四国の室戸岬や、足摺岬で 補陀洛渡海(ふだらくとかい)が行われたことがあると聞いたので、調べてみました。
補陀洛(ふだら)とは古代サンスクリット語の観音浄土を意味する「ポータラカ」の音訳である。補陀洛は『華厳経』ではインドの南端に位置するとされる。またチベットのダライ・ラマの宮殿がポタラ宮と呼ばれたのもこれにちなむ。中世日本では、はるか南洋上に「補陀洛」が存在すると信じられ、これを目指して船出することを「補陀洛渡海」と称した。記録に明らかなだけでも日本の各地(那珂湊、足摺岬、室戸岬など)から40件を超える補陀洛渡海が行われており、そのうち25件が那智の補陀洛山寺から出発している。1000年に賀上(がとう)上人が室戸から補陀洛渡海した様が、『観音講式』(貞慶[じょうけい:1155~1213]に記されている。
(私見ですが、仏教では仏さまのお蔭で今自分が有難く存在しているので、頂いた命を粗末にしてはいけないと言うのが教えで、補陀洛思想は仏教からの逸脱というべきでしょう。)
生命について:『法句経』では「人に生まるるは難く、いま生命あるは難く、世に仏あるは難く、仏の教えを聞くは有難し。」とあります。仏教はその教えから根底にニヒリズムがあるように思われがちですが、煩悩を滅することによりこの世の現実の姿(実相)を感得しようとするもので、自己否定をするものではなく一切を肯定しようとする面が強い教えです。
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