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2007.12.30 18:33 |  診療  |  仕事 / 職場  |  その他(医療関連)  |  おかだ  | 推薦数 : 2

病院で年越しをしない

 医者になって15年目くらいに、なんだか腹が立って数えてみたことがあります。「緊急呼び出しは除いて、「大晦日and/or元日」を「病棟当番and/or当直」として医者になってから病院で過ごした回数」を。すると10回でした。なんと2/3。なんとなく多いと感じていましたが、そこまでとは思わなかったので腹立ちは急激にがっかりに変換されてしまいましたっけ(私が経験した最小の医者四人の病院ならしかたありませんが、でかい総合病院や、あるいは二十人程度の病院で公明正大に年末年始はくじ引きで当直を決定、というところも含めてですから、確率的には「あり得ない」と言いたくなる結果です)。

 それから十数年経ってそのカウントはまた数回アップしていますから(もうきちんと数えるのはやめました)私にとって「年末年始は病院で過ごす義務の時期」である率は相変わらず高いと言えます。(もちろん、大晦日や元旦がフリーでも急変への対応はあるしその前後は当直か当番をまず間違いなくやってますから、年末年始のたとえば6日間が完全フリーなんてことは絶対ありません)

 だけど今年は嬉しいことに、30・31・1・2がなんと四連休! こんなに続けて休んで良いの?とあらためて誰かに許可を取りたい気分です。別に何をする予定もないんですけどね。今日は窓掃除と神棚の掃除と飾り物と買い出し。年が明けたら氏神さんに参ってスーパー銭湯にでも行って、さて、あとは何をしましょうか。

 そうそう、年末年始にも仕事をしている人たち(交通機関・警察・消防・救急・医療・お役所・サービス業など)に感謝。あなた達にもできればトラブルのない平穏な新年が訪れますように。それでは皆様、良いお年をお迎え下さい。

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2007.12.29 20:48 |  診療  |  生活 / くらし  |  その他(医療関連)  |  おかだ  | 推薦数 : 0

頭を冷やせ

 地球が温暖化しているとはいえ、やはり冬になると冷えますね。それでも今までは穏やかだったけれど明日からはがくんと冷える、と天気予報で言っていました。
 底冷えがする季節になると、私は昔の経験を思い出します。(個人の特定を避けるためにフィクションで事実が“曲げ”られています、念のため)

 あれは病院の窓の外で粉雪が闇を満たそうと舞っていた夜九時頃のことでした。電話が鳴りました。子供の様子がおかしい、とのことです。とにかくすぐに来てもらいます。
 救急車から、幼稚園児と小学生の兄弟が運びおろされました。
 私は首を傾げました。熱は高いのですが、手足は異常に冷たく唇は紫色です。しかもなぜか半袖半ズボン姿。
 着ているものはともかく、チアノーゼが来る疾患か、ライ症候群か、髄膜炎か、と怖い病名が私の頭の中を駆けめぐります。しかし、兄弟二人揃って?
 カルテを見るとその日に二人ともその病院の小児科にかかっていました。病名は風邪です。しかしそのときには重症感を伺わせる記載はありません。私はまず小児科医に呼び出しの電話をかけました。小児科医が来るまでに、付き添ってきた両親から今日の外来受診後の状況を聞き出します。
 口をぽかんと開けてしまいました。
 両親は「熱があるのなら冷やせばいいだろう」という発想から、子ども部屋の暖房を切り窓を開けて、雪混じりの冷気で薄着にさせた子どもたちの体を「冷やし」ていたのでした。
 ヨーロッパには熱に対して水風呂、という療法があることは承知していましたが、さすがに真冬の冷気で熱のある小児の体を空冷する、という発想は私にはありませんでした。ヴィスコンティ監督の映画「イノセント」で主人公が望まなかった赤ん坊を裸にして冷気に全身を晒して殺すシーンが脳裏をよぎります。
 駆けつけた小児科医に手早く説明して、とにかく二人の体を温める算段をします。
 両親は心外だ、と言います。「先生は頭を冷やせ、と言ったでしょう。だったら体全体を冷やしたらもっと効果的なはずでしょう」小児科医に文句を言っています。
「いや、だから、氷枕とか氷嚢とか頭を冷やすシートとかあるでしょう、それのことです。それに、頭は冷やせ、でも体は温かく、とも言ったでしょう。布団に寝かせて頭を冷やして欲しかったんですけどねえ」
「そんなことは聞いてません!」「先生は冷やせと言ったじゃないか!!」二重唱です。子どもたちはどんな思いでそれを聞いていることでしょう。

