なんで早くちゃんと診断をつけられなかったんだ、ヤブ医者め」と非難します。検査をしたら非難して診断をつけるための検査をやりづらくしておいて、こんどは「なんでちゃんと診断をつけられないんだ」。人の両手を縛って水に放り込んで「なんでちゃんと泳がないんだ」と言っているようなものかな。なんで上手に泳げないか、その理由は非難している人が一番知っているんじゃないかなあ。

 もちろん、1)の人のお腹も触らずに心電図の指示をするとか、2)の人ののどを見たり胸の音を聞いたりの前にまず胃の検査をする、は、名医か検査マニア(あるいは金儲け医者)です。検査伝票の項目にすべてチェックを入れて「これだけ検査したら何か当たるだろう」式の検査マニア医師は、大ヤブです。もしも頭蓋骨の中に脳味噌が詰まっているのなら、それを使わなきゃ。患者さんとのインタビューで大体方向を絞り込んで病名をいくつか思い浮かべて優先順位をつけて、それが正しいことを確認するために検査をする、これが「王道」です。わからないから検査をするわけではありません。もちろん「正常であること」を確認するための検査もします。「正常だと思う」と「正常である」ことの間には、想像と事実という大きな違いがありますから。大切なのは思い浮かべる病気の確率と重大性の評価です。
 ……ただ、やっぱり、いくら考えてもわからないことはあります。たとえば、疑った病気の順位で5番くらいまでが全部ハズレだったとき。そんな場合に「もしかしたらこの病気だろうか、どうか当たってくれ」と祈るような気持ちで検査をする医師もこの世にはいるのです。


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2008.01.28 18:33 |  診療  |  その他(医療関連)  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 0

精神科通院歴

 以前は新聞やTVでよく見聞したのに最近見ることがずいぶん減った「逮捕された○○容疑者は、過去に精神科の通院歴があり……」というフレーズがあります。ということで「死語シリーズ第四弾」です。今でもときどきは見かけるから、完全に死語という決めつけはできないでしょうけれど。

 私はかつてこの言い回しを見聞するたびにどこか落ち着きの悪さを感じていました。私が不思議に思うのは、この言い回しが、1)一体何を目的としていたのか、2)実際どんな効果があったのか、3)どうして最近あまり見なくなったのか、の三点です。

 1)まず「目的」ですが、「単に事実だから報道した」ということが考えられます。しかしそれなら「○○容疑者は過去に虫歯で歯医者に通院したことがある」とか「××容疑者はスギ花粉症で耳鼻科に通院していた」なんてことも報道する価値があることになりますが、抗ヒスタミン剤による居眠りを疑われる事件以外でこんな報道を見聞した覚えは私にはありません(どなたかご存じですか?)。
 ではこの記事は「精神障害者によってその犯罪が起こされた」を婉曲(?)に表現しようとしているのでしょうか。しかし、それが事実かどうかは、裁判(精神鑑定)によって明らかにされるべきことであり、マスコミが検事や裁判官のお仕事を先行代行してはいけないでしょう。「逮捕された後精神鑑定が行なわれ、結果として措置入院となった」「判決で犯行時には心神耗弱状態であったと認められ、結果として刑が減免された」なら報道に耐える“事実”ですが、容疑者逮捕の時点でそんな先のことまで想定して記事を書いているのでしょうか? それとも「裁判なんかなくても俺には全部わかるんだ」という全能感の発揮? 結局私には「目的」が判然としません。

 2)次に「効果」です。報道の「目的」はどうであれ、そういった報道を見聞した人の中には「犯罪と精神科通院歴は密接な関係がある」と短絡的に判断する人が少なからず存在します。つまり、こういった報道によって「精神障害者=犯罪予備軍」という偏見が強化されてしまうわけです。
 私は、他人に対して害を為す可能性がある精神障害を持つ者が身近にいた場合、その人が「精神科通院中」である方が「過去には通っていたが今は通院を中断している」あるいは「全然精神科にかかったことがない」状態よりも安心できます。なぜなら「通院中」ということは「その人に対して主治医が入院の必要がないくらい状態が落ち着いていると判断している」ことを意味しており、同時に「本人が自分の病気の存在を認めてちゃんと服薬することで病気を管理しよう(再発を防ごう)と努力し続けている」わけですから、そうでない(精神科に通っていない)場合より周囲(私)が迷惑をかけられる恐れがぐっと少ないはずだからです。(もちろん、その可能性はゼロではありませんが、それを言い出したら、精神障害がない人間から私が迷惑をかけられる可能性もゼロではありません。単に「あるかないか」ではなくて、確率的な重みづけによる判断が必要になるでしょう)
 しかし「精神科通院」を犯罪と結びつけて見られる世間の目に晒される場合、精神障害者は喜んで精神科に通院するでしょうか? むしろ通院を隠そう、できたら通院をしないようにしよう、と行動する確率が高まります。つまり「通院中」が「過去の通院歴」に変換されてしまうわけ。そちらの方向に精神障害者を誘導する報道が、はたして社会に好ましい効果をもたらしているのかどうか、私には大きな疑問でした(現在完了進行形)。

