昭和49年、病院に付属の看護学校が出来ました。小児看護の講師になりました。また、看護学校の運営委員にも任じられましたので、看護学校の教育に大きく関ることになりました。教科書をみると、医師の教科書を易しく書き直したような内容で看護婦としての教育に適しているとは思えませんでした。看護学校の教務の人に聞いてみるのですが、薄井式科学的看護技術論なるものがあって、学生は看護計画を書くのですが、どうも指導している側と学生側と共に理解が出来ていないようで、どうも実際的ではないように思いました。例えば、白血病でステロイドの大量投与が行われて、患者が副作用で多幸的になったのが、生物体としての条件、生活体としての条件として分けて考えられないのです。症状や所見をSOAPで考えた方が実際的だと思いました。看護診断も少し学びました。医師の治療は疾病の診断がなされなければ、基本的には始まらないが看護は患者に遭遇したときから始まる、そのための診断が看護診断であり、そえは医師に看護婦が従属することを意味しないと考えました。日本の教科書よりも訳本の臨床看護マニュアルの方が学生にも理解しやすいと考えて購入を勧めて、病棟にも買っておき、看護婦や学生に利用してもらいました。後に、これが縁だったのでしょう看護婦、保健婦、助産婦の国家試験委員になり問題作成に関与しました。後年、看護学は看護婦が教えるということで、授業時間は減りましたが、非常に勉強になりました。
今も看護診断は我々のようなプライマリケアを分担する場では大いに参考になると思います。
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昭和48年3月で恩師は定年退官を迎えられました。早速、次の教授の選考が始まりました。ウイルスを専門にされていた方が選ばれて教授に就任されました。教室にはウイルスで仕事をした人もありましたが、地方の大学では大学病院はターミナルホスピタルとしての役割が大きく、臨床での要求度が高いのです。教授にとっても、教室の人にとっても不幸な組み合わせだったようで、教授は1年足らずで元の職場に戻られてしまいました。教授を再度、選考されることになりました。今度は、教室にとって本当によい人にと思い、北は北海道から南は鹿児島大学までの助教授以下の仕事を調べることにした。一時は、それをそらんじて言える位になった。そして、私個人としては、お一人しかいないと絞りこみました。業績があり、臨床家としての幅と深さがあり、若い人を指導していただける方では、この方しかないと思いました。ご本人の意思はわからない。候補者に上げられることが先ず、第一歩と思っていたら、そのようになり、結局、其の通りになりました。決まったとの報が大学から届いたときに、心から快哉を叫びました。これで、母校の教室は変わる、変わる事が出来ると思いました。そして、それも、其の通りになりました。先生は定年退官され、先生が育てられた弟子が教授職を継いでいます。私は、教室に戻ることはしませんでした。それでも、色々ご指導を受けることが出来て、自分が選考委員を務めたわけではないのですが、嬉しいことでした。教授決定のときに、本当に喜んで下さった方がありました。久留米の山下文雄先生でした。教授のもとで育った方々は、努力をしてひとかどの専門家に育っています。でも、指導者の影響が大きいことを見てきました。若い時代に、優れた指導者に遭遇することが大きな意味を持つと思います。
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大学を出るとN君は研修医としてやってきました。循環器科を志望していましたが、基礎研修で廻り始めた最初の内科で、それまでネフローゼ症候群として蛋白尿でステロイドを投与されていましたが、軽快せずにいる患者がいました。高度の蛋白尿があるのに低蛋白血症がないことに彼は着目しました。相談を受けたので、患者尿をビスキングチューブに入れて、冷蔵庫に吊るして濃縮し電気泳動、免疫電気泳動を行いました。、血液の蛋白分画でM蛋白があるのを証明し、多発性骨髄腫の診断に至りました。また、高血圧で入院してきた患者で医長は降圧剤を使うように指示しましたが、彼は診断を行い、クッシング症候群であることを診断しました。其のうちに患者は脳圧亢進を呈しました。医長は脳外科に転科させましたが、彼と二人でインデックスメディクスで論文を探してクッシング症候群で脳圧亢進がくることを示して、内科に戻して貰いました。そして、それは肺の腫瘍で沢山のポリペプタイドホルモンを産生していることを証明しました。当時の言い方ではUPDOMAです。手術を受けられましたが、最終的には亡くなられましたが、珍しい患者さんを研修医が次々と診断を覆して正しい診断に至らしめました。卒業年次の古い人が師であり、若い人が劣るものではないことを彼は示したと思います。今は、高血圧になった私の主治医です。
