当時は、救急医療告示病院が急患を時間内、時間外ともに診ることになっていました。開業医の方々も1日に数百人の患者に対応すると言う有様でした。小児科医が必ずいるという病院は近くにはなく、患者が殺到するのは致し方のないことでした。昭和48年度は急患が年間で2600名ほどあり、そのうち約半分が小児科で、それは3人で診ました。急患の中には、院内出生で入院した新生児は含まれていないので、小児科の時間外の診療は大きいことがわかります。昭和48年12月30日は約130人の急患が来て、そのうちの一人は入院後に死亡しました。福岡県で出生し、大学病院に入院していて、退院して飛行機で羽田に着き、着いた時に痙攣があり、羽田から直行して入院して亡くなりました。黄疸が強いと言われていたそうで、脳内出血でした。当時は、超音波、X 線CTもなく、画像診断が出来ていませんでした。一人では診ることができない数ですから、小児科は3人で診ました。開院したときは、蘇生用のバッグ&マスクもなく、それを購入し、新生児にCPAPが出来るようになり、昭和49年9月に新生児用の人工呼吸器が入るのですが、機器整備と新生児の救助率は平行して向上してきました。
それでも、所沢保健所管内の新生児死亡の27%しか、我々のところでは死亡していないので、我々が本当に地域の新生児施設になるのには、当院での死亡がもっと大きな割合になり、かつ実数が減ることだと報告しました。新生児医療について、学びに行く時間的余裕がありません。1日国立岡山病院を訪ねて山内逸郎先生にお会いして来ました。
それでも、学ぶところは大きく、患者を通じて学びました。
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