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2008.10.06 06:53 |  生活 / くらし  |  その他(医療関連)  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 1

 我が家のメラミン

 中国のミルク混入で有名になったメラミンですが、我が家にもメラミンが存在しているのを息子が発見しました。ごく少数のメラミン食器が食器棚にあることは私も知っていましたが、それ以外に「メラミンスポンジ」という形で。このスポンジは、水を含ませて絞ってから軽く拭くだけで汚れがみるみる取れる、という優れものなのだそうです。我が家のにはさらに重曹も最初から含まれていて、ますます効果がありそうです。ちょっと調べてみると、食器だけではなくて網戸を綺麗に掃除するのに絶大の効果、と報告しているサイトもありました。なんでも使っているうちにまるで消しゴムのようにすり減っていくのだそうです。ということは気になるのはそのカスというか飛散する微粒子ですが……

 そこで、素朴な疑問ですが「メラミンって、なに? 本当に危ないの?」。

 PDFファイルですが「メラミン」http://www.jetoc.or.jp/HP_SIDS/pdffiles/J108-78-1.pdf によると……
 物質名は「Melamine; ,3,5-Triazine-2,4,6-triamine」で、構造式は「C3H6N6」……なるほど、「N」が多いからメラミン樹脂の原料をミルクに混ぜるとタンパク質が多いと分析機を錯覚させることができるわけですね。(そういや昭和の昔(それも相当昔)、日本のある酪農家で、牛乳を“増量”しようと水で薄めてそこにデンプンを加えて見た目を誤魔化していた、という証言を聞いたことがあります。どこでも発想は似ているんだな) で、健康情報では「メラミンの毒性は低い。反復ばく露は膀胱結石とその他の尿路病変を引き起こす。雄ラットのみに膀胱結石による長期の刺激後に膀胱腫瘍が生じる。メラミンは遺伝毒性を持たない」とあります。
 「科学のQ&A」 http://sqa.scienceportal.jp/qa4345223.html には、根拠は書いてありませんが「メラミンの毒性は食塩の2倍程度」とあって、尿中で不溶化して石になることが問題、とあります。
 毎日新聞の記事 http://mainichi.jp/select/opinion/closeup/news/20080921ddm003040169000c.html には「メラミンは毒性は低いとされ、米食品医薬品局(FDA)はメラミンの1日摂取耐容量を、体重1キロあたり0.63ミリグラムとしている。今回問題となった中国の粉ミルクには、最も高い製品で1キロあたり2563ミリグラム、それ以外の製品で同0.09~619ミリグラム含まれていた。」とあるのですが……これって「メラミンの毒性は低い」と言っていたはずが、「体重1キロ」と「製品1キロ」とを同じ段落に混在させることで、単純に数字だけ見る人には「今回のメラミン含有食品は大変危険」と印象づける効果を出していませんか? たとえば「1歳の乳児の体重とミルクを飲む量からの危険性の計算」は具体的にできるはずですが……まあ、毎日新聞ですから、この程度の科学センスと日本語品質の記事で十分なのかな。


※過去に「メラミン食器は危険」運動が一時ありました。私の記憶では最初は「環境ホルモンだから危険」だったのが「環境ホルモン」自体が死語になって下火に(環境省が環境ホルモンのリストをいつの間にか削除したことは以前書きました。「飲用水に医薬品残留」)。「メラミン食器からホルムアルデヒドが溶出するから危険」という意見もありましたが、実は自然食品の方がよほどたくさんホルムアルデヒドを含んでいることがわかってこれも下火に。
 「危険の可能性がゼロではない(でも現実問題としては対策は不必要)」と「実際的に危険(対策を立てる必要がある)」とはできるだけきちんと区別する必要があると私は考えます。そして、こういった「運動」に関しては、節目節目に中間“決算”をするべきではないか、とも。


