ある本によれば精神の病の治療としての転地療法として勧められる場所は、
(以下私が勝手に要約します。)
① あまりさびしくない所。(しかし観光地はだめ)
② 間借りが一番いいが、無ければ旅館にする。
③ 和風の旅館がいいが、無ければ西洋風の質素なホテルを選ぶ。
④ 高層のいホテルは、自殺予防のため、避ける。
⑤ 夫婦で零細に営む木造の旅館がいい。
(夫婦が第一次産業:農林、漁業に兼業しているのがいい。)
⑥ 古すぎると、壁のシミに特別な意味を見出す患者がいるので、良くない。
⑦ 最初は落陽の見える西向きの部屋がよく、あと朝日の見える南の部屋に変わるといい。
⑧ 海岸の近くは、自殺念慮の患者にはいい。
⑨ その町に参拝者の少ない神社・仏閣があることが重要。
(その神主や僧侶が暇をもてあましているようなのがいい)
ある本とは、
「明るい反精神医学」(塚本千秋著:日本評論社;1700円+税:1999年)。
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ある本に、アニマルテラピー(アニマルアシステッドテラピー)で、不登校の子供が犬や猫を飼うといいと、
また睡眠覚醒リズム障害にはニワトリが、
ワークホリックの企業戦士にはナマケモノが、
神経性無食欲症の人には豚(ペット用のミニブタが流行っているそうです)がよい、と。
うちの職場のひとにこのことを話すと、じゃ、もともとナマケモノの人は何を飼えばいいのですか?と
わたしは、蟻を飼えばいいのではと答えました。
さて、みなさんは自分の心の癒しに何を飼いますか?
ある本とは、
「明るい反精神医学」(塚本千秋著:日本評論社;1700円+税:1999年)。
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1月14日、熊本県の杖立温泉に行きました。米屋別館という古くからの旅館がすばらしいのと、谷間の古い湯治場の雰囲気がいいのと、おまけにすごい「とんどや焼き」の祭りがみれました。土地の文化が良くわかるものでした。近くの国道212号線沿いの「豊作市場」は大規模で、家内はダンボール箱いっぱい買い物をしました。
それから、少し南のほう、南小国町の満願寺を参拝しました。鐘楼を兼ねた山門は
崩れそうなほど古かったけど、鐘を突きました。北条時定が作ったいう堂宇群は壊れたりして、寂れていました。墓も杉の根で持ち上がられ傾いていました。歴史的にも大切な所をもっと、大切にして欲しいです。
満願寺(熊本県、南小国町)
地名にも、使用されております満願寺は現在、寺の正式名を「立護山満願寺(りゅうござんまんがんじ)と号し高野山真言宗に属します。
今から、720年以上前の文永11年(西暦1274年)につじの亀山天皇の第二親王経杲大僧正を初代住職にお迎えし、元冠の役に際し日本国を守護するため毘沙門天王を本尊とし、鎌倉幕府の北条氏が建立した寺です。当初は、五坊や堂塔立ち並び壮大であったようです。
北条三氏の墳墓
文永11年(1274年)元冠の国難に 際し国土安泰、戦勝祈願のため満 願寺を建立した鎖酉奉行北条時定 同弟定宗、同嫡子随時三氏の墓。
鎌倉時代の面影 をなし、背後に宝形があるのは特 異な様式。 三基の五輪堪は、
杉群も当時に植えられ たものであるどいう。
詳しくは、下のHPで
http://www.aso-wa.com/manganji/02yurai.htm
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青の洞門を掘ったという禅海が修行したお寺興禅院を参拝しました。1月13日、湯布院の田園地帯の真ん中でした。 禅海の像と、
興禅院の山門の写真です。
禅海(ぜんかい、(1691~1774年)は、江戸時代中期の曹洞宗の僧。両親が亡くなった事から世の無常を感じて出家し、諸国を行脚。 菊池寛の小説「恩讐の彼方」では、主殺しの罪滅ぼしのためと書かれている。大分県の耶馬溪の青の洞門を開削したものとして知られる。豊後国羅漢寺を参詣した時、川沿いの断崖にかけられた桟橋が危険なことを知り、陸道の掘削を思いついた。1730年ころ、掘削を始めたが、その後周辺の村民や九州諸藩の領主の援助を得て30年余りの歳月をかけて、1763年に完成させた。
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1月13日由布院に2回目行きました。
まず旅館、高い。いいのは亀の井と玉の湯だけ。われわれには高すぎて高嶺の花。他の旅館も、予約しにくて、高い。
湯の壷など商店街は、京都の清水寺や伏見神社のの観光客目当ての店のようなもの。わざわざ旅費を出してみるものでもない。
ギャラリーも都会の企画展で見れるものより、いいものではない。マルク・シャガール美術館が少しまし。有名なアルテジオのギャラリーの作家は私の好みではない。多分一般受けしない。
