当時、熊本県には小児科医が常勤で3人以上居る病院はありませんでした。大学病院小児科は必然的に熊本県の小児にとってはターミナルホスピタルの機能を持たざるを得ませんでした。それは、大学が何を課題にして研究をしているかとか、教育で何をしていても、医療の場としては、何にも優先してどのような患者さんでも受けるということなしには、子どもの医療は成り立たなかったのです。実際に、大学で診療していた患者さんは、色々の疾患がありました。そのことが、若い医師には好都合で、どの分野の病気でも対応する姿勢と経験が得られました。それが討論では、確認されました。大学病院に居て経験していると医師は自然に育つかのような考えがありましたが、それでは医療の水準があがりません。専門分野を目指して、学び実践し、次の世代を育てることが必要と言うことには、誰しも賛成でした。高い水準を目指すには、診療に結びついた研究が必要です。教室内部の討論から、臓器別の特殊外来を設けようということになり、心臓、腎臓、神経、喘息を中心として呼吸器の外来が設けられました。従来の、外来が教授、助教授中心であったのが、助手まで担当者が拡大されることになりました。私は、当初は心臓外来に割り振られましたが、後に腎臓になり、昭和48年、大学をさるまで腎臓外来を担当しました。
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