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2007.10.21 15:35 |  診療  |  開業 / 病院経営  |  その他(一般)  |  波良張  | 推薦数 : 1

長年つきあった患者さん

現在28歳、A君は逝きました。8歳のときに彼と私は出会いました。休日で病院の当直をしている日でした。いつもは、同じ小児科の別の医師が診ている患者さんでした。よく感染症に罹患しているのです。既に行われている検査結果をみると低ガンマーグロブリン血症でした。医師からはそれについては告げられていませんでした。防衛医大に免疫を研究しておられる方が居られましたので、調べていただき、Common variable type と診断されました。補充療法を行うことになり、それを私が担当しました。帝人のベニロンを使って始めました。外来で学校帰りに点滴をしました。中学校に入ると放課後が遅くなります。投与量も多くなるので、時間がかかります。それでも、なんとかやれました。平成3年開業して、それが出来なくなりました。そこで、自分の施設で行いました。ところが、ガンマーグロブリンの補充でショックを来たすようになりました。県立小児医療センターにお願いして、別の製剤が安全に行えることも確認していただきました。中学、高校は大きな健康問題になることもなく卒業できました。建築士を目指して進学をしました。看護士も目指しました。学校に入った秋に、下痢をきっかけに発熱の持続、貧血、腎不全、肝機能障害、膵炎などを来たし、透析を初め、濃厚な治療が行われて、九死に一生を得ました。しかし、肝機能障害、貧血は残りました。貧血は自己免疫性溶血性貧血でした。そこで、リツキサンが使われました。一時、好転しましたが、T細胞性機能が低下し、メインの治療機関は変わりましたが、補充療法は私が行いました。そして、とうとう最期を迎えなければなりませんでした。私の手元には彼が残した感謝状のような色紙やメーーセージがあります。かれは、恩返しをどのようにして行うかをいつも語っていました。勤務医としては4年くらい、開業医として16年を付き合ったことになります。

20年は長いとは思いますが、28歳は早世だと思います。彼の小学校から以後、月に最低1回、補充療法は月2回行っていましたので、私が一番回数多くお付き合いした患者さんでした。昨日、両親が挨拶に来られました。私が初めてあったときのことを、両親は克明に覚えておられました。検査伝票を見て、同じ検査でも医者によって解釈が異なると思ったと言われました。検査は答えを求めるために行うのであって、

指示をした医師は何を目的に行ったのかはわかりません。

蛋白分画は意義の大きい検査だと思っています。彼は、私の免疫学の師だったと思います。

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