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第3回全国有床診療所連絡協議会総会

 岡山コンベンションセンター7月31日 

 講演:社会保障ニューディール政策

参議院議員 桜井 充 

   適切な医療費を考える議員連盟会長   

医療の評価に3つ有り、1つ目がいかに医療費が掛っているかのコスト2つ目が、自分が病気になった時、どの位の時間で診療を受けられるかのアクセス、そして医療の質「クオリティ―」です。日本では良く3時間も待たされると言われます。実は世界の国々は何日も待たされているのです。例えばアメリカでは病気になったら加入の保険会社に電話して症状から「受診出来ます」の答が返って来るのは良い方で、撥ねられる場合さえ有ります。手術の必要な虫垂炎でさえ「6日後に来い」と言われ何日も待たされます。待たされないのは日本だけです。日本の一人あたり外来受診回数は1位で、乳幼児死亡率もアメリカ7.8人に対し日本は3.8人の世界で一番安心して出産が出来ます。健康寿命でも男性・女性ともに世界1位です。日本はコスト、アクセス、クオリティの総合で世界NO1の評価を得ています。日本は医療にいくらお金を使っているかと言うと、GDP比16%で1位のアメリカの半分の8.1%です。今、日本のGDPは500兆で、医療は35兆、それで割ると7%、それに介護の費用も入れて8.1%の世界で21位です。イギリスは日本より少ないにも拘らずドイツ・フランス並の10%位に増やそうとしています。低い医療費にも拘らず、さらに抑制をしようとしている日本は世界から見ると異様な国です。アメリカではリーマンショックで日本のバブル崩壊の時と同じ事が起きて経済の減速が始まりました。日本の銀行はバブル崩壊後、不良債権処理で痛みました。ところがアメリカは事態を表に出さず表面下で処理しようとし不良債権を銀行が抱えて処理は終わっていません。アメリカでは耐久財の売上が急激に落ち大変になりました。耐久財とは3年以上使える自動車や家電等です。日本も耐久財の消費が落ち込み、トヨタ・パナソニック・ソニーが壊滅的打撃を受けトヨター41%パナソニックー28.9% ソニーはー14.3%です。しかし非耐久財は殆ど落ちていない。日本代表をする製薬メーカーの米国での売り上げは武田がー8%、アステラスー2.4%であり第一三共は国内で+1.6%です。経済の減速時、家電や自動車の産業は、大きな影響を受けますが製薬を含め医療分野は大きな影響を受けません。輸出関連の納税額ではリーマンショック前は1位が自動車、2位が電気で3位が製薬の順でした。ショック後は自動車産業が1/10,電気業界は1/2以下に落ち込みました。製薬はわずかで済んでいます。日本はこれから内需拡大が必要と言われていますが同時に外需としての外貨を稼ぐ製薬や医療産業も大切にすべきです。政府は自動車でエコカー減税、家電でエコポイントの補助金を出しました。しかし製薬関係に対しては保険点数5千億を減額する為にジェネリック薬の使用を強いて製薬産業が生き延びる政策を行っていないのは問題です。東海道新幹線、東名高速それに山陽新幹線を作る時期の公共事業は経済普及効果が有りましたが、今やっている公共事業では経済効果は低いのは明らかです。社会保障の充実がなければ産業に与える影響も悪くなります。これからは医療や介護に力を入れて行くべきです。雇用先として公共事業は受け皿になっていない。雇用誘発係数で見ると一番が介護、3番が医療福祉です。それでは病院が受け皿になるのか。100床あたりの医師数はアメリカの76人に対して日本は15人で1/5です。看護師の数や無資格の病院の職員数にしても1/5です。有資格者はすぐには増やせませんが、無資格者は簡単に増やせる状況です。私は世界から見ても病院職員数さえも少ないのだから、医療費を増やし、ここを雇用の受皿にしたら良いと財務省に言っています。どうすれば本当に職員の数が増えるかと言われたので看護師点数と同じように職員点数を置けば簡単な話であり、職員点数を守れば入院基本料を上げる。今の入院基本料は基本的に看護師数だけで決まっている。71にしたら収入は増えます。71にしたいが地方では、看護師が集まらず仕方なく151にしている。私の提案は、看護師数だけで決めるのではなく職員数も含めて患者当り何人なっているかで入院基本料を引き上げる。