2007.04.01 02:37 |  診療  |  開業 / 病院経営  |  その他(一般)  |  波良張  | 推薦数 : 0

近くに大学病院が出来た

同じ市内に既に建築中であった防衛医科大学校がいよいよ発足することになりました。所沢市の人口は昭和48年は18万人台でした。人口は急速に増えていました。私どもは十分忙しくしていましたので、若し大学病院が稼働し始めれば、私どもは楽になるだろうと考えていました。また、大学病院が活動を始めれば、私どもの病院の患者が無くなるのではないかという恐れもありました。小児科は東京医科歯科大学の助教授であった岩波文門先生が着任されることが報じられていました。私は、どんな先生かは存じ上げなかったので、医学中央雑誌で論文を探してみました。すると、色々の広い範囲の分野に論文を出して居られて非常に博学な先生であることが推察されました。或る日、先生からお電話があり、自分が尋ねていくから会いたいとのことでした。お会いしてみると今まで助教授というには、貫禄もおありになり、お年もめしていらっしゃいました。スタートは数人のスタッフしかいないので、当分病棟は開設できないこと、診療は始めたら当然入院が必要な患者は出るはずで、その際には全て受けて欲しいことを言われてウイスキーを頂きました。そして、まもなく、防衛医大の診療が始まりました。教授がご覧になった患者の入院が一番多かったようでした。あるとき、教授から『消化不良性中毒症』の患者をとって欲しいといわれました。丁度、研修医がラウンドしているときでしたが、教科書をみてもその病名がでていないが、どんな病気かと言われました。戦前から戦後初期の小児科学の中での、消化不良の概念を若い研修医に電話があってから患者が到着するまでの短い時間で教えるのは難しいことでした。患者が来てみると、実際には中毒症状は勿論、嘔吐下痢も無く、益々、理解をしてもらうのに難しかったことを覚えています。私にとって、実際の患者にこの病名をつけられた最後の医師にお会いしたことになったと思います。もう、私どもは、急性胃腸炎+高度脱水+代謝性アシドーシスなどと診断していましたので、研修医にとっても不思議な患者さんであったようでした。そのうちに、小児科の入院もご自分達でご覧になるようになり、いつとはなしに患者さんは来なくなりました。開業医の先生と相談して、所沢小児科医会を作り、教授に会長になっていただきました。毎月開催するようにしました。防衛医科大学校付属病院の中で開催していました。大学も次第に整備され、学外で行うことがよくなり、医師会館で行うようになりました。今は、毎月の講演会と2回の防衛医大からの症例検討会を行っています。防衛医大は初代の岩波先生が途中で退職され、2代目吉岡先生が定年まで、3代目の関根先生は病院長も勤められましたが、定年後に亡くなられ、現在は野々山先生がお若くして赴任をしてこられて、教室員の方も増えて地域の医療の中核を担っていただいています。今は、5年生が実習の一部として私どものクリニックに1日来られます。そのような意味では、私どもはいつも身近な大学として感じています。

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