 子ども時代、熱にうなされているとき、おでこに乗せられた濡れタオルがそっと交換され新しいタオルがひんやりと気持ちよかったことを私は大人になっても覚えています。薄目を開けたら母親が眠たそうにでも心配そうにこちらを見守っていてくれましたっけ。濡れタオルで体温がどんどん下がるとは思えませんが、そういった親の態度を日々体験することで、子供は親に対する、いや、人という存在に対する信頼感を確立していくのでしょう。
 早く熱を下げようと、子どもをたとえば冷蔵庫に突っ込む方法もありますね。でももし万が一それで病気が治ったとしても、その子は冷蔵庫に感謝しても親には感謝しなくなるかもしれません。

*そういえば、おでこに貼るシート、あれ、蓄熱にしては容量が小さく見えますし、蒸散にしては水分量が少ないように見えます。実際には何カロリーくらい体から熱を奪えるのでしょう。具体的に熱が何度くらい冷ませるのでしょう。ちゃんと表示されていましたっけ? あるいはその表示を親はちゃんと読んでいるのかな?

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 患者を苦しめるのは、病気だけではなくて健康保険制度もまたその“共犯”になっている、と感じることがあります。点数設定やレセプト査定などの問題もありますが、たとえば現行のリハビリテーション日数制限がはらんでいる問題をとりあげてみましょう。

 リハビリテーション(以下「リハ」と略)と言っても、急性期・回復期・維持期とあるし、対象とする疾患も脳卒中や整形外科的なものなどいろいろありますので、ここでは脳卒中の回復期リハに限定してみます。

 リハに関して、お上は日数制限をしています。それを簡単にまとめると以下のようになります。
(A)脳卒中が発病した日(発症日)から2ヵ月以内に回復期リハを開始しなければならない。
(B)回復期リハができるのは、発症日から180日まで。回復期リハを開始した日(算定開始日)から150日まで(実際には140日を過ぎると減算処置(長くリハをしたことに対する“罰金”)が取られます)。(ところでこの減算処置は今年度始まって、来年度には廃止になるとアナウンスされてます。一体何が目的だったのでしょう?)

 もちろんどちらにも合理的な理由はあります。発症して時間が経ちすぎて病状が固定したら、回復期リハの効果は望みにくいし、ある程度以上良くなってからさらにリハをしても“無駄”になるだけでしょう。
 しかし、世の中は単純な経過の人ばかりで成り立っているわけではありません。人生や世界は、単純な人が望むほど単純ではないのです。
 具体的に考えてみましょうか。ある脳外科に3人の患者がいるとします。
1)脳卒中が発症して入院して2週間で退院する人 
2)2ヵ月で退院する人
3)3ヵ月の人
 まず、この中でどの人が重症かを考えてみましょう。脳卒中になって入院した(緊急搬送された)脳神経外科病院から早く退院できる人が軽症、なかなか退院できないのは、元の病気が重いかすごい合併症がある、つまり重症、と判断できます。ではそれらの人に前記の(A)(B)の規定を適用して実際にどのくらいリハが可能かを考えると……一番軽症の1)の人は丸々150日。2)の人は 120日リハをしたところで(B)の規定の「180日制限」がやって来ます。そして3)の人は退院時に回復期リハを開始することができません((A)の規定によります)。平たく言うと、日本では軽症の人ほど長くリハができて重症の人は回復期リハが受けられないようにする仕組みが機能しているのです。
 もちろん軽症の人に日数限度一杯まで漫然とリハを施行することはないでしょう。本
人の社会復帰は早い方が望ましいし、次の人がベッドが空くのを待っているのですから。しかし、重症の人(あるいは脳外科で他の重い合併症が見つかってその治療や手術を受けなければならなかった人)に対して「もう少しリハができたらもっと機能が伸びるのに」ということはないのでしょうか。急性期病院の方では「合併症の治療をもう少しやりたいのだが、回復期リハを始めるべき“締め切り”が来てしまう」とどちらを優先するべきかジレンマを感じていることもないのでしょうか。

