昭和48年に病院が誕生するのに機を同じくして赴任をして、地域には自分の病院しか子どもの医療機関はないとの思いで走っていました。防衛医科大学校の誕生と充実、埼玉医科大学が」整備されてゆき、県立小児保健センターが、県立小児病院が誕生して充実されていき、川越に埼玉医科大学総合医療センタができると、私どもの国立病院の役割は狭まってきました。そえは、小児科だけでなく他の診療科も同じです。病院は、特に高機能を備えているわけでなく、私どものウリも特に優れたものがあるわけではないのです。新生児から思春期まで何でも応じて必要があれば専門家につなぐ、既に治療を他で受けている患者の緊急の場に応じる、他の医療機関の隙間を埋めるということでやっていました。今後、どのような機能を持つかは、このよう便利な地域の病院としての機能を果たしながら、発達を中心として機能を持つべきではないかと考えていました。脳性まひ、重度の発達障害は、それなりに落ち着く先がありますが、そうでない発達障害の子どものリハビリ、教育、生活支援をする場所は余りありません。とともに、小児医療専門機関とタイアップしてサテライト機能を持つことを考えました。しかし、県が国の施設をとタイアップすることはあり得ても、国の施設が県の施設にタイアップするのはないのだそうで、私の考えはまとまりませんでした。折角、学校を招致して、ベットも32床の小児用のベットを持っていたのですが、活かしきれませんでした。
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