野戦病院と言われるほど忙しい三次救急病院で研修を始め、そのまま脳外科医としての生活を続け、鹿児島に来てからは老人医療・在宅医療中心になり、多くの方々の「生き様・死に様」を見せてもらった。最近は、「死ぬ権利」と言う言葉もあるが、命の本質から離れているようで今ひとつ好きになれない。
多くの死に接して思うことは、生物学的な死ではなく、『魂』の存在である。最初に感じたのは、脳外科を始めて1年半ほど経った昭和57年秋。18歳の青年が頻回の嘔吐で消化器内科を受診したが、精査しても何もなし。そこで、内科の先生が腰椎穿刺をしたら昏睡状態になって、慌てて脳外科に紹介。今なら、まずCT・MRIの時代だが、当時はCT1スライス3分の時代。最新のものは2秒以内。必ずしも内科の先生を責められないが、結果的には大きな脳腫瘍(松果体腫瘍)と水頭症。診察した時には、両側瞳孔散大。緊急脳室ドレナージをしたが、完成したヘルニアは回復せず脳死状態になった。
話を聞くと、母一人子一人。中学卒業時に母親を助けたいと高校進学を諦めて就職。必死に働き出したが、 一年ほどすると体調不良を訴えるようになり、17歳になってからは仕事にも出られなくなった。そして、吐き気を訴えるようになり・・・
救命センターのベッドで最期を迎える時、母親は長時間の付き添いが許されないので待合室待機。 心電図上、徐脈になりもう危ないと母親に入ってもらうと、一気に回復。二時間ほどそのまま安定。外に出てもらうと、少しずつ徐脈に。入ってもらうと、また回復。出てもらうと、また徐脈。結局亡くなったのは最初に入ってもらってから約半日後。それが『魂』を思った最初である。
同じようなことが、その後も何度もあった。臨死体験を話してくれた患者さんも一人ではない。「21g」は本当のところだと思う。「21g」とは、魂の重さである。
『魂』を思う時、『神』を考える。キリスト教のような宗教論とは違う、生物全体の魂の集合体のような存在。八百万の神の、そのまた集合体のような感覚。
人には脳がある。「神の存在は人(脳)が作り出した妄想」のように語る人もいる。だが、自分の経験してきたこと、脳のない植物の生き方などを思うと、当たり前に「超自然的な大きな力」を感じる。アインシュタインほど道を究めたわけではないが、彼が教会主義を否定した上で「敬虔なクリスチャン」と言われたのもよく分かる。
身近な僕の「聖書」は、手塚治虫の『火の鳥』である。宇宙空間に全生命(魂)の集合があるという。彼の思想は漫画の形を取っているが、数々の作品は「生命の尊さ」とその集合体としての「超自然な力の存在」に通じる。その頂点が『火の鳥』だと思う。
今は暇さえあれば本を読んでいる子供たちが、勉強嫌い・文字嫌いだった頃に読み始め、何度も何度も読み返していたのが『火の鳥』全13巻だった。僕の考えは別にしても、すべての人にとって是非読んでほしいと思う。その価値も十分あると思っている。
| 日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | |
| 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 |
| 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 |
| 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 |
| 28 | 29 | 30 |
コメント
コメントはまだありません。
コメントを書く