 3)最後に、ではなぜこういった報道が最近目立たなくなったのでしょうか。これは私にはわかりません。実際にそのような行動をしている人に直接聞いてみる必要があるでしょう。もし過去に「精神科通院歴が」と記事を書いていて最近は書いていない記者に会う機会があったら質問してみたいと思います。

 そうそう、最近の報道では、「容疑者はわけのわからないことを言っている」という言い回しが目立つように思います。これは「過去の精神科通院歴」の代用なのかもしれませんが、できたら具体的に発言内容を伝えてもらわないと、それこそわけがわかりませんね。たとえばがちがちの左翼の主張はガチガチの右翼には「わけがわからない言葉の羅列」でしかない、なんて可能性もあるわけですので。

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 毎日新聞がまた何か言っています。
http://mainichi.jp/photo/news/20080127k0000m040123000c.html

 なるほど。「医師はミスの発覚を恐れて、その症例報告を隠蔽するようになった」と国民に印象づけたいんですね。実際にそのように受け取って嬉しそうに医師を責める日記を書いている人がmixiにも何人か。
 いや、記事を最後まで読んだら、この記者は必ずしもそういった主張をしたいのではなさそうですが、見だしをつけたデスクにはまた別の意図があると読めます。

 個人情報保護法とか、原著主義とか、横文字の論文の方が推奨されるとか、その他の条件もからんでいるとは思いますが、やっぱり防衛医療のメカニズムも関係しているのかなあ。もしそうなら、過剰反応のような気もするのですが。

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2008.01.27 15:36 |  診療  |  仕事 / 職場  |  おかだ  | 推薦数 : 0

年波

 二十代は一晩に3台救急車が来てばたばたしてほとんど一睡もできなくても、次の日は平然と仕事ができました。(当時の私の体力では、一睡もせずに三夜連続徹夜までは稼動が可能なことは確認済みです)
 三十代は3台救急車が来たら、次の日に堪えるようになりました。
 四十代は1台でも堪えるようになりました。
 五十過ぎたら、病院で寝るだけで疲れます。「何かあったら即座に起きて活動が開始できるように」と緊張しているせいか、たとえその晩何もなくても、熟睡できていません。次の日に能率が確実に25%程度は落ちていると自覚できます。自覚でこれですから、客観的にはもっと落ちていることでしょう。こわいこわい。

 でも前回の当直は、病棟からの電話で1時40分頃・4時ちょっと過ぎ・6時頃の3回起こされましたが、それほど重大な問題ではなかったことと、何か嫌な予感がして次の日に休日出勤の代休を取るように手配していたので、それほど堪えませんでした。というか「たとえ起こされまくっても、次の日は休めるぞ」と思うだけで、疲れ方が最初から違います。
 やっぱり当直の次の日は休みの方が、肉体的にも精神的にも、良いです。


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2008.01.26 15:19 |  医療制度 / 行政  |  その他(医療関連)  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 2

一県一医大

 死語シリーズ(?)第三弾。1月22日の「3時間待って3分診療」、23日の「薬価差益ゼロ」の続きです。
 1970年代に「医学部・医大がない県がある。何とかしろ」と誰かが言ったのでしょうか、それまで医学部がなかった県に続々と医大が作られました。同時期に自治医大・防衛医大・産業医大も作られたのですから、新設医大ラッシュです。
 年齢別に医師の人数をグラフに描くと、「団塊の世代」が目立ちますが、その少し下にどどっともっと大きな山ができます。これが新設医大の“山”。これだけ見たら「医者過剰」と厚生省が言いたくなったのもわからないではないです。で、それがわかったら当然「だったら何でそんなに医大を作ったんだ?」と返したくなりますが。
 当時は政治家が自分の選挙区のためだけに国鉄の線を引かせたり駅を作らせたりを平気でやっていた時代です(新設医大のちょっと前には、新幹線でもそんなことがありましたっけ)。医大も、国全体のことよりも別の何か優先事情によって作られたのかもしれません。邪推ですけれど。

