2006.09.26 23:58 |  診療  |  開業 / 病院経営  |  その他(一般)  |  波良張  | 推薦数 : 0

私の初期研修の感想

昭和39年4月から40年の4月から大学で6月まで、6月から41年1月まで呉共済病院で、1月から3月まで大学でと、いうことになるのですが。自分としては恵まれていたと思います。まがりなりにも、今ある診療科では脳神経外科、形成外科は当時はありませんでしたから、研修は出来ませんでしたが、臨床検査科、放射線科を含めて研修できました。耳鼻咽喉科や眼科は短かったのですが、眼底をみたり、鼓膜をみたりしたことは、以後も自分で見ることを続けられました。臨床医学の基本は内科にありと感じましたので、インターン時代から内科という雑誌を継続して読みましたし、教科書も購入して読みました。これは、今でもセシル、ハリソンは購入していますし、医学書院のJIMは1巻1号から読んでいます。インターンのときに小児科の指導を受けた川崎憲一先生にはその後も御厚誼を賜っていますが、先生が親にポイントをメモ用紙に書いてお渡しされていたのを、今でも私は行っています。1年目の出向した病院で当直を介して色々の科の患者に接したこと、基本を他科の医長に教えていただいたことは私の財産になりました。免疫、水と電解質は呉の時代に学びました。なけなしのお金で買ったアサヒペンタックスは今でも使えます。初期の研修は私は恵まれていたと思います。呉の病院の小児科医長の瀬戸本周司先生は私の自由にさせてくださいました。私も、若い人と一緒に働くときには、患者に迷惑にならないことなら思い切ってやってください。といってきましたが、自分が自由にやらせえていただいたことを感謝しているからだと思います。

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私は昭和41年1月4日で大学に戻ることになっていました。当時、病院には九州大学から、外科、産婦人科、整形外科に私と同じように若い人が来ていました。内科に岡山大学から来ていました。外科のT先生の発案で、日頃、医長にお世話になっているので、暮れの28日の夜から4日の朝までの当直を若手医師で引き受ける、一人1日1万円、お酒1日1升という条件でと言い出しました。岡山からの内科の先生は、同意しないで岡山に帰ってしまいました。稼いだ金で、若手で泊まりに行こうという計画もありました。院長は二つ返事でOK,ところが院長もしたたかで、4人で当直をしているので、どのような患者でもOKということを消防署と医師会に流していました。整形外科と産婦人科の二人は、元旦に戻るからと九州に帰りました。外科のT先生は、29日の朝、目が見えないと言い出し、検査をしたら肝機能も悪く、入院になってしまいました。ひとりになって、患者さんはくるは来るは、酒を呑むどころか寝る暇もなく、外科がいなくなってしまったので、虫垂炎疑いも手術が出来ず、仕方なく、入院してもらいました。1月2日に、外科医長にお願いしてまとめて手術をしてもらいました。1月4日、朝が来たときには本当にクタクタでした。小児科の医長は1回も呼び出しをしなかったので、私の目標は達しました。稼いだ金で私の送別会を行うことになり、出席者は負担なしで募集したところ、来て下さった人が金一封を下さり、何と黒字になってしまいました。私が、熊本に帰った後、私の後任を含めて泊まりに行ったそうです。私は、この病院で年を越して1月8日、ボーナスでアサヒペンタックスを買い、いくらかのお金を持って半年の出向を終えて大学に戻りました。当直のときは、何科でも診ましたし、トータルに学ぶことができた半年でした。結果的に楽しい半年でした。

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