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2008.03.21 23:21 |  生活 / くらし  |  映画 / 音楽 / 読書  |  はま あるき  | 推薦数 : 0

『ビルマの竪琴』

 昨日、『ビルマの竪琴』(1965年製作)を見ました。過去1年間でみた映画で一番感激するものでした。あまり、涙を出さない私が、涙が止まりませんでした。60才を過ぎ、両親も見送り、何人もの知人友人を見送ったからこそ、この映画素晴らしさが解るのでしょう。たしか、中学校の頃、一度これと同じものをみたのですが、今回見ると全く別物のようです。四国の歩き遍路もあと6寺を残すのみとなり、仏教の良さをだいぶ知ってきて、タイの仏教のよさも映画で再認しました。

 以下、あるHPから得た説明です。

 

ビルマの竪琴』は、竹山道雄が執筆した児童読み物。市川崑の監督によって、1956年1985年に、2回映画化された。

 

時は1945年7月日本軍はビルマ(現在のミャンマー)で連合軍の猛反抗に遭い、戦局は非常に悪くなっていた。

日本軍のある小隊長は音楽学校の出身で、自らの小隊の隊員に合唱を教えていた。そのため、隊員達は歌うことによって、隊の規律と慰めと団結を得ていたのであった。中でも、水島上等兵は才があったため、音楽に熱中し、竪琴演奏を得意として、部隊でたびたび演奏を行っていた。また、水島はビルマ人の格好で斥候に出て、状況を竪琴で小隊に知らせていた。

終戦を迎え、小隊は捕虜となり、ムドンの捕虜収容所に送られる。しかし、終戦を知らない部隊が三角山で戦闘を続けており、このままでは全滅する状況だった。そこで、イギリス軍と交渉して、水島が連絡に行くが、消息不明となる。その後、水島を案じる隊員たちの前に、青いオウムを肩に乗せた、水島によく似た青年仏教僧が現れる。隊員はそのを呼び止めたが、僧は一言も返さず、逃げるように歩み去った。

水島は、三角山に立てこもる部隊を説得するも、その部隊は自滅の道を選ぶ。その後、水島は再びムドンへ向うと、道々で無数の日本兵の死体に出くわす。水島は、あの人達の休まる場所を作ってあげずに、自分だけ帰国することはできないと思い、この地に留まろうと決心する。その後、水島は本当の僧侶となる。

物売りの話から、隊長は、おおよその事情を推察した。その物売りからオウムを譲り受け、「オーイ、ミズシマ、イッショニ、ニッポンヘカエロウ」と日本語を覚えこませた。数日後、隊が森の中で合唱していると、大仏の胎内にいた水島はそれを聞きつけ、思わず竪琴を夢中で弾き始めた。隊員達は大仏の鉄扉を開けようとするが、水島は開けようとしなかった。

その夜、小隊が3日後に日本へ帰国することが決まった。隊員達は、水島も引き連れて帰ろうと毎日合唱した。隊長は、日本語を覚えこませたオウムを水島に渡してくれるように、物売りに頼んだ。出発前日、水島が皆の前に姿を現した。収容所の柵ごしに隊員達は『埴生の宿』を合唱し、一緒に日本へ帰ろうと必死に呼びかけた。しかし、彼は黙ってうなだれ、『仰げば尊し』を弾く。祖国のメロディーに心打たれる隊員達を後に、水島は森の中へ去って行った。

翌日、帰国の途につく隊長のもとに、1羽のオウムが届く。そのオウムは「アア、ヤッパリジブンハ、カエルワケニハイカナイ」と叫ぶのだった。

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