一ヶ月のご無沙汰です。何もなかったわけではなく、いろいろありました。
まずはコメントいただいた方、ありがとうございました。精進の糧にさせていただきます。そのうちの一人の方と全くの偶然出会いました。ホント、びっくりです。
先日、指宿でショビ・ドビのケアリング・クラウン研修会に参加しました。小児病棟に出掛けるクリニクラウンは知っていました。でも何か、心情的に受け入れ難いものがありました。「道化」のイメージが強すぎたのかもしれません。
ケアリング・クラウンは、小児に限らず、 緩和医療にも老人福祉にも、という部分に惹かれて「ものは試し」で参加しました。それも自発的というより、岐阜の笑い療法士仲間からの届いた突然のメールがきっかけでした。
研修会そのものは、とても参考になりました。ショビ・ドビも通訳の高田さんもすごい人でした。しかし、それ以上に懇親会などで話し合った方々に感激です。いつもなのですが、夜の飲み会での出会いは素晴らしい。
例えば、熊本から参加の Mr.ハッキー。僕と同世代。集団就職で関西に行き、仕事しながら高校を卒業し、警察官になって機動隊に。そこで音楽隊に入り、自分の生き方を見つけて、周囲の反対を押し切って熊本に帰ったのが37歳の時。福祉施設に勤めながらクラウンの技術を磨いて、今は引っ張りだこ。でも、まだ学んでいる。すごく魅力的な笑顔の持ち主。
滋賀から参加のトンちゃん一座。三重からやってきた、クラウンともくん。みんながみんな、すごい情熱持っている。圧倒されました。
その中で、胸につけたニックネーム「おとうさん」と髭面に、「ひょっとして」と声をかけてくれたのが、鹿児島大学医学部の学生Kさん。彼女がコメントくれた人でした。偶然とはいえ、ホントにびっくり。彼女たちのグループは、3月末に大学でクラウンサーカスを招いて、研修会も予定しているとのこと。僕の学生時代といえば、野球とバイトに麻雀。彼女たちのような社会活動はおろか、勉強すらまともにしなかった。
今までそれなりの事はしてきたとは思うけど、ここ何年か直接医療と関係する以外の方々と接するたびに、自分のスケールの小ささを感じてしまいます。ホント、「医のなかの蛙」でした。
ベランダにパンジーを植えている。 大きな鉢4つと小さな鉢4つ。 買った時にお店の人が教えてくれた。 「始めに咲いている花はいいけれど、蕾をみんな切っておくと株が大きくなります。一ヶ月は寂しいでしょうが、是非そうしてください。」 と。
もちろん、素直な僕は従った。 それで大発見。
はじめの花も、初期の花々も、茎が長かった。 我が家は写真のとおり、周りに何も無く風が強い。 強い風に折れそうだった。 ところが、次の世代から茎が短くなっている。 風に負けないように、もう進化=適応しているのである。 超ビックリ。 さすが人間と違って、自然のものは強いと心から思った。
話は続く。 最近、ある本を読んだ。 傳田光洋著「皮膚は考える」。 僕は一応「脳」が専門だが、 「脳が全て」 とは考えない。 ペプチドに関連して、腸が第二の脳とも呼ばれているのも当然だと思っている。 傳田さんは第三の脳が皮膚だと言うのである。
その中で、「人間の皮膚でも乾燥した環境と高湿度の環境下に一週間以上皮膚をさらすと、 乾燥環境では角層が厚くバリア機能が高くなり、高湿度環境では逆になる」 というのである。 人間でも、そんなに早く進化=適応するのである。 これにもビックリ。 そのほか、眼からウロコの話がいっぱい。 お勧めです。
翻って、僕の「脳」は少しは進化=適応しているのだろうか? やはり、常に刺激を与え続けなくてはいけないのだろう。 昨年は今までと違ったジャンルの本で感動した。 上橋菜穂子・佐藤多佳子・森絵都の三人の作品は、どれも本当に大きな影響を与えてくれた。 感謝!感謝!!である。
今年の目標は、BSデジタルが見られるようになったので、「年間100本以上の映画を見ること」である。 できれば、自分のためだけではなく、周りの方にとっても望ましい人間に少しは進化したいものである。
