劇症一型糖尿病の成因については、10日以内という超急性に発症し発症前の感冒様症状の存在などから「ウイルス説」もある。一部症例で膵島炎が見られ、また自己抗体が確認できる症例もあり「自己免疫疾患説」も出ている。いずれにせよ詳細な分析を待たざるをえないが風邪の症状に酷似しているので誤診され見逃されやすい。そして治療が遅れると平均4日で命が危うくなる。だれでもかかる可能性があり誤診が原因で命を失った症例など実際に裁判になっているケースもある。発症平均年齢40歳とされる劇症一型糖尿病は、のどの痛み、発熱、上腹部痛などの風邪症状から始まり次いで、のどの渇き、ひどい全身倦怠(けんたい)感、夜は1、2時間おきにトイレに立つ多尿などの症状が出てくる。そうこうするうちに、意識がもうろうとして来て症状が出てから重篤になるまでの期間が短く、平均4日でインスリンの分泌がなくなり生命の危機にさらされる。風邪症状を訴えて近くの内科を受診しても、風邪や胃炎と間違われ、風邪薬や胃薬を処方されて帰されたり、二型糖尿病と間違われたりするして薬を飲んでも、治らないどころか、症状は悪化し、これはおかしいと救急車を呼んで病院に駆けつけたときにはすでに遅く、命を落としてしまうことも例もある。 肥満や遺伝素因をベースに、中高年になってから発症する2型糖尿病はゆっくりと進行する。これに対し1型糖尿病は、すい臓からのインスリン分泌が著しく低下して起こる。劇症1型糖尿病は1型糖尿病に属するが、その進行スピードは通常の1型の10倍も速い。緊急入院して大量の生理食塩水の点滴と同時に、インスリンの持続静脈注射を行なうと血糖値はかなり良くなるが一度低下したインスリン分泌能力は元には戻らない。その後はインスリン注射をして血糖値をコントロールする。初診時の診断では血糖値が異常に高いのに、直近2カ月間の血糖値の平均を示すHbA1cは正常範囲か軽度上昇にとどまる事。尿中にケトン体が大量に出ているなどが劇症1型糖尿病の特徴である。風邪症状に続いて猛烈な咽の渇きや多尿が出てきたら、この病気を疑って尿と血液をチェックし、緊急治療を行う必要である。新型インフルエンザが流行している時期、この病気も念頭に検尿して尿糖、ケトン体そして血糖値の測定が必要である。ウイルス肺炎を予想し簡単に測れる酸素飽和度(SPO2)の測定も利用すべきである。
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少子高齢化と団塊世代の現役引退、老齢化につれて社会保障財政が逼迫するなか、年毎に増え続ける医療・介護費用の無駄をなくす為に適正給付に向けた努力が行なわれている。様々な批判の巻き起こった今年4月の後期高齢者医療もそのさきがけであり、療養病床の介護施設や在宅療養への移行調整もこれからの課題となる。特に介護保険制度を動かすエンジンであるケアマネージャーにその使命が賦与されている。ケアマネージャーは単独では動けない。能力を充分に発揮するには地域の医療、福祉、介護のレベルに加え各々が一つのシステムの中で連動する必要がある。ケアマネジャーはこれらを連携させながら利用者に長期包括的ケアを提供しなければならない。医療マネージメントを介護マネージメントにつなぐネットの構築である。そして介護サービスの効率・適正化に加えて介護の危機管理、ケアの安全(予測と危険回避)がある。危機管理は疾病背景のある高齢者の介護サービスでは、医療との連携は避けて通れない。地域支援事業、予防給付、介護給付の危機管理の視点での医療介入は健診事業、主治医意見書記載の段階からかかりつけ医の専権事項である。これは充分に認識されなければならない。ケアマネージメントの中でケアマネージャーのイニシアチブのもと利用者、かかりつけ医およびサービス事業者が一同に集まりケアカンファレンスをする事は大きな意味を持つのである。カンファレンスは一つの集団インフォームドコンセントであり利用者の信頼を得る最大の部分でもある。最近は医療と同じように介護事故に対する訴訟が増加している。裁判の中では如何にかかりつけ医が危機管理に関与していたかが争点になるケースが殆どである。カンファレンスでの検討記録が検証されるのである。制度の中で重要な部分を占めるケアカンファレンス。