昭和48年までは、国立所沢病院で多少の新生児を扱っていたのは事実だが、救急医療は全く行われていなかったと言えます。理由は、保育器はありましたが、新生児輸液用の機器、バックアンドマスクもなかったことでわかります。産婦人科医が母体搬送を考えるときも、新生児医療にまでは考えが及んでいなかったと思います。ハイリスク新生児は、救急車で国立小児病院に転送されていたようでした。私は、岡山の国立病院山内先生を訪問して、見学をさせていただき、教えていただいたことはありますが、後は自学自習で新生児医療を行いました。バックアンドマスク、CPAP,新生児人工呼吸器と設備を拡大するにつれて、救助可能症例が増えることや、実績もあがることが実感できましたが、最も手っ取り早いのは、実力を持った人を向いいれることです。その意味では、経験をした後輩が来てくれたのはありがたかったと思います。埼玉県にも県立小児医療センターが開設され、埼玉医科大学の本部の新生児施設に加えて、川越に総合医療センターが誕生し、県内の新生児を扱える病院が深谷日赤、春日部市立、越谷市立、川口済生会、国立埼玉、国立西埼玉中央、丸山病院、獨協大学越谷、あとに川口市立と増えたので、新生児医療のネットワークができました。ネットワークつくりに、現在山梨で開業している新津直樹先生と故小川雄之介埼玉医大教授のお力が大きかったのですが、そのシステムつくりに参加していることで、自分達も勉強ができました。地域から本当に頼られる施設になるには、相当の努力をしなければなりません。勉強も大事ですが、信頼にこたえようとする人間関係を産婦人科の医師との間に持つことです。小川先生は、産婦人科医に頼られなければ、子どもは救えないと話しておられました。埼玉医大から参加施設に新生児を救急車で迎えに行き、我々の施設に搬送してくださることも、多くなりました。私も新生児を救急車で迎えに行きましたが、新生児の医療のシステムを構築することへの関わりが、地域医療を考えたり、連携を考えるのに学びの機会になりました。
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