 で「我が家のメラミン」ですが、別に“追放”はしません。食器やスポンジを食べる予定はありませんので、そのまま本来のお仕事で役立ってもらいます。


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 「百発百中の大砲一門と、百発一中の大砲百門が戦ったらどちらが勝つか」という問題があります。私が聞いたのは、昭和はじめの士官学校の試験問題で時代設定は日露戦争、となっていました。
 問題:「日本軍の大砲は1門だが百発百中、ロシア軍は100門だが百発一中。これが撃ちあったら結果はどうなるか?」
 で、模範解答は「日本軍の勝利」(もちろん「日本の負け」なんて書いたら「貴様それでも帝国軍人か!」と、とんでもないことになることは間違い無しでしょう。なにしろ「気をつけ」のときに膝がくっついていない(がに股)だけで思いっきり殴られる世界です)
※おそらくこの「試験問題」の出典は、日露戦争での日本海海戦大勝利のあと連合艦隊の解散式で東郷平八郎司令長官が述べた訓辞の一部「百発百中の一砲能(よ)く百発一中の敵砲百門に対抗し得るを覚らば、我ら軍人は主として武力を形而上に求めざるべからず」でしょう。

 ただ、素直に確率的に考えたら日本砲は勝てません(OpenOfficeで計算してみました。エクセルも持っていますが単に気分の問題です)。両者同時に発射するとしたら、第一ターンでさえ日本の大砲が生き残る確率は約37%と出ました(100門全部が外す確率=0.99の100乗)。意外に大きな数字ですが逆に言えば「一発撃ったら破壊されてお終い」の確率が63%。あまり嬉しい数字ではありません。で、日本側が発射するたびにロシアの大砲は確実に一門づつ減りますが、第5ターンで日本の大砲が生き残っている確率は1%になります。有効数字を無限に取れば日本砲の生存確率はゼロにはなりませんが、1ターンごとに前の数字に「0.99の93乗」「0.99の92乗」をかけていくのはあまり気持ちよくありませんし、それ以前に「たとえ大砲が生き残っていてもその周囲は穴ぼこだらけで、当然まわりに積んでいた弾薬もやられているんじゃないか?」なんてことまで思ったらもうこれ以上計算する気になれませんでした。


※大砲を撃って目標にどんぴしゃで命中させるのは、実はなかなか難しいことです。野砲の場合、長距離砲撃では山の向こうとか地平線の向こうとか見えないところを狙うわけですが、単に地図で相手の座標が特定できたら距離を計算して大砲の方向と角度を合わせる、だけでは駄目です。まずはコリオリの力(数式を使わずに簡単に言うなら、砲弾が空中にある間に地球の自転で目標が動くから弾着がずれること)、それから気象条件(気圧(つまりは空気抵抗)が弾速と弾道に影響しますし、温度・湿度も弾速や火薬の燃焼速度に影響するでしょう。風の方向と強さも弾道に影響を与えます)、彼我の高度差(砲弾の放物線をどこまで描くか)、砲弾や大砲の製作精度、砲弾の姿勢(砲弾の軸が進行方向から微妙にずれると味噌すり運動を起こします)、兵の練度(大砲の角度や方向を、命令通りにきちんと実現できるか)などのパラメーターがすべて命中精度に影響するのです。海戦の場合には基本的に「見える範囲」を撃ちますが、こんどは両方(自艦と敵艦)が運動することと、海面の動き(波による上下動やピッチング・ローリング・ヨーイング)が加わるので陸とは違った難しさがあります。
 だから“現物合わせ”も行われます。実際にとりあえず撃ってみて観測員が弾着を見て「もっと右」とか「ちょい手前」とか(実際にはもっと専門的なことばを使うでしょうが)連絡してきてそれをもとに狙いを修正していくわけです。日露戦争の日本海海戦(ロシア側からはツシマ海戦)では、日本艦隊は一つの艦が試し撃ちをやってそのデータを艦隊全体が共有してから連べ撃ちをした、とロシア側の兵士は述べています。対してロシア艦隊側は各艦がてんでばらばらにそれをやったため、日本艦隊の近くで上がる水煙のどれが自分の艦の撃ったものかわからず結局きちんと狙いがつけられなかったそうです。(それが「(バルチック艦隊の)敗因のすべて」ではありませんが、重要な要素であったことは確かです)

