夢見る掃除人
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Doctors Blog

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「田中様、お待たせしました。どうぞ。」
「あ、どうも。」
「今日は暑いですね」
「ええ。もう夏ですね。」
「お荷物はこちらへどうぞ。」
 
。。。。どこのブティックの会話でしょうね。丁寧ですね。英会話の練習文の直訳ですかぁ。。。
 
 いえいえ、ごく当たり前のクリニックの朝の外来風景です。患者様のお名前を呼ぶ時に、「さま」付けすることに抵抗のある人がまだ多い。でも、毎日、繰り返しているうちに、当たり前になります。
 
 
 前いた某病院の外来。。。
Dr.「はい。つぎ。」
Nrs.「山田さ~ん。どうぞ。」
Dr「んっ?!これか?カルテは?」
Nrs.「いえ、そっちです。急いでください。せんせ。次が待ってますから。」
 患者様が入ってきても、挨拶もなしでカルテをパラパラしながら、
Dr.「んで、どうだい。調子は。」
患者様「。。。あっ。はい。おかげさまで。」
Dr.「ははは。そうか。そりゃよかった。」
 
 よくある風景。どっちがお客様でどっちがお店かわからない、お下品なお出迎えの言葉づかいを決して研修医は真似してはなりません。名医の中のほんの一握りだけが許される?日本語です。
 
 
 こんなことではやっぱりイケナイ。。。ということで、全部の外来を「さん」から「さま」に統一した病院があった。「さま」は、患者様との信頼を地道に作り上げる第一歩であるということで、事務も医師も看護師も一丸になってまとまった。
 
 暗い中にもうっすら「トモシビ」が見えかけた矢先に、偉い先生が赴任してきた。
「田中さま~。どうぞ。」。。。と明るい笑顔のNrsの声。
「ん~???!。。。さまとはなんだぁ。そんな風におれの外来で患者を呼ぶのは俺は聞いたこともない。いいか。医療はヘリクダッテまでして、するもんじゃないだろう。」。。。と名医。さっそく各部署に「さま」付けをやめて、「さん」付けに戻すよう、文書で命じたらしい。従わなかった外来もあったが、自分の外来はとりあえず「さん」付けに戻したと、同窓会誌に得意げに書いていた。つい2-3年前に本当にあった話。
 
 さて、どこの旅館でも「○○様ご一行」と書いてある。料亭も「○○株式会社様」と札を掛けてある。どんな領収書にも「○○様」と書いてある。そーいえば、あれは7年前、ヤクザな有限会社のボッタクリ請求書にさえ、「○○様」と書いてあった。2年前、私が自転車置き場で猫を拾って持ち込んだ「ペットのお宿」のゲージにも、「○○」様(メス猫、生後3ケ月推定)と書いてあった。
 
 かように、今は「さま」の時代になったのでございます。
 
しかしつい先日、赤字に陥った病院の理事が、「赤字の原因は、人気の病院に患者が流れたからだ」と言っていた。名医でも呼んで起死回生の専門外来でも作らないことには、一度流れたものは戻らない、というのがその主張の骨子のようだった。その間。患者、患者と何回か口走っておられたが、「さん」も「さま」もキライらしい。
 
 ちなみに、もう10年以上も前のことになりますが、自分でポンコツ車を陸運局に持ち込んで「ユーザー車検」というのを生まれて初めてやってみたことがある。オッタマゲたヨ!すべての行程をやり終えて、車検証の発行を待っていたら、係官が立ち上がり一枚一枚大きく手でつかみ上げてユーザーを次々と呼び出した。実名フルネームで。「さん」もなければ、もちろん「さま」もなかった。私の本名をあんな大きな声で。しかも呼び捨てで。。「夢見る掃除人!!!」
 車検証はちゃんともらえたけど、ほんとに恥ずかしかったよ。
 

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 「研修医の初任給が、出たての看護師の初任給より低いのは何故ですかぁ~?」と、こわごわ、恐る恐るの研修医。
 「低くても、まあイイジャないか。あとでたっぷりモラエルんだからヨ」と、先輩からの返信ブログ。
こういうやりとりまでが○見えのブログの世界って、一体なんなんでしょうかね。見えすぎちゃって、見ているほうが恥ずかしい。見ないほうがいい。
んで、なになに。ふんふん。あ、そう。あとでたっぷりもらえる。。。。?!?ほんとかあぁ~
 
