< ある悪性腫瘍の女児の話 | メイン | 自分の教室の歴史をたどる >

何時の頃からか、九州内の5大学、つまり九州大学、長崎大学、久留米大学、鹿児島大学、熊本大学の野球大会を行っていました。九州小児科学会を機に開催されていて、和光堂がスポンサーで、優勝旗も立派なものがありました。学会の懇親会よりも、野球の方がより親睦を深められていたと思います。大分で行われたときは、久留米大学と引き分けになり、9人でじゃんけんをして、最初の5人で勝負がついてしまいました。久留米大学の勝ちでした。私も出ましたが、太っていたので、ネフローゼ坊やと野次られました。剣道をやっていたので、面をかぶるのは慣れているだろうとキャッチャーをやらせられ、盗塁されても、なかなか刺せませんでした。山下文雄先生に『原君は名医になるよ、ひとりも殺さんもんね』と言われたくらいです。産学協同反対で和光堂の優勝旗を使わない、スポンサーも断ることになりました。すると野球大会が消えます。教授に提案して、大会は継続すること、5大学の教授に1万円づつ出していただいて優勝旗を作ることを貴田教授から提案していただきました。九州大学永山教授、長崎大学浅野教授、久留米大学船津教授、鹿児島大学寺脇教授、熊本大学貴田教授の出資で、熊本のメーカーで作ってもらいました。確か、5大学と書いてあるはずです。その後、産業医科大学、福岡大学医学部、佐賀医科大学、大分医科大学、宮崎医科大学、琉球大学、熊本大学発達小児科に講座が増えて、それでも大会は継続しているそうです。

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昭和56年から、鹿児島大学から、5回はこの野球大会に参加しました。たいした成績は残っておりませんが...
当時、我がチームは強く、寺脇教授特から宮田教授に変わってから、優勝してはいけないというお達しまで出ていました(笑い)。
創世記の大会運営が大変だったと言うことが良くわかりました。
九州小児科学会のメインは本当にこの野球大会でしたね。
written by スエちゃん / 2006.11.23 13:49
そうですか。昭和56年だと、私はもう関東にきていて、野球には無縁でした。鹿児島大学と熊本大学は別に出水や水俣で試合をやっていましたね。私は宮田先生と卒業年次が同じか近かったと思います。寺脇先生が教授の時代ですね。寺脇先生が会長で小児科学会があったときに、鹿児島で寺脇先生とお会いしたのが最後になったと思います。
written by 波良張 / 2006.11.24 00:07

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