昭和48年、入院患者では急患でも入院でも喘息が多かったのです。プリックテスト、希釈しての皮内テストを行うと、殆どがハウスダストで、鳥居の抗原を用いて減感作療法をおこないました。治療は、発作の時には、当初はアミノフィリンの点滴やアロテックの吸入を行いました。脈が速くなるのが嫌でした。入院させてインタールをスピンヘラーを用いて吸入、液が出るとネブライザーで吸入しました。ベネトリンの吸入液が出てからは、インタールと併用するとコントロールが有効になり、西川先生が論文を出されたときには、似たようなことをやる人もいるものだと思っていました。テオフィリン製剤は、テオナPの時代から、テオドールへと変わってゆきました。其のうちにベクロメサゾンの吸入も治験から使うことが出来て、コントロールが容易になりました。小児の夜間の急患で喘息が多いので、看護婦達がアンケート調査をしたり、急患の数を減らせないかと看護研究をやり始めました。私は、喘側日記をを書かせていたのですが、日記をつけている子は急患で来る頻度が低い、子どもが使っている薬の名前を言える親の子は急患で来る頻度が低いということでした。教育が行き届けば効果がよいことなのだと思いました。開業して、今も、喘息児は多いのですが、発作で来る例は少ないし、日記を書くか経過を書くようにしているので、効果はよいようです。昔に比べるとコントロールしやすくなり軽症化しましたが、アウトグロウできない例も多くなったように思います。
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今、平成19年5月現在、麻疹が首都圏で流行しています。大学生が多く、たくさんの大学で閉鎖が行われています、学問の府の大学が其の門を閉ざすのはよほどのことなのですが、どう今後は推移するのでしょうか。想えば、私の弟は麻疹で亡くなりました。昭和20年5月のことで、母の血液を輸血していましたが、今から考えるとガンマーグロブリン投与と同じ意味だったのでしょう。麻疹で亡くなった子どもにも何人となく出遭ってきました。病院勤務医時代に、AOD(病院到着時に死亡していた)の例の中で、麻疹でそれほど重篤感がなかった女児で、早朝に布団のなかで心肺停止で救急車で来られた方がありました。剖検をさせていただいたら肝臓などはま黄色になっていて脂肪変性が顕著でした。組織所見強い脂肪変性を呈していて、麻疹での死亡にはこのような例もあるのだと思いました。平成2年だったと思いますが、流行があり、約80名の入院で3名死亡しました。1例はダウン症候群でしたが、他の2例は、日頃は健康な児であったと聞いていました。幸い、今のところ死亡例の報告はないようですが、怖い病気であることをもっと認識して欲しいと思います。
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