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夢見る掃除人 / 2009.06.05 13:04 / 推薦数 : 4
「情状酌量の悪夢」
それは、92年の2月、寒い冬のことでした。
第一審が宇都宮地裁で始まった。
被疑者を後ろからつけて密かに入手したゴミ袋から採取したDNAは、被害者の衣服に付いていた体液のDNAと一致していたという。
検察は「証拠取ったり!」と、裁判官に死刑を求刑した。
弁護士は、「証拠崩れず」と鑑定の真偽を争うことを諦めた。
そして、弁護士が被告に持ちかけたのが、
1.「罪を認めて」
2.「情状酌量」
を勝ち取ることでした。
「わたしはやっていない」
という原点を争うことを、弁護士は「被告に選ばせなかった」のでした。
科学を信用するということは、かくも「無実の者」をも有罪にすることができるというのが、このたびの足利事件の衝撃的な教訓でした。
当時のDNA鑑定では、弁護士が選んだ量刑闘争を一方的に批判することはできないでしょう。なぜなら、問題は、当時の科学捜査の限界だったからです。そして、何よりも、この悲劇に立ちはだかる壁は、現代の「科学信仰」という大きな落とし穴かもしれません。
かくして、被告の声を聴くべき弁護士が、科学信仰の魔術にハマり、死刑から無期懲役への減刑という「情状酌量」を勝ち取った?のでした。
17年の「長い悲劇」の始まりでした。
***By ゆめみ***
--- June 5,2009 ---
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