2006.11.24 00:48 |  診療  |  開業 / 病院経営  |  その他(一般)  |  波良張  | 推薦数 : 1

大学を離れることを決意した

昭和47年、私どもの教授が48年3月で定年を迎えられることは決まっていました。学内では、次期教授は外部からだと言われていました。自分がこの後、どのように生きるかを考えたときに、大学で研究一途とは考えられなかったし、臨床の腕を磨くには、少し年をとったし、自分で働きながらしかないと考えました。医局に若い人が集うのは、誰もが研究者、教育者を目指すのではなく、先ず、臨床を学びたいからで大学以外に適当な場所がないからであり、臨床家として基礎ができたときに、研究や教育への課題が見付かればよいと考えました。大学外部にそのような場所は作れるだろうし、そのような場を設定するために働いてみたいと思っていました。そのようなときに、埼玉県の二つの国立病院が廃統合して新病院ができることになり、院長が学生時代から可愛がっていただいた産婦人科の教授で、誘われて、一般小児病棟32床、新生児20を持ち、定員3ということで、教室会議にはかり、賛同を得て48年4月から出ることにしました。大学院学生として4年、助手として4年、インターンを入れると9年のキャリアーでした。

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