| 日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | ||||||
| 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 |
| 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 |
| 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 |
| 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 |
| 30 | 31 |
医者になって15年目くらいに、なんだか腹が立って数えてみたことがあります。「緊急呼び出しは除いて、「大晦日and/or元日」を「病棟当番and/or当直」として医者になってから病院で過ごした回数」を。すると10回でした。なんと2/3。なんとなく多いと感じていましたが、そこまでとは思わなかったので腹立ちは急激にがっかりに変換されてしまいましたっけ(私が経験した最小の医者四人の病院ならしかたありませんが、でかい総合病院や、あるいは二十人程度の病院で公明正大に年末年始はくじ引きで当直を決定、というところも含めてですから、確率的には「あり得ない」と言いたくなる結果です)。
それから十数年経ってそのカウントはまた数回アップしていますから(もうきちんと数えるのはやめました)私にとって「年末年始は病院で過ごす義務の時期」である率は相変わらず高いと言えます。(もちろん、大晦日や元旦がフリーでも急変への対応はあるしその前後は当直か当番をまず間違いなくやってますから、年末年始のたとえば6日間が完全フリーなんてことは絶対ありません)
だけど今年は嬉しいことに、30・31・1・2がなんと四連休! こんなに続けて休んで良いの?とあらためて誰かに許可を取りたい気分です。別に何をする予定もないんですけどね。今日は窓掃除と神棚の掃除と飾り物と買い出し。年が明けたら氏神さんに参ってスーパー銭湯にでも行って、さて、あとは何をしましょうか。
そうそう、年末年始にも仕事をしている人たち(交通機関・警察・消防・救急・医療・お役所・サービス業など)に感謝。あなた達にもできればトラブルのない平穏な新年が訪れますように。それでは皆様、良いお年をお迎え下さい。
固定リンク | コメント (0) | トラックバック (2)
固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
患者を苦しめるのは、病気だけではなくて健康保険制度もまたその“共犯”になっている、と感じることがあります。点数設定やレセプト査定などの問題もありますが、たとえば現行のリハビリテーション日数制限がはらんでいる問題をとりあげてみましょう。
リハビリテーション(以下「リハ」と略)と言っても、急性期・回復期・維持期とあるし、対象とする疾患も脳卒中や整形外科的なものなどいろいろありますので、ここでは脳卒中の回復期リハに限定してみます。
リハに関して、お上は日数制限をしています。それを簡単にまとめると以下のようになります。
(A)脳卒中が発病した日(発症日)から2ヵ月以内に回復期リハを開始しなければならない。
(B)回復期リハができるのは、発症日から180日まで。回復期リハを開始した日(算定開始日)から150日まで(実際には140日を過ぎると減算処置(長くリハをしたことに対する“罰金”)が取られます)。(ところでこの減算処置は今年度始まって、来年度には廃止になるとアナウンスされてます。一体何が目的だったのでしょう?)
もちろんどちらにも合理的な理由はあります。発症して時間が経ちすぎて病状が固定したら、回復期リハの効果は望みにくいし、ある程度以上良くなってからさらにリハをしても“無駄”になるだけでしょう。
しかし、世の中は単純な経過の人ばかりで成り立っているわけではありません。人生や世界は、単純な人が望むほど単純ではないのです。
具体的に考えてみましょうか。ある脳外科に3人の患者がいるとします。
1)脳卒中が発症して入院して2週間で退院する人
2)2ヵ月で退院する人
3)3ヵ月の人
まず、この中でどの人が重症かを考えてみましょう。脳卒中になって入院した(緊急搬送された)脳神経外科病院から早く退院できる人が軽症、なかなか退院できないのは、元の病気が重いかすごい合併症がある、つまり重症、と判断できます。ではそれらの人に前記の(A)(B)の規定を適用して実際にどのくらいリハが可能かを考えると……一番軽症の1)の人は丸々150日。2)の人は 120日リハをしたところで(B)の規定の「180日制限」がやって来ます。そして3)の人は退院時に回復期リハを開始することができません((A)の規定によります)。平たく言うと、日本では軽症の人ほど長くリハができて重症の人は回復期リハが受けられないようにする仕組みが機能しているのです。
もちろん軽症の人に日数限度一杯まで漫然とリハを施行することはないでしょう。本
人の社会復帰は早い方が望ましいし、次の人がベッドが空くのを待っているのですから。しかし、重症の人(あるいは脳外科で他の重い合併症が見つかってその治療や手術を受けなければならなかった人)に対して「もう少しリハができたらもっと機能が伸びるのに」ということはないのでしょうか。急性期病院の方では「合併症の治療をもう少しやりたいのだが、回復期リハを始めるべき“締め切り”が来てしまう」とどちらを優先するべきかジレンマを感じていることもないのでしょうか。
規制をするのなら、軽症の人には短期間に集中して、重症の人にはゆったり時間をかけて手厚く、とメリハリのあるものが望ましいでしょう。重要なのは、病名と日数で縛った十把一絡げの対応ではなくて、各個人の状態に合わせた個別対応医療です。「線引き」「一律」「規制」が座右の銘の人には理解してもらえないでしょうが。
固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
固定リンク | コメント (1) | トラックバック (0)
固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
「読んだことはないけれど、ファン」という人が多そうなことばです。それとも“ファン”はみなしっかり読んでいて、それを私が知らないだけ?