制度開始当初から問題になっているのが医師の参加である。2006年の制度改正でケアカンファレンスが行なわれていないか、または要件を満たさない(第5表の未完成)ケアマネージメントは減算対象となった。会議に出れない理由を書いてFAXや連絡メモ、電話での意見交換などその内容記載があれば良いことになっている。意外にも最近の厚労省の通達では事務作業の省略化の1つとして第5表は廃止された。殆どのケアマネージャーがケアカンファレンスの重要性を認識しながら実際は形式的にしかなされていない。この原因は医師の介護保険に対する認識不足にある。医療と介護の接点での医師とケアマネージャーの連携は避けて通れない。制度はケアマネージャーに医師との連携、中でもケアカンファレンスの実施を強制している。多くの医師に介護保険に対する理解が希薄なためケアマネージャーが萎縮してしまっている。全例に医師の参加を前提として行なうべき所を初めから医師は忙しいから出席出来ないと決め付け、地域によつては出席の無い事を前提にした書式を作りそのやり取りだけで片付けている。これが常態化していると言っていい。ケアマネージャーと医師を仲介すべき行政の地域包括支援センターのケアマネージャーも同じ状況である。連携は掛け声だけ。医師を敬遠している。日本医師会も各都道府県の医師会もこれまでカンファレンスへの参加の重要性を会員に啓蒙してきた。しかし充分に達成されていない。尾道市など連携の旨く行っている先進地域では地区医師会とケアマネジャー協議会との関係が密接である。どうしてもこれには地域で取り組まなければ不可能な事業である。地域包括支援センターを中心に置いた地域医師会とケアマネージャー協議会との連携からまず始めなければならない。それよりも大切な事は医師の介護保険に対する認識であり、国の介護保険事業の現場認識と医師のアクションに対する評価が報酬面でなされる事は重要である。給付費用の適正化はケアケアマネージメントが大いに関係しており、その大きな部分はケアカンファレンスが鍵を握っている事。その開催に対する適正報酬は必要である。在宅療養で月2回以上の訪問診療を行なっている場合は介護保険で主治医は居宅療養介護指導料は請求できる。また4月の医療保険報酬改正では後期高齢者が医療機関から退院し在宅に移行する時のカンファレンス参加に対する医師への報酬が付いた。しかし介護予防や通所系サービスに通う軽度の要介護者に対するケアカンファレンス参加は報酬が無い。包括支援センターへの情報提供料でも良いとの解釈はある。しかし正直、請求しにくい。主治医意見書料にカンファレンス出席料も含まれていると解釈している県もある程である。介護保険事業に関わっている医師の場合はそれで良いとしてもかかわらない場合はボランティアである。医療と介護の整合性を欠いている。全体から考えた時、初期投資としては微々たる費用である。医師の介護保険に対するボランティアに頼るべきではない。報酬によるインテンシブはどうしても必要である。カンファレンスに出れないほど医師は他の診療で忙しいわけではない。場所と時間の調整で可能である。かかりつけの患者さんの介護も診療の一部であり医療を続けていく上で診療と同じウエイトを持つ。ある意味では介護保険報酬で評価されない故に、報酬の取れるほかの診療で忙しいのである。
100歳のお祝い。スタッフと共に みんな、いい笑顔

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猛暑の上に原油と穀物価格の高騰が重なり、あらゆるものが停止したような夏が終った。小麦の豊作、原油の下落など安心材料も出てきている。清涼と共に安定した生活が戻るのを期待したい。
第21回全国有床診療所連絡協議会総会が8月2、3の両日、ねぶた祭りで賑う青森市に全国各地から500人の会員が集まり「住民を支える有床診のあした」をテーマに開催された。有床診療所の高い地域密着性をアピールするとともに、次回の診療報酬改定では有床診の機能を適切に評価した入院基本料引上げが行なわれる様に唐澤会長宛の要望書を採択した。
