2007.07.27 23:32 |  診療  |  開業 / 病院経営  |  その他(一般)  |  波良張  | 推薦数 : 1

患者さんとノートの交換

慢性の疾患の患者さんにノートに記録を書くことをやりました。気管支喘息の患者さんにノートをつけてもらうことは何処でも行っていると思います。それと同じようなことを他の慢性疾患の患者さんにも行うのです。喘息日記と異なって、こちらが書くことが多くなります。血液検査、尿検査の結果を書きます。他の専門医療機関を受診されたときには、それを見てもらいます。患者さんにも記録を書いてもらっていました。ある日、女児が、自分には月経発来がないが、大丈夫かと書いていました。自分で口に出して言うのは、恥ずかしかったのでしょう。自分が書いたところを指差しをしていました。身長が伸びていること、未だ二次性徴が途中であることを書いて、半年くらいで来るだろうと書きました。にっこり笑って頷いて帰りました。その後、初潮があったとき、廊下で、『先生、あった、あったよ』と走ってくるので、驚いて『何があったの?』と聞いたら、初潮でした。あんなに恥ずかしげに書いていたのに、よほど嬉しかったのでしょう。開業してからは、患者さんに勧めて、ノートを書いて貰っています。親が来なくて、一人出来ても、祖父母ときても、親からのメッセージが伝えられる、当方からの情報も伝えられる、情報の共有が可能になるのです。その後、小児慢性特定疾患の受給者にポケットに入る母子手帳サイズのノートが用意されましたが、利用率は低いようです。大学ノートサイズが良いようです。

固定リンク | コメント (1) | トラックバック (1)

2007.07.26 02:33 |  診療  |  研究  |  その他(一般)  |  波良張  | 推薦数 : 1

新生児の高アンモニア血症

東北大学の多田教授が考案されたアンモニアの測定キットができました。熊本大学の松田教授に薦められて、新生児ではほぼルチンに検査をしていました。最初は目視で読んでいましたが、やがて中外製薬からアミチェックとして発売されて、3分一寸で価を得ることが出来るようになりました。高い値を示しても、特別の疾患に結びつく患者さんはなかなかありませんでしたが、それでも、先ず1例目は、メチルマロン酸血症でした。Not doing wellで産科から依頼を受けて、診察をして、高アンモニア血症、アニオンギャップの拡大、があり代謝スクリーニングキットでメチルマロン酸血症らしいと考えられ、とりあえず自分の血液400mlを使って交換輸血をして、ビタミンB12を注射しました。すると、アンモニアの再度上昇を抑えることができました。有機酸の分析からも診断は間違いなく、幸いにもビタミンB12依存性でした。今は、成人されています。2例目は、血糖のコントロールに難渋しました。腹膜環流を行ったりしましたが、亡くなられました。有機酸の分析で長鎖脂肪酸に関係する酵素の異常だとは診断されたのですが、なかなか診断がつきませんでした。結局は信州大学の橋本教授が発見された新しい酵素の欠損で、信州大学の諏訪先生がPediatric Reserchに投稿されました。診断がついたのは死後8年でした。その間、熊本大学の犬導先生が皮膚からとった繊維芽細胞を培養してくださっていました。開業してからもアミチェックは使っていますが、柳の下の泥鰌は目下のところ2匹で、診断に至るような患者さんはありません。

固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.07.24 02:45 |  診療  |  開業 / 病院経営  |  その他(一般)  |  波良張  | 推薦数 : 0