 統一試験で人もうらやむ高得点をマークし、医学部に、めでたく?合格し、6年間にも及ぶ長い専門教育の中で、解剖学、生理学、免疫学、薬学、細菌学、病理学、内科学、外科学、脳神経学、公衆衛生学。。。広い範囲の基礎医学と臨床医学を学び、卒業試験をパスし、最終ゴールの国家試験をパスした鉄人レーサーともいうべき新人医師を待ちかまえているのは、研修という「地獄の畑」です。
畑?。。。花や実になるにはまだほど遠いツボミを育てる臨床という畑です。
体の血管の隅々の名称を覚えていても、悲しいことに「注射器」というものを持ったことがない。ご老人の「オムツ」を交換したこともない。0歳児の喉を覗くコツを知らないので、母親の面前で悪戦苦闘したあげくあきらめざるを得ない。患者様が吐きそう!といっても、とっさに「ノウボン」に手が伸びる反射機能もまだついてない。
 
「せんせーぇ。熱が85分です。ヒョウチンしましょうか。」。。。と、とれとれの新人茶髪ナース。
「ひょ。ひょおーチン。。。ちょうちんかな」
氷枕(ひょうちん)=こおりまくら。。。あ、そうか。。。。でも、実際作ったこともないし、パッチンで止めるのもやったことがない。最新の難病の遺伝子治療はかじったことはあるが、ひょうちんなんて。(アイスノンならわかる。)
なぜ、氷嚢(ひょうのう)がスタレタかも知らないし、吊るしてみたことも、習ったことも考えた試しもない。医学専門教育は昔から、ひょうちんやひょうのうなんかに興味はないのだ!。
 
 
かくして、学んだことと、現場との乖離が数か月繰り広げられ、エリート?感覚をボロボロに踏みシダカレテ、密かに目をつけていたナースにもアキレラレテしまい、しまいにはサゲスマレ、自己嫌悪に陥る。。。そんな悔しくて辛くてさみしい屈辱の研修の日々が「地獄の畑」なのです。
 
ベッドサイドにぶら下がった点滴瓶に20ccの薬液を補充したら、エア針から液がぽたぽたと垂れてきた。。。「あら、せんせっ?!エア抜きしましたぁ~」。。。地獄の畑の医療ミスならぬ珍事件は、かくしてしばらく繰り広げられる。。。医学教育が遺伝子の云々を先にして、当り前の実技を後回しにしているからに他ならない。実技何もなしで丸裸で畑に投げ出されている訳です。
 
卒業後に研修施設を自由に逆指名できる新しい制度が始まった。ある施設に百数十名の研修医が集まったそうな。たいそうな人気である。一つの畑(科)に入ることのできる人数はせいぜい1人から2人多くても3人までがいい。1人を監視・手ほどきするのに熟練が2人いるからだ。あんなに集めちゃって大丈夫?。地方に医師が不足している。。。花や実のなる畑は、田舎にもいっぱいあるんじゃないのかね???。
そうこうして、地獄から這い上がって、10人分のプレッシャーと仕事量をこなして、やっと人様並みの給与だからね。「2倍程度なんてずっとずっと後だよ、髪の毛が白くなるころかな?でも長くは続かないよ」というのが、いわゆる「あとでタップリ」の本当の意味です。ただし、新しい門(科)をくぐるたびに振り出しに戻るスゴロクの仕組みになっておりますゆえ、くれぐれも、過労にならぬよう、けがをせぬように、人様の病気は治しても決して病気にだけはならないように。。。なったら、もうつとまらない、0円也、御苦労さま。まさしく、「体が命」の体育会系の世界です。
「白い○塔」なんて、今どき古臭くてカビ臭くて、いまさら何が嬉しくて再放映しているのか、その「のんびり」感覚が分らない。もっと違うところで大変なことになっているのだ。。。。次の世代を担う卵たちを、なんとかしてあげて下さいませ。。。、祭りの夜も、畑の中の囚われの身に。。。幸あれ。

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勤務医はイソガシイ。忙しい病院は。。。とてもイソガシイ。暇な病院でも。。。やはり同じくらいイソガシイ。

 

