煩悩が88あるからとか、男女子供の厄年の合計とか、空海が八大霊塔の土を持ち帰って、その倍数に撒いたとか、の説がありすが、定説はありません。『四国遍路と世界のの巡礼』(法蔵社)(2007)に、「・・・おそらく、観音巡礼の西国33ヶ所や、66部日本廻国、それに熊野詣の99王子などに導かれて、中世末期か、近世初頭に導入されたと思われる。・・・」という文章があります。この説が一番私には納得がいきます。ちなみに、『せつきようかるかや』(1631年版)にある記載「四国へんとハ八十八か所とハ申すなり」が目下のところ古い。とのことです。




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