悪性腫瘍の患者さん

私どもが仕事を始めたときには、未だ、県立小児病院はなく、埼玉医大もできたばかり、防衛医大は未だ建築中で、文字通り八百屋医者を演じていました。白血病は診断をつけると都内の専門病院に行くか、私共で診るかは患者さんの家族に委ねました。白血病は昭和54年が最後で、以後は患者さんも専門病院を選択されるようになりました。それでも、私でも白血病や悪性リンパ腫で治癒例を経験できました。他の病院で治療され転院して来られた方もありました。悪性腫瘍の方が悪性腫瘍で亡くなられるのは、致し方ないと思いますが、合併症で失うのはご家族も辛いことだと思いますが、私どもも辛いものです。慢性骨髄性白血病の患者さんが、病気は落ち着いておられるときに点灯されて頭蓋内出血でなくなられたこともあり、本当に辛い思いをしたこともありました。悪性腫瘍の患者さんを診ることは、トータルに診ることを意味します。教育のことにも関ります。途中で経験する病気が、全身に影響がでないようにしなければなりません。今や白血病は治癒されるのが多くなり、私どもが医者になった時代とは全く事情が異なっています。開業医である今は、自分が治療の中心にはいませんが、日頃の何かあったときの対応には関っています。

固定リンク | コメント (0) | トラックバック (1)

2007.07.23 02:03 |  診療  |  開業 / 病院経営  |  その他(一般)  |  波良張  | 推薦数 : 0

隔離病棟のこと

国立病院の中に周囲の8ヶ市町村の組合による法定伝染病の患者さん用のベットがありました。30床あり、治療は国立病院が分担していました。ポータブルのレントゲン装置や顕微鏡などの若干の医療器具が揃っていましたが、人工呼吸器などはなしでした。たまに、患者さんが入院しました。小児科では赤痢が殆どで、腸チフス2例、髄膜炎菌性髄膜炎1例が経験した患者さんです。髄膜炎菌性髄膜炎の患者さんは乳児で、輸液ポンプもなく、看護婦さんも乳児の管理になれていない、ベットも乳児用がなく、院長に頼んで、ナイセリアによる髄膜炎ということにして小児病棟に移して貰いました。小児病棟の個室で治療をしました。幸い、後遺症もなく治りました。インターンのとき、東京世田谷の病院だったのですが、日本脳炎の患者さんが入院され(成人)、院長が人から人へうつる病気ではないので、ウイルス性脳炎として、伝染病院に送らないで大学から来ておられた先生に診ることを許されていたのを思い出しました。院内で流行することはないと考えて、私もやらせてもらいました。多分、もう時効でしょう。逆にサルモネラ腸炎だと考えて入院させた患者さんがチフスとわかり、そのまま診ようと思ったのですが、許されず、また隔離だと医療費の負担がなくなるので一般病棟から伝染病棟に移しました。家族を調べたら御婆さんが(70代)が18歳のときにチフスに罹患したそうで、陽性でした。患者さんもお祖母さんもなかなか除菌できなくて、入院期間が長くなりました。お祖母さんは、とうとう都立の伝染病院に移されて胆嚢摘出の手術を受けられました。50年以上も保菌者だった可能性があるとのことでした。今は法律も変わり、その病棟は使われていません。伝染病という言葉も懐かしい古い言葉になりました。

固定リンク | コメント (0) | トラックバック (1)

2007.07.06 23:42 |  診療  |  開業 / 病院経営  |  波良張  | 推薦数 : 2

病院内学級

病院内学級の誘致に成功したことは前にも書きました。最初は7人でスタートしました。開級式のときに所沢市の教育長さんが見えて下さったのですが、あいにく、そのときには所沢市の子どもは一人もいませんでした。やがて、気管支ぜんそくの患者さんが増えて、一時的には29人も在籍したことがありました。北海道から東京に転居されたネフローゼ症候群、新潟県から千葉県に転居されたネフローゼ症候群の患者さんが入院、在籍されたりもしました。当初は、病棟内の遊戯室を利用していましたが、次年度は開棟していない病棟の部屋を使い、やがて、病院の敷地内に所沢市が2階建て4室の学級を作ってくれました。学校側と病院側との話し合い、それに親も加わり、病院側からは加来道隆院長、学校側からは内野校長が出てくださいました。子どもが病院食を昼に食べるときに、先生も一緒に食べられるように病院食ですが、病院から出してもらっていました。それも、国の方針で駄目になりました。始業式、修了式には出ていました。若狭小学校の校歌は中田義直の作曲です。私もすっかり覚えてしまいました。子どもが学校に行くと、午前中がいないので、診察や検査の予定が午後にならざるを得ません。でも、こどもにとって学校の存在は大きかったと思います。

