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大窪寺の本堂
以下がHP最後の文章です
2007年2月11日(日)から、仕事の合間の休みを見つけては、「区切りうち」で歩き始め、
1年半で結願(けちがん)しました。春夏秋冬、広島市から四国への大変な長距離の往復でした。
一番から歩いているうちに、段々気分が明るくなって、自信が出てきました。
私の欝(うつ)症状を始めとする多くの煩悩が消えたり、小さくなったりしました。
2004年に相次いで亡くなった両親の供養もできました。(親不孝の償いは出来ていませんが・・・)
励ましの声をかけたり、お接待をしてくださったり、アドバイスをくださったり、
笑顔で迎えてくださったり、安くて美味しい食事を用意してくださったり、
無数の後押しを受けての1400キロでした。弘法大師さんを始め、
昔から今に至る四国の遍路文化を支えてくださった四国の皆さんに感謝します。
旅の間に、仏教の本を何冊か読む機会が与えられました。私はもとクリスチャンでしたが、
今は無宗派の仏教徒に近いと思っています。仏教の魅力も段々理解できて来ました。
日本の仏教は世界に誇れる文化でもあり、もっと勉強、修行しようと思っています。
思想、信条、宗派を越えて、お遍路は人の心を癒す力があることを身をもって
体験しました。私のこの体験をもっと多くの人と分かち合いたいと思っています。
これからもお遍路の発展と、遍路みちの世界遺産の登録に少しでもお手伝いしようと思っています。
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はまあるき
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私の論文が「ちりぼたん」に載りました。
日本貝類学会機関紙)「ちりぼたん」Vol.39,No.1 (2008)
私のHPに全文のせました。
http://www2.ocn.ne.jp/~haguman/nimaikai.htm
自由に引用してください。出典を明らかにして。
序文のみ、紹介いたします。
はじめに
最近、瀬戸内海で二枚貝が取れなくなったと、一般にいわれるようになった。
特に、アサリ(Ruditapes philippinarum)が取れるところが少なくなり、ハマグリ
(Meretrix lusoria)はほとんど取れなくなったといわれる。そこで、瀬戸内海広域で
二枚貝の生息調査を行った。2004~2006年に瀬戸内海の8県の大きな川の河口干潟、
合計24ヶ所で、二枚貝の生息調査を行なった。山口県30ヶ所と広島県広島湾10ヵ所
の二枚貝生息調査は既に、「ちりぼたん」(2003)で報告した。この報告に
新たにアサリ1㎡コドラート調査を含め、アサリ生息量評価点数の評価を総湿重量
で行い、調査範囲を8県に拡げた。
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はまあるき
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延光寺の梵鐘を背負った赤亀像
ここのお寺の梵鐘は境内に住んでいた赤亀が竜宮城から運んできたという伝説があります。実は、私の推測ですが、昔、宿毛(すくも)の海岸で、村人が赤亀の周りの流木を取り除いたり、けものを追い払ったりしながら、「うちの村は貧乏でお寺に梵鐘も買えん。赤亀さん、竜宮城から梵鐘をひとつ持って帰ってくれんだろか」と話しかけているのをそこに通りかかった宿毛港に出入りしている大阪の商人が小耳に挟み、大阪からこっそり梵鐘を寺に運んだものです。それを知らない村人が、突然あらわれた梵鐘をみて、これは赤亀が運んだのに違いないと思ったのです。
はまあるき
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ジョン万次郎の立像
6月8日 四国最産南端の足摺岬にお遍路でたどり着きました。
まず迎えてくれたのはジョン万次郎の立像の立像でした。
そして、第38番札所金剛福寺を参拝しました。
注:ジョン万次郎(ジョン まんじろう、1827年1月27日~1898年11月12日)本名、中濱万次郎(なかはままんじろう)
土佐国中浜村(現在の高知県土佐清水市中浜)の貧しい漁師の次男に生まれた。1841年、14歳の時に漁師の手伝いで漁に出たあと遭難し、5日半漂流後奇跡的に太平洋に浮かぶ無人島の鳥島に漂着して143日間生活した。そこでアメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号に仲間と共に救われる。アメリカに渡った万次郎はホイットフィールド船長の養子となって一緒に暮らし、学校で英語造船技術などを学ぶ。寝る間を惜しんで熱心に勉強し、首席となる。帰国の資金を得るため、ゴールドラッシュであったカルフォルニアで金を採掘する(おそらくゴールドラッシュに参加した唯一の日本人であろう)。得た資金で船を購入し「アドベンチャー号」と名付け、ハワイに寄港、元の仲間と再会し、1851年)共にの琉球に到達して、番所で尋問を受けたのに薩摩の本土に送られた。薩摩藩の洋学校(開成所)で英語の講師をしている。英会話書『日米対話捷径』の執筆をした。日米修好通商条約の批准書を交換するための遣米使節団の一人として、咸臨丸に乗ってアメリカに渡る。維新後、開成学校(現・東京大学)の教授に任命される。 (1898年)71歳で亡くる。
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←(クリックすると、画像は拡大します。)
5月の連休に3日続けてお遍路で高知県を3~40キロあるき、毎日宿で、かつおのたたきを食べ、ビールを飲むという、高尿酸血症のひとがやってはいけないことをやって、3日目に、とうとう右の足親指が激しく痛みました。
上のような本を買っえ読みました。
今日から、ザイロリック1錠とウラリット錠6錠を毎日飲んでいます。
不謹慎で、罰があたりました。
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