医師が逮捕され医療界に大きな衝撃を与えた福島県立病院での帝王切開死亡事故の裁判では無罪の判決が出た。医療事故の原因究明や責任追及はどのような形で行なわれるべきかの一つの答えが出るとともに、診療中の患者が、受けている疾病で死亡した場合は医師法21条の異状死の要件を欠き届出の義務は無いと明確に示した。現在進行中の政府の医療事故調査委員会創設のための第3次試案。そのなかでの必要と判断すれば警察に通報するとする内容には医療界の全てが賛成しているわけではない。議論の行方に影響が出そうだ。記者会見で自分と同じ目に会う医師が出ない事を願うと共に分ってもらえてよかったと話した。
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射水市民病院の外科部長が2000年から2005年にかけて50代から90代の末期患者6人の人工呼吸器をはずし患者を死亡させたとされる事件。富山地検は医師の行為は「延命治療の中止」に当たると判断し、医師を起訴しない方針を固めた。富山県警は専門家にカルテの鑑定を依頼、呼吸器を外さなければ数時間の生存か数日から10日程度の生存の可能性しかなかったとする鑑定を得ており検討を重ねた結果、呼吸器を外した事が死亡の直接の原因とまでは言えない。また家族からは呼吸器を外すことの了解を得て居た。そして家族には被害者感情が無い事から立件は困難であると結論を出して刑事処分相当の意見は付けずに殺人容疑だけで書類送検する。県警のこの捜査結果を受けて地検は起訴は難しいと判断した。
高齢者医療制度で報酬の決まっていた高齢者終末期相談支援料は凍結された。終末期医療に関してはいまだ国民のコンセンサスが得られていない。今、議論が始まった所である。その意味からすると富山県警および地検の考え方はより現実的で建設的な対応として好感が持てる。
7月16日の午後7時前、認定審査会に行く途中に綺麗な虹に出会った。お陰で会議に遅刻してしまった。指宿市山川駅付近で撮影。
クリックで画像を大きく出来ます。左手の山の上に風力発電の風車が見えます。

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先天性ではない出産時の事故によって脳性麻痺になってしまった子供に対して、事故が医師の過失と立証されなくても一律3000万円を補償する産科医療補償制度。制度を運営する日本医療機能評価機構は来年(平成21年)1月生まれの子供達から適応する事を決めた。この制度の仕組みは産科医療機関が出産一件当たり3万円の掛け金を民間保険会社に払い、満が一、事故が生じたときに介護準備一時金として600万円、その後20歳になるまで残り2400万円を介護費用として分割支給する。申請は1歳から5歳までに行い、重症なら6ヶ月から申請出来る。出産時の医療事故は過失証明が難しく訴訟になると長期化し易い。産科医療はリスクが高く、福島県立病院事件の影響もあり産科に携わる医師が減ってしまった。訴訟の早期解決と被害者救済が急がれると共に産科医不足にも歯止めを掛ける必要があるのです。
私が2006年6月に書いた 「医療ADR」の内容です。
同じ頃、産科医療補償制度の創設が日本医師会で議論されていましたが、早くも実現に漕ぎ着けました。
帝王切開手術中に出血し、救命に一生懸命尽くしたにも拘らず亡くなった事件で担当の産婦人科医が医療ミスの疑いで逮捕、起訴されました。医療界は思いもよらない成り行きにこぞって反発しています。医療には100%安全と言う事は有りません。不幸にして事故が起きたとしても一医師一要因だけが原因ではないのです。警察の捜査は個人の刑事責任追及に過ぎず大切な医療事故再発防止には役立ちません。事故が起こった場合に備えて患者をまじえた解決の仕組を考えるべきです。現状のままでは患者は不信を募らせて一方で医師は萎縮します。厚労省は診療中の予期しない死亡例を調査分析するモデル事業を実施中で原因究明には内部だけでなく外部から専門家を中心とした第3者を入れる必要があると指摘しています。事故、不満、誤解など患者と医療者間のトラブルを裁判外で処理する医療ADRの導入が各地で拡がっています。被害者側と医療者側の間に中立的な第3者を入れて話し合いで解決する仕組みです。感情的葛藤を持つ被害者側に立った対応が可能となります。医師は真の医療に専念出来て患者は安心して医療を受けられる環境作りの一つです。

