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⑧石木幹人医師は2004年から岩手県立高田病院院長に就任し、毎年数億円の赤字を出していた病院を、地域密着型に改造し5年後には黒字に転換させました。高田病院は海岸から1キロほどのところにあり、最上階4回まで海水が押し寄せました。屋上に職員が患者を背中におぶったり、寝たまま質に載せて運んだりし、患者を誘導しますが、51人の患者のうち12人が、職員は8人亡くなりました。屋上に避難した人は合計で160人ほど。次の日には、自衛隊のヘリが全員米崎町のコミュニティーセンタへ救出します。13日には、「高田病院避難所」と張り紙をだし、救護所を立ち上げました。15日には、佐藤副院長と小児科の医師が山間の避難所に回りました。病院スタッフも疲労困憊の状態になったので、外部からのサポートも入ったので、三月後半から2週間完全休みとしました。彼は3月31日にある遺体安置所で奥さんを見つけられます。しかし、彼は定年までには病棟を立ち上げたいと準備しています。
⑨黒田仁医師は宮古市田老診療所で一人で24時間労働で、一日約60人の外来患者と、平均10人の入院患者を診察し、往診も訪問診療も、救急診察も行っていた。大地震の直後、まず5人の入院患者、内3人は寝たきり、を公民館へ搬送しました。彼は避難の途中、鍵をかけ忘れたと戻ろうとしている90歳のおばあさんに出会ったので、おばあさんを背負って、津波に追いかけられながら、高台に走って逃げました。田老地区の人口はやく4500人で、死者が140人、行方不明者が50人(4月現在)でています。この地区の人口約3ぶんの1が避難者となり、総合事務所と、小学校とお寺が避難所になりました。医師は一人だったので、彼が救護の指揮を取り、その合間に避難所も回りました。翌日から、彼は自分の頭にある記録を頼りに、最初は2日分を処方しました。4月には避難所はほとんど宮古市が所有する、保養型ホテル「グリーンピア三陸みやこ」へ引っ越しました。彼は、年寄りや障害のある人や子どものかずの情報により、250人を客室に、400人をアリーナに振り分けました。しかし、彼は2004年の3月末に、この診療所を去ります。(訳は皆さんも想像のごとく行政の・・・)
最後の章で、監修者の海堂尊医師は、Ai(死体CT画像診断)をリース会社や石巻医師会の協力を得て、経費も寄付して、導入しようと試みますが、県警の不協力にあって、実現できなかったことを残念がっていました。実現していたら、身元も死因ももっとわかっていたとおもわれます。また、日本赤十字に寄せられた義捐金が、塩漬け状態にあい、あまりにも配布が遅いので、寄付金は被災地の医療現場にするべきだと主張しています。
先生方へ、勝手な、偏った紹介ですみません。
大変感動し、皆様に最後に深い敬意を表します。
ブロッガーはまあるき
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日食用のオペラグラスはもう用が無いのかと思っていたら、役にたちそうです。
7時半から、13時半ぐらいの間です。
6月6日全国で見られる.金星の日面経過とは,太陽-金星-地球がほぼ1直線状となり,金星が黒い点となって太陽の前を横切っていく現象を指し,太陽面通過と呼ぶこともある.2006年11月9日には水星も見られたが,金星の場合はみかけの大きさが太陽の32分の1程度と大きく,見ごたえが違う.また,今回は日の出や日の入りにかからず,最初から最後まで経過の全過程を眺められる.
前回は8年前の2004年6月8日だったが,次回は105.5年後の2117年12月11日までない.日食と違い国内に限った話ではないので,よほど長生きをしない限りは今回がラストチャンスとなるわけで,絶対に見逃せない.