勤務医の受け持つ領域は(すばらしく?)広い。診療はもとより、さまざまな文書の作成、院内の各部署(給食室、レントゲン室、手術室、心電図室)への指示伝票、患者家族への説明のレイアウト、安全管理、病棟運営などに関するさまざまな会議への出席、業者への応対、薬品の副作用情報の入手、患者統計、学会参加、学会報告のためのカルテの出し入れや検査結果の整理出し入れ(電子化されると、なおイソガシイイ)、朝の採血、検査伝票の指示、入院患者の急変、処置、蘇生術、その後の家族説明、病棟指示。。。退院サマリーの作成とそのコピー作成、定位置への保管、さまざまな書類やデータのカルテへの貼り付け(コ○ヨの糊で丹念に)、そして寝苦しい真夏日の夜間当直、永遠に繰り返される煩雑な業務と院内歩行移動に終わりというものがない。

 

こうした、てんこ盛りの仕事のこまごまは、事務や看護師の仕事とは別ものである。一切手を貸さないか貸しても申し訳程度。俗に言う「イヤイヤ」というやつですな。

 

研修医時代に自然発生的に、仲の良い看護師が病棟に1名できると、かなり楽ちん。1名だけだと良くないウワサが立つのも時間の問題であるので、2名くらいは必要。でも、理想的には3名。たいがいの医師や研修医は2名の仲よしと、敵対勢力5名、その他の善良なる無関心層に囲まれている。7名の仲良しとせいぜい1-2名の敵対者という人間環境を自ら作り上げる才覚の持ち主は、他の業種の起業家になれるのかもしれない。

 

さて、かくして医師の業務は、より複雑になり、範囲が拡大し肥大化してきた。医師は1000人に2人しかいない(優秀?な)有資格人材であるが、このことがなお仕事をイソガシクサセテイル。他の業種では、稀少人材には必ずそれをサポートする補佐役、専属の秘書なりが付く。余分な身の回りのことや、必要物品や書類の出し入れや、糊で貼り付ける作業などで、イソガシクサセナイ。時間がもったいない、有効な収益がでないというわけです。

 

院内呼び出し携帯が壊れて、何度呼び出しても応答がない。各部署からフツフツとクレームがステーションに集中する。病室で吐血患者の処置に悪戦苦闘していたのだ。「さぼっていたのではなく、電池が切れていたからだっ!!!」と、小学生みたいに口から唾を飛ばさんばかりに自己弁護しても誰もうなずかない。血の上った頭がようやく冷めたころ合いに、結局、事務まで自分で電池を取りに行かなくてはならない。。。自己責任ということで。くそ長い廊下をトボトボと。。。あ~。仲良しは今日はいないし。。。でも、仲良しに頼んでばかりいると、看護師長にニラマレルコトニナルのはマチガイナイ。看護師長は看護師の配置と仕事の分担と人事を、医師と関係なく握っている。医師が勝手に自分の都合で仲よしを使えないことになっておる。これを勤務医の「百年の孤独」と言います。

 ということで。。。全国に医師が不足している?。。。どうやら何人いても到底タリナイのはマチガイナイ。。昨今の地方病院での慢性的な医師不足は、こうした百年の孤独と、核心的なところでは無関係ではないでしょう。

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2007.07.23 19:09 |  医療制度 / 行政  |  仕事 / 職場  |  医療事故  |  夢見る掃除人  | 推薦数 : 5

