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夢見る掃除人 / 2008.09.22 15:00 / 推薦数 : 3
「鑑定という限界」
そもそも、鑑定医が把握した情報そのものは、真実でしょうか?
鑑定医の一所見にすぎません。供述調書そのものが正しいかどうかは、「鑑定医の意見」の範囲でしかないのも常識です。ですから、もし公に問題提示する意見を述べるときは、一意見として述べるというスタンスが必要なのです。
知りえた事実を公にしてはダメな理由はありません。いくらでも、公にできる場はあります。学会や論文などで公にすることができます。医学にも社会にも貢献することができます。でもその場合、自らの供述調書そのものを貼り付けることは常識的にありえません。名前も伏せられるでしょう。
講談社と草薙氏は、そのようなスタンスとはまったく次元が違っています。意見をうかがうという名目で鑑定医に接近し、鑑定医を油断させて、「意見ではなく、供述調書そのもの」を、「無断でコピーして世に曝した(サラシタ)」のでした。
しかも、供述調書だけでなく、そのほかの証拠書類や少年の日記までもコピーしていることから(この部分はきっと公判を左右する「大変な意味」を持つはず)、供述調書以外のサラサレタ部分(表紙の殺人計画カレンダーなど)については、鑑定医の責任では全くないでしょう。
元検事ははたして、どの部分を漏えいしたと裁判官に指摘するでしょう。もし、供述調書以外の部分を誤って指摘すると、大変なことになる。なぜなら、鑑定医の作成したものではないからです。
(公判の大切な駆け引きをここで指南するとヤバイ?大丈夫。ヤバくなんかないよ。書籍に丸出しになってるから。)
さて、講談社や草薙氏は、必ず、「鑑定医の承諾」を持ち出してくることでしょう。承諾の範囲については、明らかです。「見るだけ」です。コピーをしないことを互いに約束していたのは、まぎれもない事実ですので、この約束違反をいったい彼らはどのように言い逃れするでしょう。彼らが追い詰められる日は近いかも知れません。
*****By ゆめみ
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