医療訴訟の報道を良く見ます。医師や病院が敗訴するのは当然だと思える裁判事例もありますが、中には過失と不可抗力の違いや現代医療の限界を無視しあるいは完全主義と結果論に基づいてとんでもない論理展開をしているように見える判決も混じっています。(「トンデモ医療裁判」でネット検索をかけると呆然とすることが書いてありますね)
日本の民法での過失責任主義では、故意または過失がなければ賠償責任は発生しません。そこで被害者を救済する目的を果たすために、たとえ無過失に見えても「過失」をなんとか立証する/完全に無過失の場合には不幸な結果から遡って注意義務違反などを追及する、というのが「トンデモ医療裁判」成立の原動力になっているように私には見えます。これではまるで「医師は悪者」という結論が先にあってその結論に到達するために無理矢理論理展開をしているかのようです。で、結論は、「悪者」には賠償金で償わせろ、そうすればそれに懲りて二度と同じ「悪事」は働かないだろう……つまり、賠償金の多寡にはずいぶん差はありますが、日本には無いとされている「懲罰的損害賠償」が実は日本の医療訴訟に存在している、と私には見えるのです。さらに、明らかな事故でも警察が医療機関に捜査に入ることも、それを犯罪として社会に印象づけることになります。
しかし、日本の医師はそこまで「悪者」揃いなのでしょうか。「医療不信」を持つ人には意外に思えるかもしれませんが、日本の多くの医師は真面目に医療にとり組んでいます(少数の例外が存在することも同時に認めなければならないのが残念ですが)。しかし、善意の人間が真面目にとり組んでも起き得るのが事故です。故意・明らかな手抜き・犯罪的な意図によってもたらされた悪しき結果についてはもちろん原因となった人間は厳罰に処せられるべきですが、行政やシステムの欠陥によって生じた事故や不可抗力の場合でさえもたまたまその場に居合わせた人間が“懲罰”をされるのは、日本の医療機関ではまるで一種のロシアン・ルーレットが日常的に行われているかのようです。「明日は我が身」の立場の人間にはこれはまことに不本意なことなのです。
医療裁判の目的が懲罰のみ(溜飲を下げるだけ)ならばそれでも良いでしょう。しかし、日本の医療や社会を少しでも良くする手段としてならば、懲罰が最善のものかどうか、私は再考を促したく思います。現在医療の世界では、訴訟が多くて仕事がきつい分野への志望者が減少し防衛医療が進行し、さらに法曹やマスコミに対する不信感が医療者の間に高まっています。私にこの状況は、日本の医療が(というか、医療を含む社会そのものが)“不健康”な方向に向かっていると見えます。そちらの方向ではなくてもうちょっとまともな解決を望むのなら、罰するべきものは厳罰に、しかしそうでないものに対しては懲罰ではなくて、たとえばRCA(根本原因分析)やFMEA(故障モード影響解析)などの安全や質向上のシステムに乗せ、さらに被害者救済の手段としては公害事件などで用いられている無過失補償制度を広く医療にも導入するべきである、と私は考えています。
医療者は医療に集中させた方が、医療の結果は良くなるんじゃないでしょうか。医療“以外”にも“心配事”が多くてそちらに気を配りながら仕事をするのは、まるで脇見運転を強制されているようで、かえって事故が増えそうで怖い今日この頃です。
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本当に裁判をやれば真実が見えてくるでしょうか。吹っかけてるのかなと感じることが多いようです。少なくとも原告側に都合のよい真実ばかりじゃないでしょう。
時には診療を受けた病院の施設の不備、医師が充足してないといった、医師個人の責任とは別個の問題があることもあるのですが、そこはいつも無視されます。
「金を医者からふんだくってやろう」としか思えない 原告が溜飲を下げるためだけの裁判がやけに目立ちます。
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