昭和48年3月で恩師は定年退官を迎えられました。早速、次の教授の選考が始まりました。ウイルスを専門にされていた方が選ばれて教授に就任されました。教室にはウイルスで仕事をした人もありましたが、地方の大学では大学病院はターミナルホスピタルとしての役割が大きく、臨床での要求度が高いのです。教授にとっても、教室の人にとっても不幸な組み合わせだったようで、教授は1年足らずで元の職場に戻られてしまいました。教授を再度、選考されることになりました。今度は、教室にとって本当によい人にと思い、北は北海道から南は鹿児島大学までの助教授以下の仕事を調べることにした。一時は、それをそらんじて言える位になった。そして、私個人としては、お一人しかいないと絞りこみました。業績があり、臨床家としての幅と深さがあり、若い人を指導していただける方では、この方しかないと思いました。ご本人の意思はわからない。候補者に上げられることが先ず、第一歩と思っていたら、そのようになり、結局、其の通りになりました。決まったとの報が大学から届いたときに、心から快哉を叫びました。これで、母校の教室は変わる、変わる事が出来ると思いました。そして、それも、其の通りになりました。先生は定年退官され、先生が育てられた弟子が教授職を継いでいます。私は、教室に戻ることはしませんでした。それでも、色々ご指導を受けることが出来て、自分が選考委員を務めたわけではないのですが、嬉しいことでした。教授決定のときに、本当に喜んで下さった方がありました。久留米の山下文雄先生でした。教授のもとで育った方々は、努力をしてひとかどの専門家に育っています。でも、指導者の影響が大きいことを見てきました。若い時代に、優れた指導者に遭遇することが大きな意味を持つと思います。
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