参考図書:
日本海海戦の真実
『ツシマ』上巻「バルチック艦隊遠征」下巻「バルチック艦隊壊滅」


 最初に戻って、さて、ではどうやって「日本軍の勝利」を導けばいいのでしょうか。非常識なまでに早く連発する(ロシア軍が数発撃つ前に日本側が100発撃ちきる)くらいしか私は思いつきません。ただ、一発ごとに照準を合わせ直す必要がありますから、いくら素早い弾込めを練習しても間に合うだろうか、とは思いますが、そこは「根性」とか「百発百中だから」でごまかしましょう。論理で困ったら大声と精神論です。それで戦争(敵)には勝てませんが論争(味方)には勝てます。
 ということで、日本軍部首脳の頭の中では「これで日本の大勝利」となっていたわけで、実はそのまま日本は太平洋戦争に突入したわけです。「頭の中は日露戦争のまま」で。


 日本の医療で、何かと言えば「理想の医療に比較して日本の医療は」と悪口を言う人がかつて多くいましたが、そういった人の頭の中は何時代だったのだろう、と思うことが今でもあります。赤ひげを持ち出す人はわかりやすくてきっと「頭の中は江戸時代」なのでしょうが、そういった具体例を持ち出さずに幻想のような医療ユートピアと現実を比較していた人は「頭の中はユートピア」だったのかな?


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 ロイターのニュースです。
コーラの殺精子効果研究など受賞=イグ・ノーベル賞
 私の青春時代には「性交後にすぐコーラで膣洗浄したら妊娠しない」という伝説が流布されていて、それに対して「それは都市伝説」という主張も流され、私は「コーラで洗えば妊娠しない、はウソ」と信じていました。だって、物理的に膣を洗浄するのだったらコーラでなくても良いでしょうし、いくら膣内を洗浄しても子宮の中までは洗えませんからさっさと子宮頚部の粘液の中に入ってしまった精子にはあとからいくらコーラが追いかけても効果は出ない、と考えたからです。大体、コーラで洗ったら、あとがベタベタしない?(したことないから違うかもしれませんが)

 あ、ここに書いてあるのは「殺精子効果」であって「避妊効果」ではない! もしコーラに試験管の中で精子を殺す効果があったとしても、体内でも精子を殺せるとは限りません。CNN.co.jp「「コカ・コーラの避妊効果」研究にイグ・ノーベル化学賞」ではもう少し詳しく紹介されています。こちらはなんだか、両論併記ですけれど。

 もしもコーラに避妊効果があって、それが殺精子効果によるものだとしたら、精子とコーラが出会わなければなりません。上でも書いたように「後追い」では無理。ならば、ソフトカプセルか何かにコーラを詰めてあらかじめ膣内に設置。射精と同時にカプセルが割れてコーラと精子が混じり合う、というものだったら「コーラで受精阻止」はできそうです。でもやっぱり後がべたべたしそう(笑)。砂糖抜きの“それ専用”コーラでも作ってもらいます?
 手っ取り早く「コーラを飲んだら、避妊ができる」が実現できたら、イグ・ノーベル賞とノーベル賞のダブル受賞も夢ではないかも。

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2008.10.04 06:58 |  診療  |  仕事 / 職場  |  その他(医療関連)  |  おかだ  | 推薦数 : 2

 「こんな田舎の病院」

 田舎の病院にいたとき、侮辱的なことばで傷つけられたことがよくあります。たとえば、長く入院していた人が末期になって遠方から見舞いに来た人が「こんな田舎の病院だから悪くなったんだよ。街だったら直っていたのに」と聞こえよがしに言ったときとか。
 おいおい、と思います。病院はたしかに田舎にありますが、私はそこには「街」から来ているんですよ。その人は、私が県立の中央病院にいるときには「街の病院の先生」と尊敬してくれて、田舎にいるときには手の平を返して「田舎医者」と馬鹿にするのでしょうか。同一人物なのに?
 さらにそのことばは、普段付き添っていた家族も傷つけています。自分たちの日常の配慮や努力を頭から否定されたのですから。それも田舎にいる、ということだけで。それも、普段は何もしないで知らん振りをしていた人間によって。