「産業医のジレンマ」

 「企業健診で解離性大動脈瘤が見つかったことがきっかけで、肉体労働の派遣労働者が配置転換の末、うまく事が運ばず結局、労働者は退職に追い込まれてしまった」。。。心痛める産業医のブログを最近拝見した。手術が必要なければ、血圧のコントロールをしながら今の仕事を続けることも可能であり、退職という最終選択を回避できたかもしれない。。。しかし破裂の危険を考えると、「様子を見ましょう」という単純なものでもない。。。産業医としてどこまで助言でき、どこまで責任を負うか。。。
疾患のリスクを喚起し、配置転換や休業を人事部に助言することで、労働者に一方的に不利な結果を必ずしも招くわけではないが、過重労働でしか成り立たないような仕事が世の中にたくさんある。いつなんどき体が焼け焦げになったり、埋もれたり、コナゴナになってもおかしくない危険な仕事が山ほどある。1日数回はここぞと腰を踏ん張らなければ全身やけどというてんぷら料理店もある。無症候性といっても、解離性動脈瘤を抱えて、中目黒のよさこいの団長はやはり無理です。大声張り上げて雨の日のふんどし一丁、気づいてみれば丸裸の馬頭神社神輿担ぎは、今年は辞めてもらいたい。
「先生、頼むから人事に言わんでくれ」という労働者。
「専門医からの診断を詳細に開示してもらわければ配置転換も止むを得ない。」と人事部。
目を点にした労働者と、眉を八の字にした人事とのケンケンガクガク、ノノシリアイのはざまで、産業医は下手なことは口に出せない。。。「結局、どっちなんですか!?!」双方が産業医に矛先を向ける。。月13-4時間で請け負った、気楽なかけもち仕事のはずが、とんでもない渦巻きになる。
 かつて、労働者の健康被害に目もくれない劣悪な労働環境、労働条件を放置して、さまざまな重大な結果を招いてきた過去の事例の反省から生まれた産業医制度であるが、ややもすると産業医は労使関係に立ち入るぎりぎりの線で仕事を余儀なくされるだけに、なおさら中立的立場が求められる。疾病を理由にとした休業や配置転換の助言は、労働者への不当な差別にならなよう配慮しつつ行われる。休業が長引いたり配置転換に反対して調整ができないときも、意にそぐわない無理な勧告と取られないように産業医は常に慎重でならなければならない。しかるに、昨今の過労死・自殺事例では、産業医も連座で提訴されることがある。これは、労働者にとって産業医は企業の経営サイドの一員であるという誤解によるものかもしれない。労働者の前に、人事と産業医が同席すれば、かなりのプレッシャーであることは間違いない。労使間に挟まれて苦労する産業医のジレンマは、その雇用関係の不自然さにあるかもしれない。すなわち、産業医は中立であるといいながら、実は企業に雇われているからです。
産業医は企業から直接報酬を受け取るのではなく、健康保険制度などで間接的に報酬を受け、自由に物が言えるといいかもしれない。
さて、ご存じのように、病院には勤務医の健康を守り、勤務医の過重労働に注意を促す公平中立な立場の産業医らしきものがいない。いまや、病院は、「時代に取り残された過酷な戦場」と言っても過言ではあるまい。当直明けの派遣アルバイト先に車で向かう途中、死亡事故にあった研修医、24時間拘束に近い小児科医の過労・ストレスの果ての自殺。。。
エムスリーのブログを概観するに、勤務医の過酷な労働と無制限責任、いつ巻き込まれるか分らない刑事・民事訴訟への恐れと、行き先の見えない待遇の悪さ、強い看護師軍団の要求と無関心、時間外の書類の山とこまごまとした病棟からの呼び出し、政治に見捨てられた果ての医療崩壊。。。もうヤッテラレナイ。。。ツモリツモルと節度・礼節を忘れて、ここまでわめきちらすかという勢いの最近の若手医師や中堅医師のウツウツ・ジクジクを見るにつけ、勤務医の精神衛生と健康を守り、過労死・自殺を未然に防ぐ、産業医ならぬ「病院医」が必要になってきたと言うべきかもしれない。

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2007.07.16 15:55 |  診療  |  医療事故  |  夢見る掃除人  | 推薦数 : 2

イレッサ訴訟

  イレッサ副作用死:1200万円の賠償求め、遺族が沼津市立病院を提訴 /静岡。。。に寄せて。
 944月の肺切、03年の死亡までの期間が十分長く、肺がんの予後から考えて、手術の恩恵を受けたことは確かなようです。イレッサ投与開始時の、全身状態、肺所見、肺がんのステージについての情報があれば、きちんと議論しやすいと思います。03年すでに肺がんは末期であれば、そもそもイレッサの投与の是非や副作用の真偽を争うことは双方にあまり意味がないことでしょう。末期がんの自然な流れということになります。
 イレッサに限らずおおむね薬剤の副作用に関する訴訟では、副作用を否定する被告弁護展開は非常に不利でしょうね。本件の争点は、イレッサの効果や副作用をどのように説明し、同意を得たかに尽きることでしょう。 ご本人やご家族にどの時点でどのような説明をしたか、何を合意したかというポイントが記録に残っているかでしょうね。説明の記録は、裁定する側が判断する重要な拠り所です。おおむね、争わず、一件落着(却下)ということになるでしょう。
 それにしましても1200万円という賠償額はかなり、先方の弁護士も控えめですね。「医療行為の流れを十分説明していなかった」、「副作用の発現以降の処置の説明が不十分だった」ということになっても、1200万の半額ないし3分の1への減額はあるでしょうから、弁護士費用500万で提訴側の手元にはほとんど何も残らないか、持ち出しになってしまいます。
 確実に勝算がある医療過誤とは提訴の弁護側も見ていないのは、金額からして明らかと言わざるを得ない。
 さて、裁判の手前で落す方法(示談・和解・取下げ)もあるでしょう。そこで大切なのはやはり、ご本人やご家族への思いやりです。そして、医療に対する熱意と謙虚さ、物事の成り行きや自己の限界への適切な反省であるのはいうまでもありません。