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幼少期の集団予防接種が原因でB型肝炎ウイルスに感染したとして国に損害賠償を求めている集団訴訟。感染が注射器の使い回しが原因かどうかが争点になる。旧厚生省は1950年注射針を1人ずつ取替えるように自治体には通達している。そして1958年に予防接種法実施規則で取替えを義務付けた。しかし徹底しなかった地域もあり、肝炎ウイルス等に感染したケースも相当数あると考えられる。 原告側としては遅くとも1948年時点で感染を予測できたにも拘らず予防接種用に使用する注射器の滅菌処理の予防対策を怠ったとして国の責任を追及している。

(再掲) 昔は痛かった。
昔は子どもがぐずると親は「医者どんに注射をしてもらうぞ」と脅したものだ。しかし今は注射針が細くて先端が鋭いので、あまり痛くない。脅しも昔ほどには効果がなくなった。私が小学生の頃の注射はものすごく痛かった。医院の窓際の台には決まって注射器や注射針を入れた煮沸器がガス台の上でぐらぐら湯気を立てていた。注射の必要な時は冷まして使う。針にしても注射筒にしても使う度に煮沸消毒して、何回も使った。今のようにディスポーザブルでは無かった。針は何回も使っているうちに先がちびて刺さり難くなる。それを鑢で砥いで使っていた。私が小学生の頃の、学校で受けた予防接種が痛かったのを今でも覚えている。生徒を並べて同じ注射器と針を使い次々に流れ作業で注射していく。最初の人は良いが何人目かになると針の先はちびて刺さり難くなる。刺さる時ザクザク音がするほどでそれだけ痛みも強かった。その頃、血液汚染を介した感染症で解明されていたはせいぜい梅毒ぐらいであり、今のようにウイルス肝炎やエイズの危険も言われていなかった。今から考えるとなんと無謀な事をしていたことか。危険は血糖測定用のディスポーザブル微量採血器具の場合の比では無い。この場合は採血器は一人一人針を替え、カバーは穿刺後いちいちは消毒している。穿刺は鋭く瞬間で直ぐには血液は出てこない。周りを圧迫してやっと浸み出すぐらいなのである。国は充分考えて肝炎対策に取組まなければならない。不公平は許されない。
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昔は子どもがぐずると親は「医者どんに注射をしてもらうぞ」と脅したものだ。しかし今は注射針が細くて先端が鋭いので、あまり痛くない。脅しも昔ほどには効果がなくなった。私が小学生の頃の注射はものすごく痛かった。医院の窓際の台には決まって注射器や注射針を入れた煮沸器がガス台の上でぐらぐら湯気を立てていた。注射の必要な時は冷まして使う。針にしても注射筒にしても使う度に煮沸消毒して、何回も使った。今のようにディスポーザブルでは無かった。針は何回も使っているうちに先がちびて刺さり難くなる。それを鑢で砥いで使っていた。学校の予防接種がまた大変であった。生徒を並べて同じ注射器と針を使い次々に流れ作業で注射していく。最初の人は良いが何人目かになると針の先はちびて刺さり難くなる。刺さる時ザクザク音がするほど刺さりにくくなりその分、痛みも強かった。その頃血液汚染を介した感染症で解明されていたはせいぜい梅毒ぐらいであり、今のようにウイルス肝炎やエイズの危険も言われていなかった。今から考えるとなんと無謀な事をしていたことか。危険は血糖測定用のディスポーザブル微量採血器具の場合の比では無かったはずだ。国はこのことを充分考えて肝炎対策に取組まなければならない。不公平は許されない。
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今、血糖測定の微量採血に用いるディスポーザブル穿刺器具の使い回しが問題になっている。もともとこの器具はあくまでも個人用のもので複数の人に使い回してはいけない。そして器具にはその旨のシールが貼ってある。複数人に使う場合は穿刺針およびそれをカバーするケースごと換えるディスポーザブルタイプでないと付着した患者の血液を介した感染症の原因となる危険が有る。問題になっているのは、個人用に作られた器具を、針のみ換え複数の人に使った事である。メーカー側の説明が充分行き渡っていなかったのが原因とも考えられる。実際上は感染する可能性は少ないにしても万が一を考えれば対応の必要がある。