まあ、期待せずに見守ってくださいな (^m^ )

二ヶ月ぶりの投稿です。今日は言い訳抜きで。
引越しが終わりました。写真そのまま、眺めは最高。小高い丘の上から(これがブログ名になる訳ですが)、緑の続く大隈半島、錦江湾、対岸の薩摩半島、澄んだ日には遠く開聞岳まで一望できます。
丘全体は島津家の花岡城址で、今は周囲300mくらいの芝生の生え揃った城山公園が中心。主にグラウンドゴルフに使われていますが、僕には絶好のジョギング広場。といっても、まだ数えるほどしか走っていません。来年は、シェイプアップした「ナイスバディ」をお約束します。
広い板張りの部屋、広いガラス戸、ウッドデッキなどなど、晴れた日は家の中でも外でも最高。
夜は、ワイングラス片手にジャズやクラシックを聞きながら、石油で焚くボートランプの明かりの中でロッキングチェアに揺られ・・・ なんと絵になる男でしょうか。あとは、葉巻かパイプを調達しなくては。
ただ広さと景色に比例して、夜はかなりの寒さ。低燃費のボートランプ形石油ストーブは黄色い炎がじんわり心を暖めてくれるのですが、暖房効果は「?」 離れて住む娘に話したら、「究極のエコストーブだね。」
緑いっぱいの自然の中、薮を切り拓いた土地は痩せています。庭に残飯を埋めて、土地を肥やそうと試みました。パンジーも植えました。夢一杯で始めましたが、少し留守にしていたら全て綺麗に掘り起こされました。腹が立つやら、悲しいやら。鳥の糞が車についていたので、「カラスにやられた」と、みんなに話しました。
「カラスはそんな上手に掘れない。イタチだ。私もやられた。」 と、いう人がいて、またみんなに話しました。
それを聞いたある人は、「花岡は猿が多い。だから、猿に決まっている。」 また、みんなに話しました。
それを聞いた地元の人は、「猿は木の上のみかんは盗っても、掘りはしない。生ゴミに集まってきたミミズ目当てのアナグマが犯人だ。この辺りでは落花生も育てられない。」と、言いました。すごーく納得しました。
それでもある人は、「私は夜中に狸が庭を掘っているのを二晩続けて見た。絶対狸だ。」と、言います。
真実は闇です。ただ、もう一つの真実は、庭には雑草と笹がたくさん生えてきた、ことです。
2007年は、認知症サポート医と健康スポーツ医の資格を取りました。花岡クリニックも開院しました。昨日の当直は、鹿児島に来て初の「一睡もできない当直」でした。 いろいろあった一年で、ブログも始めました。 まあ、いい一年だったと思います。
みなさんにもいろいろお世話になりました。来年もまた、よろしくお願いします。
良いお年をお迎えください。
野戦病院と言われるほど忙しい三次救急病院で研修を始め、そのまま脳外科医としての生活を続け、鹿児島に来てからは老人医療・在宅医療中心になり、多くの方々の「生き様・死に様」を見せてもらった。最近は、「死ぬ権利」と言う言葉もあるが、命の本質から離れているようで今ひとつ好きになれない。
多くの死に接して思うことは、生物学的な死ではなく、『魂』の存在である。最初に感じたのは、脳外科を始めて1年半ほど経った昭和57年秋。18歳の青年が頻回の嘔吐で消化器内科を受診したが、精査しても何もなし。そこで、内科の先生が腰椎穿刺をしたら昏睡状態になって、慌てて脳外科に紹介。今なら、まずCT・MRIの時代だが、当時はCT1スライス3分の時代。最新のものは2秒以内。必ずしも内科の先生を責められないが、結果的には大きな脳腫瘍(松果体腫瘍)と水頭症。診察した時には、両側瞳孔散大。緊急脳室ドレナージをしたが、完成したヘルニアは回復せず脳死状態になった。
話を聞くと、母一人子一人。中学卒業時に母親を助けたいと高校進学を諦めて就職。必死に働き出したが、 一年ほどすると体調不良を訴えるようになり、17歳になってからは仕事にも出られなくなった。そして、吐き気を訴えるようになり・・・
