東北大学の多田教授が考案されたアンモニアの測定キットができました。熊本大学の松田教授に薦められて、新生児ではほぼルチンに検査をしていました。最初は目視で読んでいましたが、やがて中外製薬からアミチェックとして発売されて、3分一寸で価を得ることが出来るようになりました。高い値を示しても、特別の疾患に結びつく患者さんはなかなかありませんでしたが、それでも、先ず1例目は、メチルマロン酸血症でした。Not doing wellで産科から依頼を受けて、診察をして、高アンモニア血症、アニオンギャップの拡大、があり代謝スクリーニングキットでメチルマロン酸血症らしいと考えられ、とりあえず自分の血液400mlを使って交換輸血をして、ビタミンB12を注射しました。すると、アンモニアの再度上昇を抑えることができました。有機酸の分析からも診断は間違いなく、幸いにもビタミンB12依存性でした。今は、成人されています。2例目は、血糖のコントロールに難渋しました。腹膜環流を行ったりしましたが、亡くなられました。有機酸の分析で長鎖脂肪酸に関係する酵素の異常だとは診断されたのですが、なかなか診断がつきませんでした。結局は信州大学の橋本教授が発見された新しい酵素の欠損で、信州大学の諏訪先生がPediatric Reserchに投稿されました。診断がついたのは死後8年でした。その間、熊本大学の犬導先生が皮膚からとった繊維芽細胞を培養してくださっていました。開業してからもアミチェックは使っていますが、柳の下の泥鰌は目下のところ2匹で、診断に至るような患者さんはありません。
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脊髄液の検査をするには、蛋白、細胞数、糖、クロールがルチンに測定されています。でも、多くの人が、無頓着に行っていて何故クロールを測定するかを蔑ろにしています。小児科学会の専門医の面接試験で訊いても、キチンと答えられる人はいませんでした。本当はナトリウムを測定すべきなのです。結核性髄膜炎が多かった時代には、低ナトリウム血症を起こすのを髄液で検査していたのですが、ナトリウムが直接測定できなかったので、クロールを測定していたのです。今は、ナトリウムが直接測定できるのですから、わざわざクロールをmg/dlで測定する理由はありません。私は、検査伝票を改定する機会に、髄液の伝票にNa,Cl,Kを入れてもらいました。電極法で測定します。この3つは同時に測定できます。すると、わざわざ、Cl だけに丸をつける人や、Clだけでよいのに何故Naを測定したかと文句を言う人も出てきました。脊髄液のNa やClは血清のそれと平行しますが、Kは髄液の方が低値を示します。髄膜炎や出血などがあると髄液のkが高くなり診断的意味が出てきます。髄液の糖を測るときには血液の糖も測定しておくべきです。痙攣や脳症をきたしたときには血液の糖が高くなります。糖尿病と見まがうくらい高値を呈します。それが、かえって重症度をうらなう指標になります。細胞数を表すときにもX/3 と表現しますが、計算版があれば1μℓあたりの数が出せます。それでも、分子に3がついていないと間違いではないかと言う人がいます。私がやめて16年になりますので、検査伝票はまたもとに戻っているのはないかと思っています、
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血清アンモニアの測定の迅速法にアミチェックというのが、東北大学の多田教授の考案で作られて販売されていました。熊本大学の松田一郎教授に新生児の代謝異常スクリーニングに有用と勧められて、最初は目視、あとで機器を利用して測定できるようになりました。やってみると、本物の代謝異常は見付からないのですが、新生児で高い例は、予後が悪いことや、色々面白い経験ができました。国立病院を辞めるまでに、2例、代謝異常を見つけました。1例は、ビタミンB12依存性のメチルマロン酸血症でした。最初は、私の血液を使い交換輸血を行い、B12を注射で投与したら、アンモニアの上昇がなくなり、有機酸の分析で診断ができました。あとでは、内服で、その後は悪いときだけ注射で対応できるようになりました。