 今だったら「では、その“街の病院”とやらに患者さんをお引き取りください」と言うかもね。それもできたら過去に遡って、を希望。


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 「ねんきん特別便の怪」のコメントで みぃ さんが教えてくださったように、こんどは公務員共済の方から「公務員共済ねんきん特別便」が届きました。やれやれ、とりあえずほっとしましたよ。これで「期間」についてだけは確認できたわけですから。もう一つ重要な「年金額」についてはどこまで信じられるのかは判断するためのデータがないので、期待も妄想も持たないことにします。期待しなければ失望もしなくてすみますしね。

 ただ、「公務員共済ねんきん特別便」の方には「社会保険庁から別途送付される「ねんきん特別便」の公務員共済の年金加入記録とこのお知らせの記録が異なる場合、あなたの正しい公務員共済の年金加入記録はこのお知らせのとおりです」ときっぱり書いてあります。「社保庁が何を書こうとそれは信用するな。こちらが正しい」という宣言ですか? まあ私の場合、社保庁の方の記録は「空白」だったので「異なる」以前の問題だったんですけどね。


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2008.10.03 06:49 |  診療  |  医療制度 / 行政  |  その他(医療関連)  |  おかだ  | 推薦数 : 2

 「総合」病院

 最近近い親戚が総合病院に入院して手術をしました。とりあえず特に大きなトラブルもなく無事退院できたのですが、入院生活についてご本人から聞いていていろいろ考えることがありました。

 かつて私が総合病院に勤務していた時にそこで強く感じたのは「専門医は多いが、全体を診る医者がいない」ことでした。たとえるなら、壁に様々なタイルがたくさん貼ってあるのだけれど目地がない状態。「壁」としての一体感がなくて隙間だらけだったのです(私が勤務していたところ限定、かもしれませんが)。
 そんなところでも、解決するべき問題が単独の(一つの病気しか持っていない)人の場合は話は楽です。「その病気」を治療したらお終い。でも、世の中はそう単純ではありません。合併症が多い場合、話はややこしくなります。私は専門志向がないので、複数の病気を持つ患者さんの主治医になった場合には、単に院内紹介をするのではなくて、カルテとレントゲン写真を抱えて病院中を走り回っていろいろなドクターからアドバイスをもらった上で調整をして、検査の順番決めや治療の軽重の判断をしていました。しかし、そういった走り回るタイプでない主治医の場合、極端に単純化するなら「自分の専門領域は診た。あとは他の人に診てもらいなさい。では、さよなら」になることがあるのです。もちろん医者の言い分(多忙、専門外のことには責任が持てない)は理解できますが、患者の立場からはそれは不満と不安の種です。

 患者としては、総合病院なのだから何でも診てもらえる、と期待します。なにしろ「総合」病院ですから。ところが実際にはそうならない(“単品”しか診てもらえない)場合がある。これは困ります。
 ならば、「主治医」だけではなくて「全身担当医」をおくのはどうでしょう。今の研修医制度を活用するなら、経験が2〜3年目くらいの医者を、患者の部分ではなくて全身を管理する係とするのです。仕事は、患者が抱える心身のトラブルを1から10まですべて把握して、解決するべきもの・解決できるものは院内で最適なところに振り分けをする(あるいは自分が検査や治療する)ことです。これだと患者は、何があってもどこに相談すればよいか明確です。お役所の窓口のような、「それはあちら」「これはあそこ」の扱いを受けてさ迷う必要はありませんし、「あの先生の専門じゃないから」と細かいことの相談を医者にするのを遠慮することも不必要になります(医者からは見えにくいのですが、この「遠慮」がまた不満につながります)。金銭的なことや社会福祉のこともその「全身担当医」から相談室につないでもらいましょう。退院後の生活は入院生活の延長上に直結しているのですから、それも治療の一環のはずです。(この構想をさらにもう一歩進めたら、担当は医師免許を持っていない人でもよいかもしれません。病院に存在するすべてのリソースとの交渉と活用ができる人なら医療資格にこだわる必要はないのです)

