2007年9月16日  今日はJR日和佐(ひわさ)から道の駅「宍喰(ししくい)温泉」まで約38キロ。前日に最終列車で日和佐駅に着き、例のごとく一晩ベンチで寝て、朝6時に駅を出発。4キロも歩いて、日和佐トンネルの前で、頭陀袋(ずだぶくろ)を駅のベンチに忘れてきたのを思い出しました。ここは頭の使いどころ。104番で駅に一番近いタクシー会社の電話番号を聞き、タクシーの運転手さんに「駅のベンチに頭陀袋を忘れたのですが、タクシー代はもちろん払いますので、日和佐トンネルの前で待っているので、持ってきてくれませんか?」と。すると10分後にはちゃんと頭陀袋は手中に! 牟岐(むぎ)警察署の駐車場に最初の接待所のテントが。近くにお寺がないようなので、「皆さんはお寺の門徒さんですか?」に、「いいえ、地域のボランティアで、替わり番にやってます」と。少し雑談をして、御礼を言って出ようとすると「菜種の種ですが、花一杯の道運動をしているので、どこでもいいですから空き地に蒔いてくれませんか」と、菜種の紙袋を3個託されました。 雨が降ったり止んだりの中、牟岐(むぎ)町内妻(うちずま)海岸と海南町の大浜海岸で、ペンネームそのものの「はまあるき」をし、綺麗な貝を拾いました。 夕刻4時ごろ、海部駅の近くの東屋で休んでいると、大きな手押し車を各自で押して、夫婦が入ってこられました。「どこから来られましたか?」と、「大阪からです。生まれは琴平の近くですが、定年退職して遍路しています」と。「すべて野宿ですか?」に、いとも簡単に「そうです」と。「宗教は真言宗ですか?」に、「いいえ、浄土真宗です。いま遍路は4回目で、お不動さんのみ廻っています。「どうしてお不動さんを?」に、「お不動さんのほうが静かで雰囲気があり、住職さんとも話ができますからです。一番の霊山寺にも併設されていて、そこが一番で四国全県に合計36寺のお不動さんがあります」と。すぐ沖の奈佐(なさ)半島を左手に眺めながら歩いていると、学生と先生らしき人たち10人ばかりがなにやら浜で調査をしているようで、「何を調べておられますか?」とに、「こんなゴカイなど、なんでもです」と。「私は瀬戸内海の二枚貝の調査をしているのですが」と言うと、「ちょうどいい、この貝はなんですか?」と聞かれ、「たぶんシオヤガイです。瀬戸内海では見たことがないです」と。宍喰の道の駅に着くと、近くは多くの若者で賑やかです。海面を見ると、100人以上のサーファーが点在しています。道の駅「宍喰(ししくい)温泉http://www.tokushima-kankou.or.jp/)の宿泊所は満室で、4キロ先の甲浦(かんのうら)近くもやはりサーファーが多く満室で、駅近くの弁天旅館が空いていると言うことで、紹介してもらいました。弁天旅館では遍路さんは宿代が割引で、一泊2食付でたったの6000円!夕食は魚尽くしで美味しいこと。道の駅「宍喰温泉」から室戸岬までは約45キロ。旅館をまだ薄暗い6時半に出て、宍喰川の橋を渡っていると多くの人が鮎を釣っています。見物しているお年寄りに「引っ掛けつりですか?」と聞くと、「いや、えさ釣りです。えさはシラスみたいな塩漬けして白くなったさかなで、ここらではソレノレとゆうてます」と。甲浦(かんのうら)で杉本建設の前に接待所のテント。「お遍路さん、飲み物ご自由にどうぞ」とあるので、クーラーボックスから、深海層水のミネラルウオーターを一本。東洋町では東洋大師の道標が多く目に付いたので、お参りしようと、寺の前まで行ったのですが、門の両脇の石垣にすごく大きな日の丸が2枚掛けてあるので感じが悪いので、この寺はパス。それから、延々と左手は大海原、右手は山の急斜面の単調な景色。少し薄暗くなってやっと1キロ先に白い巨大な大師像がろうそくのように宙に浮いてるように見え、もうすぐだと足に力が入ります。中岡慎太郎(なかおか しんたろう、1838 1867)は、日本の志士 (活家)。陸援隊隊長。)の像の脇の室戸岬バス停に着いたのはもう6時半でした。この2日間は蒸し暑く、単調な道の歩きばかりで今までの遍路のなかで、一番きついコースでした。

さて、遍路をほぼ半分すまして、自分にとって何が変わったかと聞かれたら、「半分悟ったような振りをしなければいけないかなと考えることが一番かな」としか応えられません。悟りなど夢のまた夢です。確かに言えるのは「身体と心の健康にはいいです」と。「青い鳥」の物語に似て、悟りは遠い外の世界にあるのでなく、身近にあるのかも・・・

  

はま あるき

 

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2007.09.04 23:05 |   |  はま あるき  | 推薦数 : 0

第3回がん患者大集会(8月26日

 第3回がん患者大集会(826日)に参加しました。

一言に言えば、緩和ケアの充実と、ホスピスの増設と、がん治療の充実を!

