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「サマリア法と医療訴訟」 >
夢見る掃除人 / 2007.09.17 12:11 / 推薦数 : 3
当スリーエムブログにおけるある人気ブログ(ほ○まで@)で、このたび話題になってにぎわった医療の「幻想」について、私の所感を述べさせていただきます。
以下原文通り。
夫の老夫婦と、2人の子供を抱えた奥様からの○海大学付属病院に関する投書ですね。
ご老人が車いすから立ち上ろうとして、転倒し大腿骨骨折したが、診断したあと、入院も治療もせず、他の病院へ転送された、とのこと。
奥様はその場におられなかったようですが、いろいろな事情があったはずです。
認知症高齢者の大腿骨骨折となれば、術後も長期入院の可能性が高く、リハビリもうまくいくとは限りませんので、寝たきりになる可能性もあります。その病院での収容能力や入院基準、紹介・転送基準などにより、思い込んでいた「いつでも入院させてくれる」が通らずに、こうした不満やクレームが生まれることはあるでしょう。
医療側と医療を受ける側とのすれ違いは、その病院だけに限るものではないでしょうね。どこにでもあるようです。
医療を受ける側は、「いつでも」「どこでも」「だれでも」「なんでも」「いつまでも」、トコトン最高の手厚い治療と看護と介護を受けることができるという「権利意識」と「福祉幻想」が、国民皆保険の時代になって当然のことのように浸透してきました。そんなに成熟した「幸福で安心できる」時代ではまだありません。
医療を提供す側にも限界が見えてきました。不満「タラタラ」「夜も眠れん」であります。「奴隷状態」であります。
しかし、こうした受ける側からの一方的な要求や不満を責めることもできません。医療を提供すること、制度や運営のありかたに何か不具合があれば、受ける側になって、それを変えて「いかなければならない」「いくことができる」立場にあるからです。私たちは医療者なのです。
受ける側の間違った、行き過ぎた、勘違いした「権利意識」と「幻想」を批判しても、最後の終着点は受ける側の「味方」でなければ、医療は成り立たない。。。
以上が私のコメントでしたが、本当に安心して受けられる医療とは何か、医療者としてのスタンスはどうあるべきか。。。医療を受ける側も提供する側も、ともに「生と老い」、「病いと死」を抱えているのです。
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とても印象的なので気になっていました。
では、はじめに「掃除人の歌」を歌います。
♪♪♪
掃除をすると、気持ちいい。
生活も、仕事も、うまくいく。
窮地に立ったら、掃除する。
気持ちが晴れて、生まれ出る。
力と勇気が。
生まれ出る、みなぎ出る
希望と、夢が ンッチャッチャッチャッ♪♪♪
<間奏>。。。2番いきま~す。
掃除をすると、気持ちいい。
床も、窓も、きれいになる
つらくなったら、掃除する。
気持ちが晴れて、生まれ出る。
喜びとしあわせが
(繰り返し)
生まれ出る みなぎ出る
希望と、夢が ンッチャッチャッチャッ♪♪♪
<間奏>。。。
(繰り返し)を永遠に飽きるまで繰り返す。。。
あら、もういいの??。
。。。ということで、「夢見る掃除人」という名前が生まれました。いいでしょ。この名前。掃除は「おまじない」みたいなものですが、衛生上もよく、人に任せるのはモッタイナイかもね。
ブログではこの「夢見る掃除人」が、「空を飛ぶ」ことになっております。どこの空へ。。。そうです、「未来の空」です。現代のいろいろな問題を掃除しに行くようでもあり、掃除しながら夢をみてもっと幸せな未来を夢見る。。。そんな掃除人にわたしはなりたい。
応援よろしくっ!。
ありがとうございました。
先生、驚きです!
そう、掃除には色々な力がありますよね、全く同感です!
私も行き詰ると掃除をしますので、掃除の威力は実感するところです。
問題多きこのご時勢、先生、大いに掃除してやってください。
そして、思う存分空を飛んでください。
「夢見る掃除人」先生の記事とコメントを拝見すると、先生の持っている抽斗の数の多さにも驚かされます。
まだ、たくさん隠し持ってますよね?
私ごときに分かり得るはずはないでしょうが、ある意味、ハラハラドキドキワクワクで抽斗の中身を覗き見させていただいています。
先生って、不思議です。
これからも頑張ってください。
抽斗から大蛇が出てくるかも。
座敷わらしが隠れているかも。
たのしみにしててね。
目に見えないもので「治療者」と「医療を受ける人々」が結ばれているのです。
治療者は恐れることなく治療に励み、それを受け取る側が恐れることなくそれを受け取る時代が来れば、私が空を飛ぶ必要などありません。
福島での逮捕、紫色の先生等等。本来、医療は刑事訴訟法で扱われるべき行為では無いと考えていますが、現実はねぇー?
万が一、裁判になった場合、医療裁判の弁護士費用財源はどこに求めたらよいのかしら?個人で保険加入するのか、医師会が徴収するのか、いずれにせよ、裁判が増加すれば必要な費用が増えることは間違いなし。また、医療裁判に精通した弁護士の需要が高まり、一事例につき、判決まで相当な年数を要するという事態に陥るのでは?サマリア人が、法廷に立つことはなきにしもあらず。現実的なのは、医療サマリア人を守るのは、医師会弁護士ということですよね?
将来的に、そのための財源の出所として結局、航空機搭乗の際にかける保険のようなものをかけた上で受診するということになるのかもしれません。医療訴訟が増えれば、患者が患者の首を締める医療保険制度にならざるを得ないでしょう。
夢見る掃除人先生、また、みほクリ日記にいらしてね。うふっ・・。。
サマリア法が日本に必要かどうか、本当のところは、まだ結論は出ていませんが、私なりにもう少し考えてみました。 次のタイトル「救出と治療のサマリア」、ご感想よろしく。みほりんにもよろしくね。
さて、医療訴訟の窓口を、現行の検察や警察ではなく、もっと公平な機関を作るべきかと思います。ん~。まだ、構想は未熟ですが、医療者側と原告側に公平な調査にもとづく、陪審員(聴取員というほうが柔らかいかな)数名による審理・裁定を経て、補償を決める。。。といった感じで。
今は、業務上過失、逮捕、法定闘争という、「医療になじまない争い」に陥っているのではないかと思います。
弁護士はここ「銀河法廷」にはいません。費用は安く、NPOや全国の医師からの少額の拠出金で運営されます。。。
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