 本当は「主治医」をやっている「専門医」に、そういった機能を果たしてもらいたい所なんですけどね。これは医者が増えて(あるいは受け持ち患者数が減って)しかもその医者が若い時にそういった経験をたくさん積んでいないと無理でしょう。というか、こういった問題は、医者が個人としてがんばって解決することではなくて、病院がシステムとして対応するべきものです。病院はさまざまな専門技能が集結した「組織」なのですから。……おっと、個別の病院ががんばって解決するべき問題ではありませんね。日本の病院システムとして取り組まなくてはいけないはずです。

 ともかく、今の総合病院には、私のようなローカル(あるいはロートル)医者の目から見ても改善したいところがあります。まして患者の目からはもっとたくさん見えているんじゃないかなあ。それを上手くすくい上げて活用したら、「不満」は「改善のためのポジティブな問題提起」になるのですが。


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2008.10.02 18:50 |  診療  |  仕事 / 職場  |  その他(医療関連)  |  おかだ  | 推薦数 : 1

 後日談

 本年8月14日に書いた「設計ミス?」の後日談です。報告を書くのが遅くなりましたが、それは、メーカーの対応が遅かったのではなくて、のんびりしてメールを送るのをさぼっていた私のせいです。
 膀胱の残尿量を測定する機器のグリップがつかみにくいことをメーカーに知らせましたが、その返事は「アメリカからの輸入品なので、製造元に申し入れる」でした。ヘッドヘビーな設計なのでグリップがあまり細いと不安定になるかもしれませんが、そのへんを上手く改良してくれることを祈っています。手のでかい人が作ったのだったら「日本人はなに変なことをいっているのだ?」になっちゃうかな。しかし国産は無理なんですかねえ。需要は多いように思うのですが。病院に関してだけでも、泌尿器科だけではなくて内科・婦人科・脳神経外科・小児科・精神科・ICU・療養病棟など、あるいは病院や開業医だけではなくて訪問看護ステーションとか老健とか、一台あったら便利です(って、まるでセールスマンの口上ですね)。



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2008.10.02 06:44 |  生活 / くらし  |  その他(一般)  |  その他(医療関連)  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 2

 失業希望

 消防士は「火事のないこと」を願うでしょう。警察官は「犯罪が発生しないこと」を願うでしょう。
 それは「その方が仕事をさぼれて楽だから」ではなくて「そんな(火事や犯罪に満たされていない)世の中の方が望ましいから」です。
 同じように私は「病気や怪我で苦しむ人がいない世の中」を願います。

 だけど、上に書いたことはすべて「自分は失業したい」といっているわけです。「火事が絶対起きない世界」には消防署はありません。「犯罪が絶対発生しない世界」では犯罪捜査に関する人員は不必要です。そして「病気も怪我もない世界」では医者の存在価値はありません。

 「自分の職業がなくなること」を願うのは、やっぱり、変ですか?

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読売新聞の記事です。 

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080930-OYT1T00346.htm
>>兵庫県の1歳9か月の男児が、こんにゃく入りゼリーをのどに詰まらせて死亡していたことを30日、国民生活センターが発表した。
 同センターによると、こんにゃく入りゼリーによる死亡事故は、判明しているだけで1995年以降計17件目。同センターでは「幼児や高齢者には食べさせないでほしい」と注意を呼びかけている。


 なんだかため息が出ます。これだけ定期的に死者が出ているのに、根本的な対策が一切取られていないことと、これだけ死者が出ていることが知られているのにそれでも幼児に食べさせる人がいることに対して。つまり「気をつけて」は対策ではないのです。と言って、会社を責めることや「製造を禁止しろ」も根本的な対策ではありません。私個人としてはこんにゃくゼリーはふだん食べないから痛くも痒くもありませんが、ピンポイントで製造や販売を禁止すれば「こんにゃくゼリーによる窒息死」はなくなるでしょうが、単なる禁止では何の教訓も得られず、将来のそれと同種の食品による新たな死者を予防することはできないことが気になります。

 

