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妹は24歳で秋に結婚も予定されていました。1月にインフルエンザに罹患しました。といっても私は、知らなかったのですが。妹は両親と九州の久留米に住んでいました。1月15日の朝、私は当直で当直室に寝ているときに、もう一人の妹が電話をしてきました。高熱でトイレにも歩いて行けない、父は医者なのですが、布団を被って寝ているがどうも泣いているらしいというのです。父を起こして貰って話をしました。インフルエンザだと父は言います。肺炎を起こしているのではないかというと、否定します。どうも重症らしいので、入院させたらどうかというと、休日にどこに入院させるのかと言います。私は、電話をきって、久留米大学の小児科にいる友人に電話をして相談をしました。友人は聖マリア病院に相談をしてくれて、病院から救急車で迎えに行ってくれました。しかし、余りにも重症なので、久留米大学に転送してくれました。入院できて、父から電話では少し落ち着いてきたと言ってきましたが、友人は今久留米まで来ないと間に合わないと言ってくれました。私どもは、何時でも直ぐに飛び出すわけにはいきません。それに、15日は休日で旅費を下ろすこともできません。16日、外来診察をしているときに、妹がなくなったという報告が入りました。当初は、診療をしていたのですが、冷静に続けることが難しくなったので、交代をしてもらい、数日、留守をすることの準備をして九州に旅立ちました。妹は剖検をされて肺炎とされていました。久留米大学に行き、主治医の医師に説明を聞きました。多発性のマイクロアプセスが出来ていたそうです。昭和51年だったのですが、自分は何人も細菌性肺炎の子どもをキュアできたのに、口惜しくてたまりませんでした。父は、自分が診ていて亡くしたので辛かったでしょうが、もっと早くに他人の手に委ねていたら、失うことはなかったのではないかと思いました。久留米大学の医師は私より若い方でしたが、『お父さんも辛いのでしょうから、責めないように』と言ってくれました。父と娘では、十分な打聴診もしていたかどうかわかりません。重症の肺炎は理学的な所見、病状でも予測がつくと思います。それが、親娘という情が入り、軽くあってほしいという願望が軽症と判断したのだろうと思います。情ではなく、事実を直視することが大事なのだという好例でしょう。母は父を責めることはしませんでした。仕方ないことと受け入れたようでした。私には『お前が近くに居れば』と一度、言いました。親許から離れて関東に出てきたのですが、若し、熊本に居れば診察に帰っただろうと思います。自分の身内を失うのは、辛いことでした。そのことは、身内を失うことの辛さを自分の患者の家族に味合わせてはいけないと思いました。以後、より、病院に居る時間が長くなったと思います。
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