 当時、「地域格差」ということばは使われていませんでしたが、都市への人口集中と過疎地の差が話題になっていて(それでも、今のような根こそぎ人が減るまでの深刻な状況ではありませんでしたが)、その一つの表れとして無医地区とか医療過疎とかが盛んに新聞などに取りあげられていた記憶があります。それをなんとか是正しようとするために、「地方に医大を作れば、地方に定着する医者が増えるだろう」という期待と地方への投資を両立させようとしたのが一県一医大運動だったのかもしれません(好意的な解釈です)。でもそれだと、結局“目的”が不明確です。大学を卒業した人間はその卒業地に定着する、わけはありません。手に職を持った人間は(包丁一本サラシに巻いて)自由に動くのですから(手に職を持たない人間も自由に動きますけどね)。
 結局、一県一医大運動が「地域の格差を是正するための政策」だったとしても、それは「診断 → 治療」ではなくて「期待 → とりあえず投資」のように私には見えるのです。将来予測とか、投資の必要性の厳密な判断とか、効率的な投資配分の検討とか、投資の結果の判定とかは一切無しのいい加減さ。
 「これさえ食べれば健康になる」とか「この政策さえ行えば日本は良くなる」なんて感じの、日本を良くするための「最終兵器」とか「万能の妙薬」的な政策はもしかしたら存在しないのでしょう。学力テストのような「補助線を一つ引けばいい」「何か公式を適用すればいい」といったシンプルな態度ではなくて、統一的なビジョンに基づいてメインとなる政策だけではなくて補助的な細々した政策もタイミングを計りながら同時に遂行させなければだめなのよ、ということ。理念と的確な勘と計算力と決断力と実行力と宣伝力と厳しい自己評価がないと、実行以前に政策提言さえ難しそうですけれど、それを今の官僚や政治家に求めるのは、望みすぎですか?

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2008.01.25 08:55 |  生活 / くらし  |  その他(一般)  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 0

今日の朝刊 雑感

・ウイルス作成の大学院生ら3人逮捕
http://www.asahi.com/digital/internet/OSK200801240038.html
http://www.asahi.com/national/update/0125/OSK200801240107.html

 Winnyを介して感染するコンピュータウイルス(原田ウイルスとその変種)を作成した人が逮捕された、というニュースです。アメリカでは聞いたことがありますが、日本で作成者の逮捕は初めてのこと。対応する法律がないため著作権法違反だそうですが、なんで法整備をしないのでしょう。あ、立法や行政の側に知識やスキルが足りないのか。
 この際、逮捕された人に「このままだとまともに就職できないぞ」とかなんとか言って体制の側に取り込んでしまうのはどうでしょう。ウイルスハンターまたはウイルス作成者ハンターとして活用するのです。
 『鬼平犯科帳』などには、盗賊上がりや掏摸上がりの下っ引きや情報提供者が登場していましたし、たしかパリ警察の機動捜査隊はもともと(元)犯罪者で構成されていたという本を読んだこともあります。釈放して厳重に見張るコストをかけるよりも、“味方”にしてその能力を最大限に活用した方が、“お得”では? まあ、人材活用のスキルが警察にあれば、ですが。

・警察庁が“反省”
 警察ネタを続けます。
http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20080125k0000m070170000c.html
 冤罪防止のために警察庁が新しい捜査指針を出したり監督部署を新設するそうです。
 冤罪を生み出す体質を根本的に改善せずに対症療法的にいろいろ上乗せするだけだと、こんどは「これは適切な捜査方法ではない」と真っ当な捜査をあげつらう“冤罪”が新しく生まれるだけではないかな。「冤罪」を作る人や組織は、どちらの方向を向いても同じ方法論で当たるでしょうから。

・NHK橋本会長の辞任了承
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080124-OYT1T00541.htm
 「今日任期満了の人の辞任を数時間早めるために、臨時委員会が招集された」……わけがわかりません。これで一体何か良いことがあるんですか? 橋本さんに「(任期満了ではなくて)責任を取って辞任した」という“箔をつける”ため? 意味がわかりません。任期はむしろ延長して(ただし無給で)人間としての反省と会長としての権限を駆使して原因解明と再発防止策をきちんと作ることに没頭してもらいたいものです。それが本当に「責任を取る」ことではないかなあ。無駄な会議で時間を潰すなんて、愚の骨頂。
 ……会議が好きな人は「会議を開くこと」が一番大切な仕事なんでしょうけどね。(そんな人はどこの職場にもいますよね?)