個人用の器具で自動的に針が入れ替わり連続して数回使えるものがある。この器具は針の数だけ使用した後も使い続けると最初の使った針に戻り再使用する事になる。これを複数の人に使ったケースも報告された。この事実が分かつたのは複数の人に使用している内に、何時もより痛いと訴えた人があり、調べたところ針の再使用が判明した。要するに針さえ換えれば大丈夫と云う思い込みでメーカーの説明もそこそこに使っていた為であろう。最近は針とケースが一体となっていて採血後そのまま捨てる器具がある。少々コスト高ではあるが、今回のような事故は起こらない。個人で使う場合も針は勿論、個人用ディスポタイプのものも単回使用が望ましい。
単回使用医療用具取り扱い 平成16年2月医政発厚生労働省
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「インシデント・アクシデントレポートの収集を通じての意識変化」 当院は、事故防止への取り組みとして2003年に「医療安全管理指針」を作成し、各部門の責任者を委員とする「医療安全委員会」を設置、2005年までは「事故発生、対策検討票」を活用してきた。しかし、医療介護現場での医療安全対策が強く叫ばれるようになり、これまでの対応では不充分と判断し「インシデント・アクシデント報告書」を使用することとした。しかし、新しい報告書はチェック項目が多く分析が細か過ぎるなど不満の声も多かったが出来る範囲で取組んで来た。今回の事業にあたり、2007年8月~10月までレポートを収集した。その結果、クリニック16件、グループホーム5件、通所リハビリテーション8件、合計29件の事例が出された。次に、報告書の収集・検証によるスタッフの意識の変化を、アンケートにより調査した。アンケートの内容は①レポートにより、事故防止に対する意識が変わったか。②どのように変わったか。③今後どのように取り組んでいきたいか。の3点であった。その結果、①については、62名(96%)の人が変わったと答えた。職員が真剣に取り組んでいる姿勢が伺える。②については、42名(62%)の人が、危険予知が出来るようになったと回答し、慎重に業務に取り組むようになったものと思われる。③については(1)目配り、気配り、声かけで事故のない看護、介護をしたい(2)気づきをチーム全体で共有していく(3)職員が同じ気持ちで看護・介護に当たるようにしたい(4)初心に返り慎重に業務にあたるようになったと前向きな意見が多い中で、自己へのいましめとしてきちんとレポートしたいという懲罰的な捉え方をしている人もいた。報告書は始末書ではない。報告した人を責めるのではなく、自分がその場にいたらどう対応しただろうかと皆で考える材料としたい。
インシデントが発生した時、当事者の責任を追求するのではなくその置かれた状況を把握して、事故との関係を考える。全員が取り組みに参加して自覚を高めていくことが大切である。その為には〈1〉気づきの感性を養う〈2〉職員の研修・教育を行う〈3〉管理者とスタッフの理念が一致するなどが今後の課題となる。今回の取組みが職員の高揚につながったことがアンケート調査により確認できた。医療安全管理において「これで万全」ということはない。初心を忘れず、一つひとつの事例を大切にし、真摯な気持ちで取り組んでいきたい。

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昔は人はいつかは死ぬという前提でのはっきりした文化があった。死が背中合わせだと生きることの意味を良く考えていたし病院の中でも死はいくらでもあり手術を受けたり治療を受けたりする中で死は仕方の無いものとされていた。所が最近の日本では死は最も忌まわしいものとして死に蓋をしてきている。病院では死はあってはならないとされ糾弾の対象ですらなっている。それゆえ助からないと分っていても濃厚な治療を続けざるを得なくなった。高齢者が増え続けそれに対応するの医療費が大変になると騒ぐ前に高齢になって寿命が来て死を迎えるあり方について国がきちんと国民的コンセンサスを作る必要がある。
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