ともあれ、ファンの人には悪いのですが、私はヒポクラテスの誓いには不同意の立場です。その理由は以下の四つ。
1)パターナリズムが強すぎる。(パターナリズムの説明が要ります? 要するに封建的な「俺様(医者)の言うことにお前ら(患者やスタッフ)は黙って従えば良いんだ」です。インフォームド・コンセントやチーム医療とは相性がきわめて悪い態度です)
2)エリート主義のにおいもぷんぷんします。まあ、だからこそパターナリズムにもなるわけですけど。
3)女性差別のにおいもあります。なにしろヒポクラテスの誓いに従うと女は医者になれないのですから。
4)医者は外科的処置をしない、という意味のことばもあります。外科系排除で良いんですかね。
もちろんヒポクラテス(という“医者”(*)が存在したとして)が生きた時代の、男性優位社会ではパターナリズム全盛だったことなどがそのまま“常識”として誓いのことばに反映されているだけですから、「現代の目から見て」の難癖をヒポクラテスの誓いにつけるのは“間違い”とは言えるでしょう。ただ、今「ヒポクラテスの誓い」を唱えるのなら「時代を考慮した取扱説明書」をつける必要はあるでしょう。
(*)プラトンやアリストテレスが延々と「ヒポクラテス」と論争しているので、一人の人間としてはちょっと全盛期が長すぎると私は感じます。特定個人というよりは「ヒポクラテス派の代表」といった存在、という説を私は支持しています。
さらに、「八百万の神」の国日本ではそれほど問題にならないでしょうけれど、一神教の信者にはとんでもないことばも登場します。初っぱなに「医の神アポロンに誓う」ですよ。話はそこで止まりません。アスクレピオス・ヒュギエイア・パナケイアおよびすべての神々といった誓いを立てるべき神々が後にずらりと控えています。一々誓っていたら人生の何パーセントかを消費してしまいそうですし、「唯一絶対神以外の神は認めない」立場からはそれはそもそもとんでもない行為です。ヨーロッパの医学部で、キリスト教信者の皆さんは、どんな顔で「異教の神」に誓いを立てていたんでしょうねえ。異端審問にかけられなかったんだろうか。
12月24日なので、関連がありそうな話題にしてみました。
固定リンク | コメント (0) | トラックバック (1)
「環境ホルモン」は正式には、(外因性)内分泌攪乱化学物質と呼ばれます。「環境にあるホルモン」ではなくて「環境にあってまるで生物に対するホルモンのような作用を示す化学物質」のことです。ホルモン剤の錠剤を砕いてそのへんにばらまいてもそれは「環境にばらまかれたホルモン剤」です。
環境庁(当時)が1998年に「環境ホルモン67種類のリスト」を発表して、大騒ぎとなったのは私の記憶にしっかり残っていますが、では2005年(だったと思います。こちらは記憶があいまい)に環境省(当時……おっと、今も)がそのリストを“なかったこと”にしたのは皆さん、しっかり記憶に残っています? たしかに魚や貝がメスになる、なんて現象はありましたが(だからやたらと自然界に化学物質が存在する(人間によってばらまかれる)のはよろしくないことですが)、一時パニック的に心配された哺乳動物(つまりは人間様)に対して有害な作用がある、ということは証明されなかったわけです。パニックになっただけ損。もっと冷静に情報を集め研究をし対応策を考えたら良かったわけ。
ところがこんどは「環境ホルモン」ではなくてもろに「環境中の薬物」のお話、本日の朝日新聞の一面トップです。
http://www.asahi.com/life/update/1222/TKY200712220248.html
(「環境にばらまかれたホルモン剤」の話はこちらで復活です)
「だから水道水なんか飲むものじゃないと言っただろ」とどこかの大臣なら言いそうですが(何大臣でしたっけ?)、さて、こちらの方も「環境ホルモン」と同様わっと大騒ぎをするべきか、それともちょっと立ち止まって冷静に判断する余裕があるのか、どうなんでしょう。
「水道水を飲んだら病気が治った」というのはあまり聞きませんから、とりあえず水道水中の薬物は有効濃度ではなさそうです。問題は、長期的な効果と多くの薬物による複合効果ですが、その効果があることがあることが分かってから対策を立てるのは手遅れですから、とりあえずできることはやっておきたいですね。
まず思いつくのは、水処理。フィルターとか活性炭などによる処理です。つぎに思いつくのは病院や家庭からの排出抑制。放射性物質を含んだ水だったら、しばらくタンクに貯めて核種による半減期を見ながら排出する手が使えますが、化学物質の場合にはそれは無駄な手順ですし、そもそも量が半端ではありません。ならばもっと“上流”で規制をかけるとすると「薬物そのものの使用規制」を思いつきます。使わなければ排出されない、というわけ。あるいは「環境に帰るプラスチック」のように、環境に出たら自然に崩壊する(分子が破壊されて失活する)薬品の開発、なんて手もあるかな。ただしこれは不安定なので錠剤一つ一つに有効期限を印刷してもらわないといけませんね。
ただ、記事の最後を見ると、「縦割り行政、頑張るぞ」という声が聞こえます。科学的で長期展望に基づいた総合的で有効な対策を望むのは、ちょっと難しそう。
固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)