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2007.07.12 15:32 |  診療  |  医療事故  |  夢見る掃除人  | 推薦数 : 2

「ウイルス感染腎」

 がん患者からの提供腎は、レシピエントに新たな病気を移植する危険性があり、現在では除外項目になっています。また、肝炎ウイルスやエイズウイルスなども除外項目になっている。ただし、生体腎移植においては、レシピエントが、肝炎ウイルスのキャリアーであっても、強い希望に応じて移植していた時代があります。移植後に肝炎の発症があってもインターフェロンなどの治療でのりきる覚悟というわけです。しかし、免疫抑制下での肝炎治療の成績は決して良いものではないのは周知のことであります。
 このたびのB型肝炎ウイルス抗原陽性のドナーからの腎移植で、移植後に劇症肝炎を併発した可能性が十分疑われます。争点は、「B型肝炎ウイルス陽性腎と術後肝炎の可能性についての事前説明が十分なされていたか、選択の機会を与えられていたか」に尽きることでしょう。この説明が事前になされていて承諾が得られていればかろうじて刑事責任は免れることができるでしょう。移植学会は肝炎ウイルス陽性のドナーからの移植は禁止していますが、これはあくまでも学会の自己規制であり、医師法や健康保険制度の上に立つものではありません。したがって、通常の保険診療として認められないとか、保険医取り消しということには単純にはならないでしょう。刑事事件として有罪になれば別でしょうが。がん患者からの摘出順についても同様です。
こうした学会の自己規制と、個人の哲学と対立する領域は、一医師が一人歩きしてもうまくいかないと思います。良識あるマスコミは性悪説で取り囲むことでしょう。
透析という治療手段が確立している現代、「移植しなければ命にかかわる」緊急の腎移植はありえないし、ウイルス陽性腎を敢えて移植しなければならない相当な理由は見つからないでしょう。。。超急性拒絶反応で腎が廃絶し摘出したあと、日数を経ずに再度腎移植しなければならない根拠も説得力に乏しいと言わざるを得ない。
さしあたりの決着として、手続き上に甘さがあったという反省と謝罪、コモンセンスの確立を得るまで病気腎移植をしないことを明言した医師の決断を尊重したいが、「モルモットにされた」という家族の悔いを残たという点と、記録が残されていない点で、弁護は苦しいものになることは間違いないところです。
かつてこんなことがありました。。。。腎レシピエントがC型肝炎ウイルスキャリアーで、その夫もまたC型肝炎ウイルスキャリアー。提供しても肝炎が怖い。。でも、どうしても、生体腎を妻に提供したい。。。移植後にやはりC型肝炎の増悪を来し肝不全へと進行した。小さな傷から皮膚膿瘍、敗血症を併発。血漿交換、抗生剤、吸着療法あらゆる手を尽くしても駄目だった。
「気分のいい時に車いすで中庭に出てみましょうか」よく晴れた夏の昼下がり。。。。「ああ、東京の空は、こんなにも青く、まぶしかったのね。。。でも、いつもより体がだるいわ。こんなにいい日なのに。。。」と彼女は細い体からやっと声をしぼり出すようにつぶやいた。それが長い入院生活で初めで最後の、主治医とナースとの三人の日向ぼっこでした。夫もしばらくして、後を追うように、慢性肝炎の増悪でしばらくして他界した。肝炎ウイルス恐るべし。涙が止まらなかった。

