医師になる前に、人間としてどのようであるかを学ぶ必要があります。私の父方の祖父は、明治26年生まれの小学校卒業の学歴でした。佐賀の山の中で、曽祖父は味噌醤油製造業を営んでいたのですが、ここでは将来性がないと考え、現在のソウルで味噌醤油製造販売業を営みました。色々困難な出来事があり、浄土宗の熱心な信者になります。自分の子どもは、医者か僧侶にしようと考え、父に選択させたら、父は医師の道を選びました。昭和21年、私が8歳のときに、佐賀に祖父も引き揚げる、我々も転居する形で同居しました。毎日、念仏を唱える、家の掃除や畑仕事に参加する。祖父は、多分、自分で築き上げた概念だったのでしょうが、『念仏精神でやれ』と何事にも厳しく、人が評価しなくともやるべきことをキチンとやることを教育しました。このことは、医者になったときに、逃げない、ごまかさない、やり通すことに繋がりました。高校のときに、何かの本で、南州遺訓として、西郷隆盛の言葉をしりました。祖父の教えはそれと通じると思い、前の方だけを自分の座右の言葉にしました。
即ち、『人を相手とせず天を相手とせよ、己を尽くし、人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし・・・』というものです。私が医師になったときに、祖父が『至誠』と書いてくれました。
医療法人にするときに、法人の名前をこれに会をつけようと思いましたが、至誠会とは東京女子医科大学の同窓会の名前なので、女子医大卒の方が良く使われるので、混同をさけて、働く者が皆誠をつくすようにと考えて皆誠会としました。
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父が開業したのは、現在では佐賀市ですが、当時は村でした。貧乏村で、医師は父が開業するまではありませんでした。当時は、患者さんを運ぶ方法がないので、往診が多く、父は自転車で往診をしていました。健康保険には、日頃は入っていなくて、誰かが病気をすると加入をする時代でした。医療費の不払いが多くて、患者数が多くても経営は大変だったようです。私も、4年生の頃は、集金に行きました。皆が田畑に働きに出て留守で、尋ねると、病気の患者さんが子どもの私に払えないことを詫びながら、庭の柿ノ木から1個もぎとって呉れたりしました。何軒も廻っていると、自分が悪いことをしているような気になります。つり銭を用意していたわけではないので、父も私がお金を貰える事を予測はしていなかったのでしょう。事実、一度も貰ったことはありませんでした。
このことは、私の源体験になっていて、患者さんの医療費にこころをかけるようになっています。父が診療所の医師になってからも、一日の半分は往診でした。村にせめてスクーターでも買って欲しいと要望したのですが、村長も無いのにということで認められませんでした。結局、父は、体がまいってしまい、村医をやめて、当時の電電公社の診療所の医師になりました。
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