 なぜ窒息死がでるのか、それをどうやったら予防できるのか、ちょっと考えてみましょう。

1)形:たとえばトローチの穴は窒息防止用です。あの大きさでも窒息する、を覚えておきましょう。では、それと同様にこんにゃくゼリーにも穴を……は無意味ですね。圧迫されたらその穴はすぐ潰れてしまいますし、気管の中でこんにゃくゼリーが横に向いたら穴はふさがってしまいますから。
2)大きさ:今の大きさがもしかしたら気管に詰まるのにちょうどのものかもしれません。だったらそれより小さくするか大きくするのが解決となります。小さければたとえ気管に入ってもそのまま奥に行って、そこで詰まったとしても気管支レベル以下(片肺よりももっと下)です。人間は片肺なら生きられますから、メインの気管さえ詰まらなければとりあえずは死にません(もちろん長く片肺が詰まっていたらそれは拙いですが)。逆に大きければ、のどの奥までは入りません。指で掻き出したり掃除機の細いアタッチメントで吸引することも可能です。
3)固さ:柔らかければちょっと圧力をかけてもくずれるから、たとえ気管に詰まっても咳で何とか空気の通路ができそうです。ただしそれだとただのゼリーでこんにゃくゼリーではなくなってしまいます。ならば、たとえば一つのこんにゃくゼリーの中に層状に柔らかいゼリーをはさんで、たとえ吸い込んでしまってもそこから分離して崩れる、という仕組みを私は考えました。ただしネックは製造の手間とそれに伴うコスト上昇です。
4)食べ方:子どもたちの食べ方を見ていると、蓋のシールを剝いたらそのまま口元に持っていってちゅっと吸い込んでいます。吸い込む勢いが強ければ強いほど、こんにゃくゼリーが口をあっさり通過してのど(気管)に飛び込む確率は高まります。ならば吸い込む勢いを弱くする、あるいは、吸い込まなくても食べられる(あるいは吸い込めなくする)包装にすれば、死者が出る確率は減るはずです。現在の包装はおそらく製造法(充塡による大量生産)と清潔さとコストのかねあいの点ではベストに近いものなのでしょう。しかし、それで死者が出るのは困ります。たとえばプラスチック容器の強度をピンホールが出ない程度に弱めるとか、クッキーやキャンディーのような柔らかいプラスチックで個別包装するという手段も考えられます。不潔になってはいけませんから、キャラメルのような紙での包装は無理でしょうけれど、なにか工夫ができるはず。そうだなあ、蓋のシールを剝いたらそのまま容器にも大きくひびが入る(だから強く吸い込まなくて良い)、なんて形状にはできませんかねえ。企業はまだ努力の余地があるはずです。

 で、記事の最後に
>> こんにゃく入りゼリーの事故に対し、行政は所管の官庁が明確でないことを理由に、抜本的な対策を打ち出せずにいる。

 「所轄が明確ではない」から導き出される結論は「だから誰も何もやらない。誰かやってくれ、と願うのみ」だけになるとは限りません。「関係ありそうなところが皆集まって情報交換と対策の検討をする」という“結論”もあり得るんですけどねえ。そちらを選択しない日本の行政に関する根本的な問題は、「国民のために何かしよう」という気概と想像力と行動力を欠いていることかな。


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 診断書を書くのは気を遣うものですが、私がいろいろ書いてきた中で大変なものの横綱格が脳卒中後の運転免許の診断書です。たとえば障害認定の診断書はお金(患者さんの人生そのもの)がからむので大変緊張しますが、運転免許に関しては日本語解読で苦労するのです。

 参考までに、運転免許証のことで公安委員会に提出する診断書(脳卒中・脳腫瘍関係のもの)の「3 現時点での病状(改善の見込み等)についての意見」を引用してみます。(医者はこの中のどれかに○をつけたり( )に数字を入れたり□にチェックを入れなければなりません)