固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.07.04 02:43 |  診療  |  開業 / 病院経営  |  その他(一般)  |  波良張  | 推薦数 : 2

外来で見つけた縦隔腫瘍

今までに、2例縦隔腫瘍を見つけました。1例目は、勤務医時代で、夜の3時頃に咳が止まらないという訴えでお父さんが連れてこられました。非常に刺激的な咳でもう随分と続いているとのことでした。中学1年生でした。打診で明らかに中央濁音界が拡大していました。お父さんに、何かあるので、良い写真をとりたいから朝の勤務が始まる頃に来て欲しいと話して、来てもらいました。日頃診て貰っていた先生は、呼吸器(内科)を専門にして癌専門の病院に長く勤めておられた先生でした。子どもに胸部の悪性腫瘍があるとはお考えにならなかったのでしょう。都立清瀬小児病院外科にお願いしました。リンフォーマだったそうです。治療を続けられて最終的には鬼籍に入られました。もう一例は開業してからで、首が痛いとして整形外科に行かれて、胸部レントゲン写真や頚椎の写真をとられて様子を見ることにして返されました。お母さんは、どうも首から上が浮腫んでいるのではないかと思われてその足で来られました。上j大静脈症候群でした。土曜日の午後で本人はサッカーに行きたいというのを、やはり都立清瀬小児病院に縦隔のCTを撮って欲しいとお願いして送りました。入院してその夜に呼吸停止を来たしましたが、救助されて診断もリンフォーマとつき、化学療法や骨髄移植をされましたが、再発してやはり鬼籍に入られました。ともに中1でした。診断の発端は日常の診療の中でした。まさか、と思われる患者さんが風邪や腹痛の患者さんにまぎれているのです。このような経験は、見落としガないようにいつも緊張してみることの必要性を物語っています。理学的所見を正しくとることは大事だなと思います。

固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.07.03 02:18 |  診療  |  開業 / 病院経営  |  その他(一般)  |  波良張  | 推薦数 : 2

助けて貰った患者さん

SLEの女児でした。中学生で発症、腎臓合併もありステロイド投与をしていました。ネフロティックになり、ステロイドを増量したときに、出血性潰瘍を合併しました。吐血、下血が止まりません。貧血、輸血、浮腫でした。腎機能も低下していました。外科は手術には絶えられないから。自然経過にまかせたらという意見でした。そのときに、都立清瀬小児病院の伊藤先生に診てもらい、止血すれば腎臓に関しては透析でも救うことが出来るから外科になんとか頑張ってもらおうと言われ、外科に再度依頼をして、止血を回復して行って欲しいと頼みました。命は保証できないといわれるので、命は救って欲しい、止血を優先にとお願いして、外科で行ってもらいました。十二指腸潰瘍で、出血部位を縛るだけの手術で止血ができました。そのあと、清瀬の先生に透析機を持ってきてもらい透析をして腎機能を保ち、ネフロティックになった状態からも離脱できて、命は救われました。大変な状態になりながらも山下達郎の音楽を聴いていた患者さん、手術のときに手術室の前の廊下で手を合わせて祈っておられたお父さん、透析に徹夜で付き合ってくださった伊藤先生、その姿は忘れられません。患者さんは、成人後、亡くなられました。伊藤先生も故人になられました。色々の人の決断が救った命だったと今でも感謝しています。

固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

波良張
More プロフィール

Search

Calendar

<< 2007/07 >>
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

トップページ

Doctors Blog

ブログの購読

新着コメント

新着トラックバック