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今、四国遍路中(区切り打ち)ですが、四国88ヶ所の多くの寺院が、(例えば第2番の極楽寺)長曾我部の兵火で消失したと説明文があります。長曾我部氏はけしからん人物かと思っていましたが、調べると、むしろ豊臣秀吉のほうがけしからんと思えてきました。以下、私の長曾我部元親に関する要約です。
長宗我部元親(1544~1599)
秀吉に伊予と讃岐を差し出すよう求められたが、元親は四国のうち伊予一国を秀吉に差し出し、自分は残り三国を領有したいと言った。秀吉には、これはむしろ元親の現状認識の甘さ、傲慢と見なされ、秀吉の軍は羽柴秀長を総大将に、総兵力12万余を三手に分け、四国征伐のため四国に入った。圧倒的な大軍を前に、4万の兵しかもたない元親は同(1587)年8月6日、2ヶ月で降伏。それでも秀吉の寛大な処置により、土佐一国のみ安堵された。
【こたつ城(http://kotatujo.cool.ne.jp/index.htm)より引用。詳しくはこのHPを!】
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