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昭和45年に結婚しましたが子宝には恵まれませんでした。つれあいの見せる症状から子宮内膜症を考えて、受診していましたが、妊娠はできませんでした。赴任をした病院で、私を招いて下さった院長は産婦人科で診察をしていただいたら、子宮内膜症で、子宮が癒着により後屈が強いので、手術をすれば妊娠できると言われて、手術をして下さいました。見事に、妊娠できました。先生はやはりなかなか奥様が妊娠されなくて、不妊については勉強もしたし、工夫もしたと仰っていました。ご自分は妊娠が判明してから御長男誕生までに論文を8編お書きになったそうです。私は、8編も書けませんでしたが、嬉しい出来事でした。妊娠中に、つれあいが具合が悪くなったときに、産婦人科医長に相談したら、ドゥファストンを注射するように言われて、病院から持って帰って官舎で注射をしたら脈拍が触れなくなり驚きました。官舎の窓から病院を見ると医師がいるのが見えたので電話をして点滴セットと輸液用の注射液を持ってきてもらい間もなく回復しました。幸い、後遺症的なものもなく無事に出生できました。長男が生まれたのは昭和49年7月でした。その後、つれあいは内膜症による症状も無く、長女、次男を出産しました。今は、3人ともに成人になり、上2人は歯科医、次男は小児科医を目指して後期研修中です。子育ては、色々と経験をさせて貰いました。まさに子宝だと思います。
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アレルギー学会に入っていて、喘息は増加してきていたので、火曜日の午後に、皮膚テストでアレルギー検査を始めました。プリックテストで背中を使って陽性にでたものを、皮内テストで希釈テストで何倍希釈まで出るかを検査しました。そこから、脱感作を始めました。治療はインタールの吸入を基本にして、テオナP、ベネトリンの内服でした。重症発作例にイソプロテレノールの注射アンプルを切って吸入したりしました。ベクロメサゾンの吸入の治験が始まり、埼玉医大の中山教授に誘っていただいて、埼玉医大の医局員として参加しました。都内の病院でステロイドの内服をしていて満月様顔貌になっていた女児がアルデシンの吸入で経口投与から脱却できて、長期に使いましたが、ACTH負荷テストでも低下はなく、中山先生の書かれた論文に症例を出すことができました。テオナPがテオドールになり、インタールにベクロメサゾンの吸入が加わりました。発作時の治療もコントロールも時代と共に変遷し一緒に歩んできた思いがあります。インタールの液が出て、吸入もサルブタモールが出て、インタールと組み合わせてコントローラーとして使ってみたら、よい結果が得られましたので、愛用していました。テオフィリンの量もおおいときは体重1kgあたり24mgと言う時代もあり、今から考えてみるとよく副作用の例に遭わなかったと思います。
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早朝に痙攣を起こして急患で受診する患者さんがいました。何度も起こすので東京大学を紹介し、てんかんとして投薬を受けていました。或る日、当直をしているときに受診されました。血糖を測定してみると確か20mg/dl以下の低血糖でした。鑑別をしようということになり、絶食にしても低血糖にはなりません。むしろ、ケトン食負荷で低血糖が起こりました。グルカゴン負荷でも起こりません。アラニン負荷でも同じでした。低血糖をケトン性低血糖と診断しました。痙攣は、前日完全に夕食をしなかったときは起こらず、むしろおかずだけ摂取したときに起こっていました。この病気を最初に報告されたのは、熊谷道夫先生だった。慶応大学の小児科で、都立清瀬小児病院の院長を勤められました。先生には、直接、お話を伺う機会がありました。以後、気をつけていると、結構、頻繁に診るようになりました。小児科の外来にカルピスを置いていましたが、これはこれへの対策です。今は、チョコレートや飴をおいています。病気と言うよりも、発達途上の問題なのでしょう。其の患者さんは、以後、痙攣をみることもなくなり、抗痙攣薬はやめました。
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