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2008.01.24 12:30 |  医療事故  |  その他(一般)  |  その他(医療関連)  |  おかだ  | 推薦数 : 0

ここにもト弁護

 べろんべろんに酔っぱらって運転して事故を起こして子どもを三人殺して、さっさと逃げて水をがぶ飲みしてから“自首”した人間が、「子どもをたった3人殺しただけで7年6ヵ月の懲役だとぉ? 罪が不当に重いぞぉ」と主張しているそうです。で、弁護士の主張は「被害者は追突されて橋から落ちるまでに40メートルもあったのだから、その間に適切な回避操作をするべきだった(それをしていれば、死者は出なかった)。きっと居眠りをしていたに違いない」。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080122-OYT1T00536.htm

 私はすぐそばで投身自殺を見たことがあります。ドガッとものすごく大きな音(というか震動)がしたのに驚いてそちらに視線をやったら、数メートル向こうに人が倒れていました。詳しい状況説明は省きますが、そこはふだん人が入らないスペースで、直前に見たときには誰もいなかったところです。「何であそこに人が?」「誰もいなかったぞ」「さっきの大きな音は何?」「一体何が起きたんだろう」……ここでやっと「ビルの屋上からの投身者だ」と気づきました。この思考停止状態は、一瞬のようにもずいぶん長いようにも感じたけれど、おそらく1~2秒のことでしょう。あわてて障害物を乗り越えて駆け寄って脈を取りながら「誰か119番を」と言おうと振り返ったら、ほとんどの人はこちらを見て手や口は動いているものの全身はまだ固まったままでした。
 人はあまりに予想外のことが起きてびっくりしたら、息を呑み体が固まり、思考は停止または混乱状態になります。単なる目撃者で自分自身に危害が及んでいない状態でさえ、そうです(上記の例で、私が一番に動けたのは単に私が「自分は医者だ」という自意識を働かせることができたからに過ぎません)。まして、突然乗っていた車ごと突き飛ばされて全身を激しく揺すぶられたら、そんな状況に慣れていない人はその物理的衝撃だけでさらにさらに最低1~2秒は余分に停止状態になっておかしくないでしょう。
 この弁護士は「びっくりなんかしている暇があったら、瞬時に状況を把握しそれに対する最も正しい対応を瞬間的にしろ」と主張していますが、経験豊富なスタントマンやプロのレーサーならともかく、そんな“経験”を積んでいない素人には無理です。というか、この弁護士にも“それ”がで
きるのかなあ。試してみます? 試しましょうよ。自分のことばには責任を持ってもらいたい。
 試すのは簡単です。事故と似た状況を再現する「実験」をすればいいのです。無防備に普通に走っている車に、暴走車が突然追突するの。「来るぞ来るぞ」と身構えているのだと“突然”ではなくなって公正な実験になりませんから、ぶつけられる方はバックミラーを外し後ろの窓は塗りつぶしましょう。ついでに、追突する車とただ追い抜く車とを混ぜましょう。フェイントです。さて、追突される車を運転している当該弁護士は、“重大な事故にならない正しい対応”ができるでしょうか。そうそう、ただの追突ではなくて別のことも混ぜましょうね(追い抜いて急ブレーキとか)。あらかじめ追突に対する予行演習をしっかりされたら実験の意味がありませんから。
 ……危ない? はい、私は危ないと思います。だけど、この弁護士は「危なくない(人間は突発事に対して重大な結果は瞬時に回避できる)」と自ら主張しているんだから、まさかこの実験への参加を「自分の身が危ない」という理由で拒否なんかしませんよね。ご自分の主張では「危なくない」のですから(日本語で「危ない」は「危険ではない」ことを意味しません、念のため)。それとも、他人のことだったら危なくなくて、自分のことだったら危ないのかな? 自分はできないけれど他人はするべきだと言っているのかな? 天下の弁護士なんだから、そんな不誠実な主張はしませんよね。

※「40メートル」と言うと一見長く感じますが、オリンピックレベルのトップスプリンターは自分の脚だけで4秒かからずに走り抜ける距離です。激しく追突されて加速した車だともっと時間がかかりません。(「100mを10秒ゼロ」でぴったり4秒ですがこれは時速36kmです)

 歩道をふつうに歩いていたら、酔っ払いに後ろから突然体当たりをされて転んで骨折。ところが裁判官は「加害者は車道を走ったわけではなくてちゃんと歩道を走っているし、直前の右折もちゃんとできているから判断力があると認められる。したがって追突した歩行自体が危険歩行だったとは認められない」、弁護士は「受け身を取るなど適切に転べば怪我はもっと軽くすんだはず。怪我をしないような転び方をしなかった被害者にも事故の責任がある」と主張している……そんな法廷風景を私は想像しました。

 あ、トンデモ医療裁判だと、こんなレベルの主張は日常茶飯事、というか、これはまだかわいい方ですな。

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