(ア)脳梗塞等の発作により、次の障害のいずれかが繰り返し生じている
   (意識障害、見当識障害、記憶障害、判断障害、注意障害、視覚障害(視力・視野障害))
(イ)発作のおそれの観点から、運転を控えるべきである。
(ウ)運転を控えるべきであるが、6か月以内に「運転を控える必要はない」と診断できることが見込まれる。
(エ)運転を控えるべきであるが、6か月より短期間(  か月)で「運転を控える必要はない」と診断できることが見込まれる。
(オ)6か月以内に「今後(  )年程度であれば、発作のおそれの観点からは、運転を控える必要はない」と診断できることが見込まれる。
(カ)6か月より短期間(  か月)で「今後(  )年程度であれば、発作のおそれの観点からは、運転を控える必要はない」と診断できることが見込まれる。
(キ)今後(  )年程度であれば、発作のおそれの観点からは、運転を控えるべきとはいえない。
(ク)上記ア〜キのいずれにも該当しない
   □回復して脳梗塞等にかかっているとはいえない。
   □脳梗塞等にかかっているが、発作のおそれの観点からは、運転を控える必要はない等。


 素直に読んで「悪文だなあ」が最初の私の感想です。官僚の文書の特徴ですが、構文はもたもたぐにゃぐにゃしており、「相手と何かをきちんとコミュニケートしたい」という願望をみごとに欠いた機械的で形式的な文章です。
 また、「発作」の定義がありません。(ア)で「脳梗塞等の発作により」とあるし「脳卒中の診断書だから『脳卒中の発作』に決まっているだろう」と言いたいのかもしれませんが、脳卒中後遺症としてあるいは頭の手術後によく出現するけいれんなども「発作」です。それはどう扱うのでしょうか?
 「6か月」というのも変な日本語です。私の感覚では「6箇月」または「6ヶ月」の方が自然な日本語です(さらに言うなら「6」よりは「六」の方が好ましいでしょう)。わざわざ「箇」「ヶ」をひらがなに開く感覚が私にはわかりません。(「ヶ」はカタカナの「ケ」を「か」と読んでいるわけではありませんよ。「箇」の略字である「个」(上向きの矢印に似ていますが、「竹」の半分です。もともと「竹」はこの「个」が横に二つ並んで「个个」と書かれていました)が崩されて変形した文字が「ヶ」です。まあ、なにをひらがなにひらくかはそのひとのにほんごせんすにまかされる、といえるのかもしれませんが、なんでもてきとうにひらがなにひらけばいいというものでもないでしょう)

 悪文という「形式」の次は「内容」について。
 (ア)では「脳卒中後遺症は繰り返し生じるもの」と扱われています。自分が使った「発作」ということばに引きずられているのでしょうが、ああいった後遺障害は波状攻撃のように出現するものでしたっけ?
 (イ)は、運転中に「発作」がおきるから運転をしてはならない、ということでしょう。脳卒中に再発はつきものですが、それがちょうど運転中に起きるかどうか、誰にわかります?(疑問ではなくて反語)
 それが正確にわかるのなら、私は医者ではなくて予言者になります。でも、予言者が書くのは、診断書ではなくて予言書です。

 (ウ)〜(カ)の「(6か月ではなくて)六ヶ月」への異常なこだわりも、理解不能です。さらに(エ)とか(カ)に至っては、公安委員会は医者に何を求めているのでしょうか。やっぱり、予言? さらに「(ウ)と(エ)」「(オ)と(カ)」の区別の必要性がさっぱりわかりません。「六ヶ月以内」と「六ヶ月より短期間」とを区別する理由って、なに?
 (キ)も(  )年後にはまた危うくなるよ、と予言しろ、との要求です。「キーッ」と言いたくなります。
 (ク)も不思議です。「脳梗塞等にかかっているとはいえない」とはどんな状態を想定しているのでしょう? 一過性脳虚血発作など後遺症が残らない脳卒中のことに読めますが、そんな人は最初からこんな診断書を求めはしません。さっさと免許センターに行ってふつうに列に並んでいるはずです。目に見える後遺症が残っているからこんな診断書が必要になるのですが、『後遺症がある」=「全快した」とは普通の日本語では言いませんよね?(労災では「症状が固定してそれ以上治らない状態」を「治癒した」と定義していますが、それと同類の官僚の独善日本語かな?)