 規制をするのなら、軽症の人には短期間に集中して、重症の人にはゆったり時間をかけて手厚く、とメリハリのあるものが望ましいでしょう。重要なのは、病名と日数で縛った十把一絡げの対応ではなくて、各個人の状態に合わせた個別対応医療です。「線引き」「一律」「規制」が座右の銘の人には理解してもらえないでしょうが。

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2007.12.27 19:34 |  診療  |  その他(医療関連)  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 0

気力の不足

 読売の、「24歳以下服用は自殺に注意を」抗うつ剤添付文書に追加
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20071226ik21.htm
という記事ですが……この記事を“素直”に読むと「若者が抗うつ剤をのむと自殺をするぞこわいぞやめた方が良いぞ」になっちゃいません? そそっかしい人だと「若者」を読み落として「抗うつ剤をのむと自殺する」と捉えるかも。
 私は学生の時に「うつ病には自殺の危険がある。ただし、本当にうつのどん底だと自殺する気力さえない。こわいのは、治療をして少し上向きになったとき。まだうつから脱していないが体も心もある程度動けるだけの力がついたとき、自殺をすることがあるからだ」と精神科の授業で習いました。だからこそ「治療では自殺に注意」だし「そこが医者の腕の見せ所」なのでしょう。
 で、記事で紹介されているのは「うつ病には24歳以下で危険の度合いが増す一方、25歳以上では変化がなく、65歳以上に限ると逆に下がったという。」……抗うつ剤を出す医者はこれで治療行動をどう変化させろ、と言うのでしょう? 「注意しろ」と言うのは簡単ですが、具体的に「どのように注意するのか」の技術指導をお願いしたいですね。「注意しろ」と言う以上それはご存知なのでしょう?>コーチ。それともうつにも抗うつ剤にも無知な医者が無造作に抗うつ剤を出しているからその状況が危険だ、という主張でしょうか。それならますます具体的な指南が必要です。現実を変えるのはシュプレヒコールではなくて具体的な行動なのですから。それともアメリカのように「自殺したのは、精神科医がちゃんと治療をしなかったからだ」訴訟が増えることに対する危惧の表明?

 なんだかこの記事の目的が私には読めません。私の頭が悪いのか(白状するなら、すごく良いとは主張できませんけれど)、あるいはこの記事に「何かを伝えたい」という気力が不足しているのかな?

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2007.12.27 06:58 |  その他(一般)  |  その他(医療関連)  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 1

知りたい数字

 厚生労働省職員家族の出生率
 文部科学省職員子弟の私立学校在籍率
 「医者の高給」を目の敵にする記者の給料
 妙に“優遇”されている企業への天下りの人数

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2007.12.26 07:07 |  医療制度 / 行政  |  医療事故  |  その他(医療関連)  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 2

懲罰的損害賠償

 医療訴訟の報道を良く見ます。医師や病院が敗訴するのは当然だと思える裁判事例もありますが、中には過失と不可抗力の違いや現代医療の限界を無視しあるいは完全主義と結果論に基づいてとんでもない論理展開をしているように見える判決も混じっています。(「トンデモ医療裁判」でネット検索をかけると呆然とすることが書いてありますね)

 日本の民法での過失責任主義では、故意または過失がなければ賠償責任は発生しません。そこで被害者を救済する目的を果たすために、たとえ無過失に見えても「過失」をなんとか立証する/完全に無過失の場合には不幸な結果から遡って注意義務違反などを追及する、というのが「トンデモ医療裁判」成立の原動力になっているように私には見えます。これではまるで「医師は悪者」という結論が先にあってその結論に到達するために無理矢理論理展開をしているかのようです。で、結論は、「悪者」には賠償金で償わせろ、そうすればそれに懲りて二度と同じ「悪事」は働かないだろう……つまり、賠償金の多寡にはずいぶん差はありますが、日本には無いとされている「懲罰的損害賠償」が実は日本の医療訴訟に存在している、と私には見えるのです。さらに、明らかな事故でも警察が医療機関に捜査に入ることも、それを犯罪として社会に印象づけることになります。