もう一例は、脂肪酸の代謝異常で、患者さんは亡くなりましたが、組織細胞を培養してくれていた熊本大学犬童先生が信州大学に送り、8年後に信州大学の橋本教授が発見されたβ酸化に関連する酵素の欠損世界第一例であると診断されました。稀な患者さんに遭遇するのは、縁以外の何者でもありませんが、代謝異常の診断は、それなりに診ていないと、発見できないと思います。二人とも、not doing well で産科から相談されて、他の医師が診て、様子を見ようというのを、再度私が診て、アンモニアの測定をして異常高値で診断を進めてわかったものです。平成3年開業以来、やはりアミチェックを用いて、痙攣の患者さんなどに測定しています。今は、I-statという機器も入れて血清電解質
や重炭酸イオン、測定からアニオンギャップの測定、乳酸測定、アンモニア測定を組み合わせて検査を行っています。患者さんに多くの診断を否定できる、つまり診断の幅は狭くして、専門家につなげることが出来ると思ってやっています。検査1つからでも、見える世界が変わるように思います。
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外国の論文を読んで、その要約を他人に聞いて貰って、それについて討論をする、大学では医局抄読会と呼んでいました。病院でも一応、毎週行うことにしていました。重症患者、救急患者が入るとしばしば中止になったり、予定変更になったりしていました。病院がJ.Pediatrics,Clinical Pediatrics(これは本当はof north Americaを希望したのですが予算が無いとのことで、Illinoiになってしまいました)製薬会社が提供してくれたので、Pediatrics,Archiv of pediatrics, を定期的に読むことが出来ていました。当時は検索は今のように出来ないのですが、医学中央雑誌、Index Medicusが病院で購入して貰えていて、総合雑誌として、JAMA,Lancet,New Eng.J.Medが購入されていました。初代の院長の加来道隆先生は、病院に入る全ての雑誌に目を通しておられ、何科の本であっても、これはと思われたものには、印をつけてあり、それをコピーして読んでおられました。小児科の雑誌にも当然ながら印がついていましたので、可及的にそれは読むようにしていました。今はパソコンがあれば、文献の収集は便利になり、いながらにして沢山の論文に目を通すことが出来ます。アブストラクトばかりで、本物を読んでいない人にも時々出会いますが、仲間での勉強会は必要だと思います。
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昭和48年に初めて埼玉に来て、埼玉にも小児科地方会があることがわかり、参加しました。県庁の中の衛生会館で行われていました。随分、年配の方がスライド係りをして居られて製薬会社の人が手伝っておられるのかと思いましたら、会員の先生でした。参加者も20数名でした。小児保健センターの森先生が指導的立場におられました。埼玉医科大学、埼玉県小児医療センター、国立西埼玉中央病院、国立埼玉病院、埼玉中央病院、浦和市立病院、済生会川口、越谷市立、春日部市立、深谷日赤、大宮日赤、社会保険大宮、やがては、川口市立、独協医大越谷、防衛医大、埼玉医科大学川越総合医療センターなどの施設ができて、小児科医の数も多くなりました。地方会の役員も40名位居たのですが、プログラムを組むときに、二人しか役員がいないこともありました・また、年配の先生方が、最近の言葉の用語、略語がわからないと言われるので、演者にサンマリーを予め用意してもらったり、座長が解説をいれたりしたときもありました。次第に若い人が喋り、討論をしてという活気がでてきましたが、本当に聞いている人の勉強になっているかは疑問です。時代の変遷とともに、循環器、血液、内分泌、感染免疫などの勉強会も個々に出来てきました。いつも、浦和、大宮で開催されるので、遠隔の地からの参加は難しく日曜日の開催のときだけの参加者が多くなっています。地方での学会は如何にあるべきか、多くの小児科医の勉強の場にするにはどのような形態が良いのか、考えます。
