夢見る掃除人 / 2007.09.08 18:26 / 推薦数 : 1
職場の争いをたとえて「修羅場」。。。と申す、ある院長(み○りん)ブログを発見。確かに、これに勝る表現はないね。。。患者さまからは見えない、もう一つの地獄・魔界です。
以下、日々争いに苦戦する開業医に捧ぐ。。。
医師であり経営者でもある開業医は、患者さまを前に対坐しながら、うしろに従業員という修羅(阿修羅)を背負っています。
さて、修羅は、古来インドのヒンドゥ教に出てくる挑戦的な鬼神であり、常に帝釈天と争い、かならず負けるが何度でもシツコクよみがえって戦いをしかけてくる。争いが絶えることなく続く魔界を「修羅場」といいます。
修羅は、人間と畜生の間に位置する格式の低い存在ですが、そのバイタリティーとしつこい蘇生能力が、のちの仏教ではたいそう持ち上げられて、「仏法の守護神」として祀られ、その格式を救済されることになる。
日本には、これによく似た格式に「天邪鬼(アマノジャク)」がいる。民話の中では、「人に逆らい、人の邪魔をし、わざと人に逆らって片意地を通す」(広辞苑)厄介者をいう。
「お前はアマノジャクだね。」
かあちゃんが、何かにつけてよく私に言っていた。
「あまのじゃくっ?」
「ここに載ってるでしょ?ほら」
「。。。!?」
絵本の中で、アマノジャクは瓜子姫(ウリコヒメ)の衣を奪い、ヒメに化けて空を飛び人を惑わすが、スズメにバレテ、桃太郎のような成敗に長けたツワモノに滅ぼされる。その格式は21世紀の今日でも低く、四天王の帝釈天の足に無残に踏みしだかれているのを、京都の平等院で見たことがある。その惨めなさまは救済されることなく、戒めの形として、今日も観光客のさらしものになっている。
さて、経営者は、医療と経営にあたって、俸給の分配、仕事の軽重、地位の上下と言い分の正悪で日々争い続けるアマノジャクたちと、守護神としての阿修羅をよく見分けて、使い分けなければならない。アマノジャクを時に誉めたたえ、時に叱責し、時に激励し、多くは涙をのんでむしろ奴隷のように従わなければならない。
従業員の教育にあたっては、アマノジャクを放し飼いにしておくことなく、院長の後方とその陰で、患者さまをいたわる守護神へと教育し成長させることを本懐とするべきである。。。そして、安定と成長は、生き生きとしたアマノジャクたちが、嬉々として守護神に従う修羅場にのみ開けるものなのかもしれない。
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