 しかし、日本の医師はそこまで「悪者」揃いなのでしょうか。「医療不信」を持つ人には意外に思えるかもしれませんが、日本の多くの医師は真面目に医療にとり組んでいます(少数の例外が存在することも同時に認めなければならないのが残念ですが)。しかし、善意の人間が真面目にとり組んでも起き得るのが事故です。故意・明らかな手抜き・犯罪的な意図によってもたらされた悪しき結果についてはもちろん原因となった人間は厳罰に処せられるべきですが、行政やシステムの欠陥によって生じた事故や不可抗力の場合でさえもたまたまその場に居合わせた人間が“懲罰”をされるのは、日本の医療機関ではまるで一種のロシアン・ルーレットが日常的に行われているかのようです。「明日は我が身」の立場の人間にはこれはまことに不本意なことなのです。

 医療裁判の目的が懲罰のみ(溜飲を下げるだけ)ならばそれでも良いでしょう。しかし、日本の医療や社会を少しでも良くする手段としてならば、懲罰が最善のものかどうか、私は再考を促したく思います。現在医療の世界では、訴訟が多くて仕事がきつい分野への志望者が減少し防衛医療が進行し、さらに法曹やマスコミに対する不信感が医療者の間に高まっています。私にこの状況は、日本の医療が(というか、医療を含む社会そのものが)“不健康”な方向に向かっていると見えます。そちらの方向ではなくてもうちょっとまともな解決を望むのなら、罰するべきものは厳罰に、しかしそうでないものに対しては懲罰ではなくて、たとえばRCA(根本原因分析)やFMEA(故障モード影響解析)などの安全や質向上のシステムに乗せ、さらに被害者救済の手段としては公害事件などで用いられている無過失補償制度を広く医療にも導入するべきである、と私は考えています。

 医療者は医療に集中させた方が、医療の結果は良くなるんじゃないでしょうか。医療“以外”にも“心配事”が多くてそちらに気を配りながら仕事をするのは、まるで脇見運転を強制されているようで、かえって事故が増えそうで怖い今日この頃です。

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2007.12.25 07:15 |  医療制度 / 行政  |  その他(医療関連)  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 0

医は算術

 今年を振り返っていたら、国公立病院の赤字を何とかしろという総務省の「公立病院に数値目標」(10月頃)を思い出しました。以前から財務省と厚生労働省も医療費のことをうるさく言っていますし、政府は口を揃えて「医は算術」と主張しているわけですね。

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2007.12.24 08:15 |  その他(医療関連)  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 0

ヒポクラテスの誓い

 「読んだことはないけれど、ファン」という人が多そうなことばです。それとも“ファン”はみなしっかり読んでいて、それを私が知らないだけ?
 ともあれ、ファンの人には悪いのですが、私はヒポクラテスの誓いには不同意の立場です。その理由は以下の四つ。
1)パターナリズムが強すぎる。(パターナリズムの説明が要ります? 要するに封建的な「俺様(医者)の言うことにお前ら(患者やスタッフ)は黙って従えば良いんだ」です。インフォームド・コンセントやチーム医療とは相性がきわめて悪い態度です)
2)エリート主義のにおいもぷんぷんします。まあ、だからこそパターナリズムにもなるわけですけど。
3)女性差別のにおいもあります。なにしろヒポクラテスの誓いに従うと女は医者になれないのですから。
4)医者は外科的処置をしない、という意味のことばもあります。外科系排除で良いんですかね。

 もちろんヒポクラテス(という“医者”(*)が存在したとして)が生きた時代の、男性優位社会ではパターナリズム全盛だったことなどがそのまま“常識”として誓いのことばに反映されているだけですから、「現代の目から見て」の難癖をヒポクラテスの誓いにつけるのは“間違い”とは言えるでしょう。ただ、今「ヒポクラテスの誓い」を唱えるのなら「時代を考慮した取扱説明書」をつける必要はあるでしょう。

(*)プラトンやアリストテレスが延々と「ヒポクラテス」と論争しているので、一人の人間としてはちょっと全盛期が長すぎると私は感じます。特定個人というよりは「ヒポクラテス派の代表」といった存在、という説を私は支持しています。

 さらに、「八百万の神」の国日本ではそれほど問題にならないでしょうけれど、一神教の信者にはとんでもないことばも登場します。初っぱなに「医の神アポロンに誓う」ですよ。話はそこで止まりません。アスクレピオス・ヒュギエイア・パナケイアおよびすべての神々といった誓いを立てるべき神々が後にずらりと控えています。一々誓っていたら人生の何パーセントかを消費してしまいそうですし、「唯一絶対神以外の神は認めない」立場からはそれはそもそもとんでもない行為です。ヨーロッパの医学部で、キリスト教信者の皆さんは、どんな顔で「異教の神」に誓いを立てていたんでしょうねえ。異端審問にかけられなかったんだろうか。