由布岳はいい。山登りだけならお勧め。 みるなら、ドライブで十分。阿蘇や九重のほうがいい。
私たち夫婦は、スカーボロというレトロなバスで一周。これはお勧め。
唯一、昔の由布院の雰囲気を残しているのが、お寺だと思います。禅宗臨済宗のお寺仏山寺と青の洞門を作った禅海が修行した禅宗曹洞宗興禅寺が素晴らしいのが救いでした。
はまあるき
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調べてみると、黒耳とは魚付き保安林のこと。多分、遠くから見ると茂みが黒い陸地の縁(パンのんの耳と言うように、耳とは辺縁のこと)のように見えたのでしょう。
はまあるき
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マニアックな店です。看板はありません。店も昔風の民家です。珈琲以外は何もだしません。周りは畠と山しかみえません。焙煎の小屋が良く見れば見えます。
でも、私はまた行きます。口づてだけで、客は来て、もう13年も営業しています。広島の五日市インターから20分ぐらいのところ、ゴルフ場の「戸山カントリークラブ」手前にある店です。ここをたずねなければ、本当の珈琲マニアとはいえません。
1月6日私はペルーの珈琲をここで飲みました。今年で一番美味しいコーヒーでした。
内緒かもしれませんが、あるHPを載せます。
http://hamanet.jp/kaishoku/detail.aspx?txtKshopcd=1239
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昨年春、室戸岬に向かう手前、野根から入木という村の間にゴロゴロ海岸と言うところがありました。なにも変哲ない海岸なのでゴロゴロ休憩所で昼寝をしました。風の強いときには岩がゴロゴロと音を立てるそうです。「遍路道を辿る」(毎日新聞高知支局発行)によれば、「この海岸約4里は、人家も道もなかった。あるいたのはほとんどがヘンロであり、入木へたどり着く前に日が暮れると人命に関わる。このため藩は伏越(ふしごえ)に内番所を設け、昼までに到着した人のみに通行許可を与えていた」とのこと。
はまあるき
「遍路道を辿る」(毎日新聞高知支局発行)より
(この写真はクリックすると拡大します。)
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「四国霊場検定」(編集・発行:サンエイKK【多度津町北鴨1の703の5】,定価:600円、)を、香川県のある札所で購入し、試してみたら、108問のうち80問が正解でした。80問出来れば合格と書いてあったので、ぎりぎりでした。
第1問:四国八十八ヶ所霊場を開創した人はだれでしょう。といった感じです。
4.四国八十八ヶ所霊場はなぜ88の数を霊場としたのでしょう。の回答では、男・女・子供の厄年を合せた数、となっていますが、遍路本では定説はないという意見のほうが多いように思います。
61.第四十一番龍光寺は、馬や牛そして稲の守り本尊として・・・という質問があるのですが、これは四十二番仏木寺の間違いではと思うのですが!?
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1月3日竹原市の西方寺を参拝しました。
寺も、見晴台のような清水寺に似せた普明閣も素晴らしいつくりでした。
①山門と②浄土宗開祖の法然の立像と③普明閣の写真をお見せします。
【宗派名】浄土宗
【別名】
【住所】広島県竹原市竹原町
【本尊】弥陀三尊
【開山】西蓮社方誉元勝和尚
【開基】西蓮社方誉元勝和尚
【由緒】西方寺の草創は、永禄3年(1560)方誉元勝上人が伊予松山よりこの地に来り、念佛道場として寺を建立し、西方寺と称し、開山となった。その後慶長15年(1610)大火に遭ったが同16年国主福島正則公に願って、元小早川隆景公建立の禅宗妙法寺の廃寺跡に移転し、2代欣誉具三上人が正保4年(1647)堂宇を建立し西方寺を再興した。現在の本堂は、4代湛誉源超上人によって元禄15年(1702)に再建されたものである。また境内にある観音堂普明閣は、小早川隆景が建立したもので、妙法寺の本尊であった十一面観音像を安置している。この観音像は、もと平重盛の護身仏であったといわれる。その後、宝暦年間(1751-1764)、西方寺7世洞誉上人の時、京都清水寺の「清水の舞台」を模した舞台造りの高楼を建立した。この建造物は現存しており、西方寺の見所の1つとして親しまれている。
【寺宝】十一面観世音菩薩像(県重文)/観音堂普明閣(市重文)/その他多数
①
②
③
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