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昭和48年3月で恩師は定年退官を迎えられました。早速、次の教授の選考が始まりました。ウイルスを専門にされていた方が選ばれて教授に就任されました。教室にはウイルスで仕事をした人もありましたが、地方の大学では大学病院はターミナルホスピタルとしての役割が大きく、臨床での要求度が高いのです。教授にとっても、教室の人にとっても不幸な組み合わせだったようで、教授は1年足らずで元の職場に戻られてしまいました。教授を再度、選考されることになりました。今度は、教室にとって本当によい人にと思い、北は北海道から南は鹿児島大学までの助教授以下の仕事を調べることにした。一時は、それをそらんじて言える位になった。そして、私個人としては、お一人しかいないと絞りこみました。業績があり、臨床家としての幅と深さがあり、若い人を指導していただける方では、この方しかないと思いました。ご本人の意思はわからない。候補者に上げられることが先ず、第一歩と思っていたら、そのようになり、結局、其の通りになりました。決まったとの報が大学から届いたときに、心から快哉を叫びました。これで、母校の教室は変わる、変わる事が出来ると思いました。そして、それも、其の通りになりました。先生は定年退官され、先生が育てられた弟子が教授職を継いでいます。私は、教室に戻ることはしませんでした。それでも、色々ご指導を受けることが出来て、自分が選考委員を務めたわけではないのですが、嬉しいことでした。教授決定のときに、本当に喜んで下さった方がありました。久留米の山下文雄先生でした。教授のもとで育った方々は、努力をしてひとかどの専門家に育っています。でも、指導者の影響が大きいことを見てきました。若い時代に、優れた指導者に遭遇することが大きな意味を持つと思います。
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開院して初期に、岡山大学細菌学金政先生の新生児の院内感染の研究班に入れていただきました。吸引ポンプを研究費で購入して、施設の水道水や色々の水の中の細菌数と菌種を調査しました。水道水は非常にきれいであることがわかりました。水をミリポアフィルターでろ過して、それを培養する方法です。職員の手の付着菌を調査しました。滅菌手袋に滅菌食塩水を20cc入れて、手を入れて握る、広げるを繰り返して、食塩水中の菌数と菌種をみました。医師よりも看護婦の方が手の付着菌は少なく、看護婦は新生児室勤務の看護婦が一番きれいでした。一行為一手洗いを励行していたからです。医師も新生児室を出てきたときが一番菌数が少なく、外来では手を洗っているようでも付着菌はおおいのです。ホギーという会社に空気中の浮遊粒子の大きさと数をカウントできる機械がありますが、それを借りて行ってみると、朝のラッシュの外来の待合室よりも、ラッシュ時の手術場の方が菌数は多いのには驚きました。緑膿菌の群別の抗血清を購入して、新生児の菌を調べてみました。剖検時に臍帯と咽頭から緑膿菌が得られても、群が違っていて感染経路は一つではないこともわかりました。保育器の加湿用の水槽で緑膿菌がでたので、薬局にお願いして滅菌蒸留水を作ってもらっていました。ところが、あるときから、前にもまして菌が陽性になり、調べてみたら薬局の滅菌蒸留水が汚染されていることがわかりました。よく消毒して、水道水に戻したら、菌は陰性になりました。加湿が不要な場合には、水を用いないことにしました。寒天培地を用いたのでは、落下菌は余り、環境の汚染状態を示さないこともわかりました。3年間続きましたが、面白いリサーチができました。結局、手は流水でよくあらうことが、消毒薬を入れた洗面器で洗うよりも効果がよいことがわかりましたし、人工呼吸器の回路をなるべくこまめに消毒した(ガス滅菌)ものと交換して使うことが大事なのがわかりました。水道も湯がでる蛇口は流さないと蛇口に緑膿菌が増えることもわかりました。このときに、論文を沢山読んだことが、勉強になりました。新生児が入院するとルチンに抗菌薬を使う人がありましたが、それは、かえってよくないことから、感染の可能性がなければ使わないことや、培養をこまめに行うことを行うようになりました。
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