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⑥江澤庸博歯科医師は宮城県警察の警察歯科医です。そして、宮城県歯科医師会身元確認班班長です。東北大学歯学部の協力で、歯科医師が動員され、最も多かったのは3月17日の66名です。一人に対して、検視してデンタルチャートを完成させるまで慣れても約15分かかります。遺体の収容人数が1日で一番多かったのは災害から数日経過した頃で、1日で千体以上もの遺体が検案所に運ばれました。用いられたデンタルチャートは福島方式と言われるものをさらに改良したものでした。福島方式のデンタルチャートは御巣鷹山日航機事故のとき、福島の歯科医師印南先生が製作したものです。検診は特に慣れない先生にとっては辛いもので、その中で一番辛かったのは、石巻の大川小学校に児童の検視にあたった先生方かもしれません。全児童108人のうち74人が死亡・行方不明になりました。ご遺体の検死において宮城県は91%以上の高い身元判明率(7月時点)を達成しています。
⑦ 川越一男医師は救命救急医が専門。千葉県市原市の自分の病院スタッフと5人のチームを作り、備品も医療道具も全て自分で揃え、病院の救急車とワゴン車2台で、16日には出発しました。千葉県医師会のJMATとして登録して、県立石巻病院に向かいます。避難所の回診をたのまれ、県立石巻病院の看護婦に案内してもらい、1日目は釜石地区の7箇所の避難所を回りました。2日目は大槌地区の避難所を回りました。19日までの百十数人の診察をしました。外科的な治療はあまり必要なく、内科的な、高血圧や糖尿病の治療が主でした。津波に襲われた人は怪我をしただけでなく、圧倒的に亡くなっていたのです。2回目の現地入りは3月29日から4月3日までで、大槌病院や他のクリニックもほぼ全壊しているので、訪問診療も途絶えていたので、巡回診療を重点にしました。「本当に遠いところから来てくれてありがとう」といわれたときには、来てよかったと感じたそうです。
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続きの書評です。
冷静、敏速、考慮の、すばらしい救援、医療活動です。
③井坂晶医師は原発の近くの豊岡町で開業していて、3月12日に、理由も解らず、支持されるまま、川内村に避難します。川内村の集会所や避難所で患者の診察をします。しかし、そこも危ないので、16日には郡山市の「ビッグパレットふくしま」に移動されます。最初の頃は2700人ぐらいが避難していて、一日で200人以上診察しました。3月19日からはDMATなどの医療チームの援助を受け、重症の人は他の大きな病院に送りました。彼は県にたのみこんで、1ヶ月後に診療所を立ち上げました。3ヶ月のあいだに、「ビッグパレットふくしま」で一人も命を失った方がいなかったことが、誇りだと云われています。このあいだ、もちろん、彼の病院は手付かずで、避難所での彼の仕事はボランティア(無償)でした。
④旭俊臣医師は千葉県の「心のケアーチーム」として、5月1日から5日まで、陸前高田市に精神科スタッフ5人のメンバーで入ります。彼は、被災者に対する「巡回型の心のケア」、デイケアのシステムを作りました。チームに作業療法士を加えました。地域で活躍している保健婦と一緒に巡回しました。彼は高齢者の医療のためには、「心技体」の医療を提唱しています。心は「心のケア」、技は「リハビリ技術、体は身体合併症の治療です。
⑤植田俊郎医師の医院は4階建てで、3階まで津波にどっぷりつかります。近くの人と、医院の職員などと18人が医院に避難し、翌12日自衛隊のヘリで救出され、寺野の弓道場におくられます。そこに400人の避難者がいて、医師は彼一人だったので、避難してる医院のスタッフと共にさっそく診療にあたります。まず、彼は透析患者2人を八戸市の日赤病院にヘリに同乗して送りました。15日には釜石まで緊急車両がいけるようになったので、重症患者をそちらへ搬送する準備をしました。大槌町は、町長だけでなく、15000人の町民のうち、死者779人で、行方不明952人の惨事でした。彼はもと山岳部で、心身共のタフさと山岳部で得た非常時の知恵が此の際、随分役立ったようです。
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