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 昨今、多くの病院が赤字経営に転落し、医療界に構造改革の波が押し寄せつつある。否、もう既に進行している。バブル崩壊の波に無縁かと思われた医療界は、その構造的な欠陥を修正し未来に命を託すタイミングを見失ったかのようです。
 慢性的な収入減、赤字、借りいれの増大、賃金抑制、人員削減、サービスの低下、無理な設備投資、という崩壊スパイラルに入り込むと、よい方策が見えないのはどの産業も同じのようです。 こうした事態を深刻に考えねばならない立場にいる人は、誰でしょう。
 現場のスタッフは、「何を発言しても蚊帳の外」に安住し続けることができるでしょうか。医療は他の業種と比較してそれほど特異な業種とは私は思わない。サービス業のようでもあり、公共事業のようでもあり、ベンチャー企業のようでもあり、ケアという無形の製品を提供する製造業のようでもある。昨今、単純な売上至上主義ではサバイバルできないのは明らかとなりつつある。問題のひとつには、あまりにも人件費の占める割合が多いという点であり、多大な設備投資と材料費がかかるという点である。それらが、収支の安定に直結していないのです。もちろん、有効なサービスに直結しているとは言い難い。赤字を解消するためにには、「より多く診る」(売り上げる)ねばならないと誰しも錯覚しがちです。
 しかしこれには落とし穴があります。人員を必要とするサービス業は、ピラミッドの石運びに似ている。一日に運ぶ石をいつもより余分に運ぼうとすると、倍の人数が必要になるような構造をもっています。一台のトラックが90%の積載で往復してなんとかサバイバル可能なわずかの利益を得ているとして、110%の荷を運ぶためにもう一台トラックを調達するとどうなるでしょう。逆に赤字になるのです。では、2台のトラックがそれぞれ90%の積載なら、利潤が2倍になるでしょうか。必要スペースの増大と安全管理などの付随する経費でおそらく利潤は変わらないか、逆に赤字に転落するでしょう。「患者様は増えているのに赤字が拡大し続ける」理由はこういうことなのです。
 高度成長期は逆でした。人件費が累進的に段階的に増加しても、売上は超等比級数的に飛躍的に伸び、新たな段階的な設備投資は新しい利潤を容易に生み続けた時代でした。消費の限りない拡大こそが幸福をもたらすという「信仰」をだれしもが信じて生きていた、つい最近までの「古き良き」時代です。しかしいまやその信仰が根底から崩れつつあります。こうしたドンズマリに一体どんな解決策があるでしょう。
 「労働を効率化する」ことです。仕事の内容を根本から見直すことです。すなわち、人員や設備を最大限に有効に生かす工夫が必要です。同じ作業手順では効率は改善しない。効率化されていない同じ仕事内容や手順のままで、人員を増やしても効果的ではありません。人員を削減するともっと深刻になります。作業を効率化することで、適正な「利潤の生まれる」人員配置と設備投資が自ずと見えてくるはずです。効率化という観点から、すべてを見直すと、現代医療はエジプトピラミッドの石運びような非効率的な作業と不合理に満ちてはいませんか。
 いつもの患者様が、いつもの降圧剤がなくなったので、予約なしで来てしまいました。いつもの外来担当医がいないので、他の先生が対応した。初めてお互い顔を合わせたので、患者様は間違いがあってはならないと思い、これまでの先生とのやり取りを長々と話し始めた。先生は患者様へのサービスを第一に考え、詳しく問診を取り直し、詳細なインフォームドコンセントを取った上で、新しい降圧剤に変更した。帰るころには昼過ぎになっていて、薬の受付は大変混んでいて、薬をもらうのに1時間もかかった。患者様はまだ薬の残りがあることをふと思い出したので、そのことを受付に申し出たが、「先生に連絡を取ってどうするか確認しましょう」ということになり、待っていたら、看護婦が代わりにきて「先生はもう手術室に入ってしまったので、とりあえず残りの薬をのんでいてくださいとのことです。後日もとの先生に良く話を聞きましょうね。」帰る頃には2時をすでに回っていた。。。。
 さて、はじめから残薬を確認すれば、1分で患者様は安心して帰れたでしょうね。こういう無駄が繰り返されるなら、医師が他に3人いても、看護師が余分に3人、いてもいなくても病院は潰れるでしょう。こうした無駄を誰がコントロールしているでしょう。誰もしていません。患者様は真剣、先生も誠意をつくし、受付も間違っていない。看護師もきちんとしている。。。。いつもの診療風景です。でも明らかに全てが間違っているのです。かけるボタンがずれているのです。

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