日本が韓国がつくる僻地中核医療センターに対して無償援助をすることが計画されていました。福田総理の時代で、韓国は朴大統領の時代でした。なぜか、私も事前調査の一人になり韓国に行くことになりました。冬に行く予定が、4月に延期になり、この年は桜を2度見ることができました。この時代はソウルの金浦空港に降ります。福岡空港に着くよりも早いくらいの所要時間でソウルに着きました。私は昭和13年にソウルで生まれていますし、祖父が戦前、ソウルで醤油味噌製造販売業を営んでいて、昭和19年にソウルを訪れていますので、幼い子ども時代の記憶ながら懐かしさも覚えての旅でした。調査団の3人は日本大使館の方に導かれて、韓国政府を表敬訪問しました。先ず、互いに自国語での挨拶の交換がありましたが、それが終わると日本語での会話になりました。カソリック医科大学がセンターの設立運営にあたるのですが、学長、病院長ともに、日本語で違和感無くお話されました。政府の高官や大学のスタッフの多くが、昭和20年前の教育を受けておられるので、日本語を話されるのです。私どもには調査を日本語で出来るので便利なのですが、
申し訳ない気にもなりました。調査はカソリック医科大学を先ず見せていただき、センターを運営できるかどうかを見ました。予定地は漢江をはさんだ対岸にありました。カソリック医科大学はソウルの繁華街のミヨンドンの近くにありました。大学のスタッフに個々にお会いした訳ではありませんが、医師や看護婦のデスクには日本の参考書が立てられていました。英語の教科書が中心で医学教育は行われていたようですが、症状や所見の勉強には日本語の方がぴんと来るといわれていました。もう、今は韓国語の参考書が中心になっていることだと思います。ソウルへの中継基地になる地方のキリスト教の病院を見て回りました。国立病院にも行きました。一部には、未だ昭和20年前のレントゲンの機械が使われていました。写真はかなり劣悪のできばえでした。キリスト教の病院は、援助などもあって一流のものが用いられていました。保健婦だけがいる、無医村にも行きました。英語とハングル文字で印刷されていた、村人の健康カードのようなものが、家族ごとにファイリングされていて、保健婦が記録をしていました。医科大学の衛生学の教室の指導がされているとのことでしたが、ハングルが読めませんので内容はわかりませんが、保健婦が地域のヘルスケアーの中心であり、病人がでると、置き薬のようにして保健所に備蓄されている薬物を渡したり、症状によって、医療機関に送るというのです。キリスト教の医療機関が全国に分布していて、その連携で病状によって最終的にはソウルの中核センターに送るシステムが、国のシステムにもなると言うことでした。一国の医療機関を実際に見せてもらいましたので、医療というシステムを考えるのには非常に勉強になりました。観光旅行で韓国を訪れている方々は多いでしょうが、観光からは程遠い経験でしたが、得がたい経験でした。韓国は朝鮮戦争の傷が未だ癒えていない時代です。大統領は日本の士官学校を卒業された朴大統領でしたし、未だ、戒厳令が出されていて、夜、10時の刻限が過ぎるとホテルの窓から見える街は一斉に人がいなくなり、車もなくなります。地方の病院を見に行っているときに、防空訓練も目の当たりにしました。サイレンがなり、空襲が演習として、一般住民も参加して行われていました。私には幼少期にみた日本の防火訓練の再現のように見えました。ソウルでも地方でも日本語が通じました。これも、悲しく思えました。私どもは連合軍に占領されましたが英語で喋ることは強制されていません。北と南に家族が別れ別れに住んでおられる方々も少なくないと伺いました。同じ民族であるだけに、うらみも強い場合もあれば、憎みきれない場合もあるように思いました。日本でも会津と薩長の間の複雑な思いが明治維新にからんでありますが、それ以上だと思います。恐らく、それは、今も同じなのだろうと思います。
当時、韓国は兵士だけに保険制度があり、一般市民は医療制度は自己負担で行われていて、保険制度の導入が計画されている時代でした。カソリック医科大学が計画されている内容を伺うのですが、キリスト教だとチャリティクリニックがあり、福祉も含んだシステムになり、日本国が他国の宗教団体に援助をするのは例外的なのだそうですが、韓国の場合にはキリスト教信者が国民の多数を占めていることも、あり、そこへの援助が意味がありように思えました。私ども自身が援助をするわけではありませんし、レポートがどのように用いられたか、実際の援助がどのようにおこなわれたかなどは、わかりませんが、自分には勉強になりました。その後、映像でソウルの町並みを見る機会は多数あります。ソウルオリンピックで急速に都市化したソウル、地方も年を追って、変わりつつあるのはよくわかります。不可能なことですが、韓国の医療システムがどの様に変わったのかを見ることができればと思うときがあります。予定を1日早めて帰国しました。6日間の旅だったのですが、病院官舎に帰り点灯したら、同時に電話があり急患が来ているので診てもらえないかという電話でした。これも、驚きでした。
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