以下が私の大雑把な要約と印象です。

=======================名称:第3回がん患者大集会

浜中和子さん(大会実行委員長、産婦人科医師、広島市)が挨拶。20074月から施行される「がん治療対策基本法」が成立するのに、この大会が原動力(ドライビング・フォース)となった、と。
 柳澤伯夫厚生労働大臣が挨拶。今年8月末のガン対策予算を昨年より30%アップする予定だと。任期が切れる直前だけど、中川幹事長が是非参加してくれといわれたのでと、遠慮気味に挨拶。

 講 演: がん患者と家族の思いを伝えよう

荒金 幸子  [呉共済病院 在宅医療指導管理室 師長/乳がん患者 ]

乳がんから4回の肝転移と脳下垂体移転が起こり、16年間闘病した。呉共済病院にがん専門医がいなく、病院を転々とした。副作用がきつかったんで、よい方法を、と。元気な明るい表情で、がん治療の充実を訴える姿に感動しました。

川守田 裕司  [ 岩手にホスピス設置を願う会 代表 ]

36歳で妻ががんで死亡した。6人部屋で床に寝て付き添った。WHO方式の緩和ケアーをしない医師は犯罪に近い、と。訥々と訴えられた。

逸見 晴恵  [ エッセイスト ]

逸見政正孝アナウンサーの奥さんで、自分も子宮がんの経験。逸見正孝氏は初期のがんといわれて手術したが、末期の浸潤がんだった。手術をしたことは失敗だった。セカンドオピニオンを聞くべきだった。自分の場合は、担当医から資料も、プレパラートももらい、セカンドもサードオピニオンも聞いた、と。

中島 英子  [ 胃がん患者 ]

22歳で胃がんと言われた。彼氏と四国88箇所のひとつで、天国に一番近い寺といわれている雲辺寺(910m)にお参りにいた。高知の「よさこい」に、もう3年連続で参加している。もう手術から8年たっている。毎年雲辺寺へお礼参りに行っている。「自分の命を自分らしく生きる」ようにしている、と。1年以内の再発率80%と言われたのにも拘わらず彼女の前向きな姿に、びっくり。

 

特別企画 がんになっても幸せな毎日を送るために

「がんと心のケア:希望を支えるサイコオンコロジー」の取り組み
内富 庸介  [
国立がんセンター、東病院臨床開発センター精神腫瘍学開発部、日本サイコオンコロジー学会代表世話人) ]

 サイコオンコロジー学会とは、がん患者と心とその治療を研究する学会である。

うつと不安ががん診断後は当初は約30%に、3年後には約10%に認められる。

再発の場合は40%にも認められる。患者の家族は第2の患者である。

「緩和ケアの広がりをめざして」
~広島県緩和ケア支援センターの取り組み~
本家 好文  [
広島県緩和ケア支援センター ]

 3年前にがん支援センターが開設された。緩和ケアー支援室と支援ケアー病棟から成り立っている。WHO2002年の「緩和ケアーの定義」は、生命を脅かす疾患に対して、社会的な、身体的な、心理・スピリチュアルな苦しみを軽減し、QOLを改善するためのアプローチ。モルヒネ、オキシコドン、フェンターニール等、麻薬類などの使用量が日本では欧米に比べて、10分の1である。

報 告 本田 麻由美  [ 厚生労働省がん対策推進協議会医院 ]

シンポジウム がん患者の心と体の痛み

 この集会の中心的な発起人新山義昭さん、三浦捷一、佐藤均さんが亡くなられた。この会はほとんどががんを抱えて苦しんできて、今も戦っている人たちが中心に頑張っている。緩和ケアの充実に猶予はない。

 以下のプログラムは私は私用にて、参加でしませんでした。

川守田 裕司  [ 岩手にホスピス設置を願う会代表 ]
瘍患者 ]
木村 慎吾  [
厚生省がん対策推進室 ]
石口 房子  [ YMCA
訪問看護ステーション・ピース所長 ]
栗原 幸江  [
静岡がんセンター緩和医療科心理療法士 ]
毛利 祐子  [
がん心のケアの会代表(乳がん患者) ]
横山 光恒  [ 会社員 悪性軟部腫

 

 大変教えられました。

 

 はま あるき

 

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はま あるき
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