 12月24日なので、関連がありそうな話題にしてみました。

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 「環境ホルモン」は正式には、(外因性)内分泌攪乱化学物質と呼ばれます。「環境にあるホルモン」ではなくて「環境にあってまるで生物に対するホルモンのような作用を示す化学物質」のことです。ホルモン剤の錠剤を砕いてそのへんにばらまいてもそれは「環境にばらまかれたホルモン剤」です。
 環境庁(当時)が1998年に「環境ホルモン67種類のリスト」を発表して、大騒ぎとなったのは私の記憶にしっかり残っていますが、では2005年(だったと思います。こちらは記憶があいまい)に環境省(当時……おっと、今も)がそのリストを“なかったこと”にしたのは皆さん、しっかり記憶に残っています? たしかに魚や貝がメスになる、なんて現象はありましたが(だからやたらと自然界に化学物質が存在する(人間によってばらまかれる)のはよろしくないことですが)、一時パニック的に心配された哺乳動物(つまりは人間様)に対して有害な作用がある、ということは証明されなかったわけです。パニックになっただけ損。もっと冷静に情報を集め研究をし対応策を考えたら良かったわけ。

 ところがこんどは「環境ホルモン」ではなくてもろに「環境中の薬物」のお話、本日の朝日新聞の一面トップです。
http://www.asahi.com/life/update/1222/TKY200712220248.html
(「環境にばらまかれたホルモン剤」の話はこちらで復活です)

 「だから水道水なんか飲むものじゃないと言っただろ」とどこかの大臣なら言いそうですが(何大臣でしたっけ?)、さて、こちらの方も「環境ホルモン」と同様わっと大騒ぎをするべきか、それともちょっと立ち止まって冷静に判断する余裕があるのか、どうなんでしょう。

 「水道水を飲んだら病気が治った」というのはあまり聞きませんから、とりあえず水道水中の薬物は有効濃度ではなさそうです。問題は、長期的な効果と多くの薬物による複合効果ですが、その効果があることがあることが分かってから対策を立てるのは手遅れですから、とりあえずできることはやっておきたいですね。
 まず思いつくのは、水処理。フィルターとか活性炭などによる処理です。つぎに思いつくのは病院や家庭からの排出抑制。放射性物質を含んだ水だったら、しばらくタンクに貯めて核種による半減期を見ながら排出する手が使えますが、化学物質の場合にはそれは無駄な手順ですし、そもそも量が半端ではありません。ならばもっと“上流”で規制をかけるとすると「薬物そのものの使用規制」を思いつきます。使わなければ排出されない、というわけ。あるいは「環境に帰るプラスチック」のように、環境に出たら自然に崩壊する(分子が破壊されて失活する)薬品の開発、なんて手もあるかな。ただしこれは不安定なので錠剤一つ一つに有効期限を印刷してもらわないといけませんね。

 ただ、記事の最後を見ると、「縦割り行政、頑張るぞ」という声が聞こえます。科学的で長期展望に基づいた総合的で有効な対策を望むのは、ちょっと難しそう。

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2007.12.23 08:37 |  その他(医療関連)  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 0

ミドリ十字は今

 まるで「ミドリ十字」という“ブランド”を偽装でもするかのように合併が繰り返されて名前が次々変わっていますが……最初は吉富製薬と合併して「(新)吉富製薬」になったけれど、すぐに旧吉富の主力商品の向精神薬だけ分離して新しく「吉富薬品」が作られ、残り(つまりはミドリ十字が残った方)が「ウェルファイド」になりました。一体何をやっているんだろうと思っていたら、こんどは三菱東京(三菱化学(の薬業部門)と東京田辺が合併してできた会社)と合併して「三菱ウェルファーマ」に。こんどこそ終わりかと思ったらさらに田辺製薬と合併して「田辺三菱製薬」です。
 もともと東京田辺は田辺製薬から一族の一人がスピンアウトして作った会社だそうで、だから、分家がいろいろ引きつれて本家に復帰した、と言えなくもないのですが、その「いろいろ」の中にミドリ十字があったわけ。

 裏で誰が脚本を書いているのかは知りませんが、ころころ変えられる環境に翻弄される社員たちが不憫です。

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