夢見る掃除人 / 2007.09.22 17:59 / 推薦数 : 4
サマリア法の立法化を願う人は、日本では少数派?。。。日本では、「アメリカのように立法化までしなくても、善意による行為に訴追はない」と、一般に解釈されているようですね。
しかし、昨今の事件における、不可抗力的なまれな予期せぬ事態(事故)では、そうした前置きは取り払われて、無過失責任が積極的に問われ始めています。
はたして、サマリア法が立法化されることで、こうした係争における議論の仕方が変わるでしょうか。。。ん~。こりゃちょっとむずかしいぞ。
知り合いのアメリカ人が言っていました。「サマリア法があっても、旅行中に遭遇する急病人の援助に、やはり積極的には手を挙げたがらない。特に同国のアメリカ人の場合は。」ということだそうです。
サマリア法が敢えて立法化された背景には、そうした訴訟の多い国柄にあって、助けを求めている緊急時に訴訟を気にせずに、とにかく名乗り出て助けてあげましょうという願いから生まれたのではないかと思います。
アメリカでは、支払のできない人は病院から追い出されるのが当たり前。支払あってのインフォームド・コンセント。薬のこと、治療のこと、手術のこと、なんでも聞いて当たり前。たしかに外来に来る外人は、風でも何でもなんでもしつこく分かるまできいてくる。「It’s all right. Don’t worry.大丈夫、大丈夫!」「Leave it to me.任せなさい」「That’s it.じゃまたね。」なんて言っても引きさ下がらない。あれやこれやと、よく柿食う客もとへ、よくきくお客です。そうした「自己責任」と「自費での支払い義務」は切っても切れない関係にあるようだ。欧米の風土というか、かれらの歴史が生み出した、物事の決め方、契約のあり方と言えるでしょう。
すなわち、アメリカにおけるサマリア法の立法化は、そうした契約社会、訴訟国家、非皆保険を背景にして生まれた副産物なのかもしれません。
さて、日本は、国民皆保険です。保険証さえあれば「だれでも、いつでも、どこでも」最高の治療をしてもらえてあたりまえ。なにがベストかを決めるのは、長いこと、医師のほうでした。最近は、医師に任せるのではなく、対等に質問してじゅうぶん理解した上で、選択できるということが周知されるようになってきました。医療側も、よく聞く、よく説明する、訴えられないようにきちんとする、いつ何時ナンクセつけられて訴えられてもしょうがない覚悟でやる、双方が対等の関係という意識で医療をする姿勢が一般的になってきました。「よっしゃよっしゃ外来」は比較的少なくなってきた感があります。
しかし、まだまだ、欧米のように対等になりきれないのが医療を受ける側のスタンスのようです。ほとんど頭をぺこぺこ下げてしまう。そんなに下げなくてもいいのですといっても駄目です。ぺこぺこしてしまう。一番いいものを欧米よりもずっとずっと安い値段で受けられるからではありません。。風邪薬から移植に至るまで、なんでも欧米の十分の一程度の値段で受けられるからでもありません。日本人はサマリア人に似ているのです。サマリア人がサマリア法を立法化しなかったように、日本人もサマリア法を立法化しないでしょう。なぜなら、サマリア法の精神が日本人の国民皆保険を支えているからです。
したがって、日本における無過失責任を問う訴訟においては、サマリア法が、原告、被告いずれにも、またよもや医療側にもっぱら、有利に作用することはないでしょう。
もっと違った考え方が必要です。すなわち、原告の訴えや検察の訴追だけで逮捕される閉塞した状況から医療を守るためには、無過失責任補償保険制度、訴訟共同預かり制度のような客観的なものを、今後作らなければならないのではないか。。。
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