救命センターのベッドで最期を迎える時、母親は長時間の付き添いが許されないので待合室待機。 心電図上、徐脈になりもう危ないと母親に入ってもらうと、一気に回復。二時間ほどそのまま安定。外に出てもらうと、少しずつ徐脈に。入ってもらうと、また回復。出てもらうと、また徐脈。結局亡くなったのは最初に入ってもらってから約半日後。それが『魂』を思った最初である。
同じようなことが、その後も何度もあった。臨死体験を話してくれた患者さんも一人ではない。「21g」は本当のところだと思う。「21g」とは、魂の重さである。
『魂』を思う時、『神』を考える。キリスト教のような宗教論とは違う、生物全体の魂の集合体のような存在。八百万の神の、そのまた集合体のような感覚。
人には脳がある。「神の存在は人(脳)が作り出した妄想」のように語る人もいる。だが、自分の経験してきたこと、脳のない植物の生き方などを思うと、当たり前に「超自然的な大きな力」を感じる。アインシュタインほど道を究めたわけではないが、彼が教会主義を否定した上で「敬虔なクリスチャン」と言われたのもよく分かる。
身近な僕の「聖書」は、手塚治虫の『火の鳥』である。宇宙空間に全生命(魂)の集合があるという。彼の思想は漫画の形を取っているが、数々の作品は「生命の尊さ」とその集合体としての「超自然な力の存在」に通じる。その頂点が『火の鳥』だと思う。
今は暇さえあれば本を読んでいる子供たちが、勉強嫌い・文字嫌いだった頃に読み始め、何度も何度も読み返していたのが『火の鳥』全13巻だった。僕の考えは別にしても、すべての人にとって是非読んでほしいと思う。その価値も十分あると思っている。
『笑い』の効用が最近広く理解されるようになって来た。誰が考えても「笑う」ことが悪いという人はいないだろう。心地よい音楽を聴いて、それを悪いという人もいないだろう。だが、「何故?本当に?」となると、証明は簡単ではない。だから、「音楽療法」「笑い療法」となると、効果に疑問を感じる人もでてくる。どちらも、科学的証明が増えてきているが。
僕自身「笑い療法士3級」である。「笑い療法士」と言っても何のことか分からない方のほうが多い。僕自身、100%理解できていると言い切れない。ただ、「お笑い」ではなく、「笑わせ」でもない。人に寄り添うことからはじまる「自然な笑い」が基本であることは理解している。
29日、必須講習会があった。内容そのものは公表禁止なので書けないが、今年になって3回目である。とても勉強になるが、中身は濃いし大変である。定期報告も必須である。楽しみは、前後の飲み会。全く見ず知らずだった人が「笑い」の勉強のために日本中から集まり、共通の話題を語り合う。みんなすごい。熱い。普通なら決して話もできない雲の上の講師の先生と話し込む。喜びとともに自分の未熟さも実感する。(友人の名刺の掲載許可をもらった。)
このところ、『感性』という言葉をよく耳にする。5月の学会で「国家の品格」の藤原正彦さんの講演があった。『日本は今「論理的なこと」が正しいと考える。「A→B→・・・Z」という思考が正しいと考える。では、「A」は正しいのか?「A」が間違っていたら?例えば、山の頂上に美しい花がある。「美しい」と思うから登る。登る道筋が論理であり、「美しい」と思うことが感性である。感性を磨き、大切にしよう。』
講習会でも『感性』の話が出た。 京都西陣で60年、わらじ医者と呼ばれる先生。『思わず・・・してしまう感性を失わないこと。生活を見守り、理解して、自然に相手に寄り添うこと。」
『笑い』にも『感性』が必要だと思う。自分に感性がどれ程あるのか分からない。 磨き方も分からない。ただ、たくさんの人と触れ合ったり、たくさんの本を読んだり、いっぱいのたくさんを経験することが、笑いにも感性にも必要だと思っている。
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