 もちろん医者は病気に関しては専門家ですから、病気とその後遺症に関しての現状についてはきちんと述べることができます。しかし「いつ再発作を起こすか」の予言や「その人が運転適格者か」の職業的判定は医者の仕事とは思っていません。それは予言者や「運転の専門家」の仕事です。(そもそも病院には運転シミュレーターなどはありませんから、実際の運転状況に本人が対応可能かどうかの判定には「想像力」しか使えないのですが、それはつまりエビデンスを欠いた判断ということになります)
 たとえば半身麻痺だったら、どの程度の半身麻痺かは医者が言えますが、それに対してどのように車を改造したら健常な上下肢だけで安全に運転が可能かのアドバイスと判定・視野狭窄だったらどのくらいの視力や視野が残存していたら安全な運転が可能かの基準設定、それらは医者よりも交通関係者の方が詳しいはずです。というか、そういったエビデンスを知らないで運転免許をあんなにたくさん交付しているわけではありませんよね。当然、健常者であろうが障害者であろうが老齢者であろうが「運転免許を取得するためにクリアするべき心身の基準」が厳として存在しているはずです。

 それが、(ア)(イ)に医者がマルをしたら、誰も何も考えずに即刻運転免許は取り消しです。
 ちょっと待って。
 (ア)には高次脳機能障害が並んでいますが、問題は「あるかないか」だけではなくて「その程度(運転が可能か/安全運転が可能か)」です。その判断を一切せずに「医者が言ったから」とそのまま免許を取り消すのが、公安委員会の仕事? そのための最終判断は、医者に丸投げするのではなくて、免許を交付する人が責任を持って行うべきではありません? 例えば、運転シミュレーターの活用とか、机上での道路交通法のテストとか、できること/やるべきことはあると私は思います。さらに、脳卒中後遺症の高次脳機能障害は少しずつ回復します(しない人もいますが)。そのことについてのフォロー(「敗者復活」の可能性)はしない気ですか。
 さらに、安定していて「繰り返し生じ」ない高次脳機能障害やここに書いてない障害(たとえば失行や失調や半側空間無視など)がある場合、医者はどこにマルをつければいいのでしょうねえ。

 こんな悪文の診断書を書くことを医者に強制して、「その人の現状が実際に運転に適しているか」の判断努力は一切しないで(さらにその明確なエビデンスも示さず)、「医者が言ったから免許は取り消しね。恨むんだったら医者を恨め」と逃げる態度を見せつけられるのは、医者としては非常に不愉快です。

 「自分が仕事をせずにすむこと(やるとしても机上だけ)」と「自分が責任を取らずにすむこと」に熱心になることと、ことばに関して重箱の隅の整合性だけを整えるのではなくて、診断書の文案をつくる時に、臨床経験のない官僚だけで文章をひねくり回す前に臨床経験が豊富な人間と協議すれば良いのになあ、とつくづく思います。

 現実を見て批判するだけなら、診断をつけただけで患者を放り出す無責任医者と同じになりますから、「ならばそこからどうするか」もちょっと考えてみましょう。(それでも「診断さえつけられないヤブ医者」よりはマシ、かもしれませんが……)
 もし私がこういった診断書をつくるとしたら……運転に必要な心身の能力の最低基準を明示した上で
1)運転は可能(病気はあっても、その人の運動能力や判断力などに悪影響なし)
2)条件付きで可能(車の改造、安全教育とその確認の筆記テスト、シミュレーターで危機管理能力のテスト、公道での実地運転テストなどを優秀な成績でパスすること)
3)運転は不可、ただし保留にして後日再判定(これが不満なら、本人の申し立てで2へ)
4)運転は不可(免許取り消し)

を医者に判断させることを基本骨格にして、その上で日本語にもう少し枝葉をつけたものにするでしょうね。大切なのは「病名の有無」ではなくて、「その人が安全に車の運転ができるかどうか」(回りに危害や損害をなるべく及ぼさないこと)なのですから。ついでに言うなら、この診断書は脳卒中後遺症を持つ人専用ではなくて、健常者にもそのまま使える汎用性を持っているべきだと私は考えます。

 こんなことを言っても、その結果自分の仕事が増えしかも責任まで負わされる官僚には、鼻であしらわれるだけでしょう。でも、仕事の丸投げや無責任体制が嫌いな人には、頷いてもらえるかも。


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