勿論、看護師が殆どいなくて職員数だけにならない様に看護師数と職員数の割合は定めて置く。イギリスは医療費を増やして来たが雇用はどうなっているのかを見ると、最初の5年間は余り増えていないが10年間では、2割増えています。イギリス医療に見切りをつけて海外に行っていた医師が戻って来たり旧植民地から引き抜いたりで24%増えている。手本にすべきイギリスは医療費を増やし雇用の受け皿にしています。日本も同じことが可能です。今、日本は国債の発行高からも財政再建をしなければならないが財政破綻したアルゼンチンやギリシャとは構造が違います。借金の数は某大ですが国債は殆ど日本国民が買っています。そんな国が破たんした例はありません。アメリカはドルで借金をしていますが自国民だけで買い支えられず日本や中国が買っています。アルゼンチン国債は自国だて通貨を発行できず他国民が買った。それで破たんした。借金が増え社会保障費が重くなっているのに医療費を増やと国の財政は悪くなると言われている。しかしアメリカ、フランスそしてドイツは対GNP比10%を超える医療費を使っています。それでも国家財政は悪くはない。医療費が増えているから国家財政が悪くなるのは嘘です。日本は平成9年に消費税を上げました、翌年どうなかったというと景気が悪くなって国債の発行額が34兆円、その次の年は37兆円必要でした。つまり消費税が本当に財政再建に資するかという事は疑問です。決して医療費が国家財政を悪くしない事実をイギリスのブレア政権が証明しています。サッチャー政権の時代は社会保障費を抑制し過ぎました。その結果、公的な保険で治療を受けている人達、例えば入院待ちの患者さんが100万人を超えたとか、癌と診断され手術を受けるまでに半年以上待たされたとかの問題でブレア政権が誕生した。ある意味、後期高齢者問題で政権交代した日本とよく似ています。ブレア政権が医療費を増やし続けて借金が増えたかと言うと、むしろ下がるか横這いでした。つまり医療費を増やしたからと言って必ずしも国家財政は悪くなっていない。その理由は雇用がちゃんと確保された事と医療産業として国が回り始めたことです。ナショナルへルスサービスは、無料ですから患者が殺到し全ての人がナショナルへルスサービスでは十分な医療が受けらないので大部分が料金の高いプライベートホスピタルに行きます。そうした事が医療経済を改善させ国家財政に寄与したのです。日本もイギリスを見習い医療費は増やしても構わないと考えます。医療は動物実験で治験を行い薬の効果を確かめられます。しかし増税したらどうなるかの社会実験はしてはいけない。社会実験をおこなったのが武中平蔵さんです。政策がいいか悪いかは過去を調べる。消費税も増税も同じです。同じ島国のイギリスが医療費を増やしも借金は増えなかった。医療費を増やしてもなんら問題はないのです。時間が無くなりました。ここで有床診療所が何故必要かと言う話を致します。われわれが学生時代に教えられた医療と今の医療は大きく方向転換しています。以前、私が学んだ頃の医療では命が継続する可能性があればとことん戦えと教えられました。しかし、今は看取の医療という概念が出て来て、患者さんの意向を組む方向に変わってきています。私を看取って下さいと言う人達に大病院で治療をするのが果たして良い事ではないと多くの医師は分かっていると思います。資源の無駄遣いです。そのように医療が方向の展開をして行くのであれば、医療体制も大きく方向展開すべきです。患者にとってみれば掛かりつけ医が最期までみてもらいたいと思うのが一番いい事だと思います。地域の医療を支えている近くの有床診や小さな病院で最後を診てもらう事が本当の姿ではないかと考えます。それから今の介護も含めて本当に在宅を実現できる環境が整っているとは思えません。在宅が無理になり施設に行って下さいと言われても空きがないので難しい。私の知っている有床診の医師仲間に聞いた話ではベットには比較的余裕があり1週間入院させて欲しいと言われた場合、有床診を使うのも可能な様です。介護疲れの人たちに対する対策として介護施設に入れるのも一つですが、医療を必要とするほどの状態ではないけれど有床診を使うのも許されると思います。介護施設は急性期病院からの受け入れ施設とは考えておりません。何時、急変するかも分からないからです。そのような人達は日頃から診てきた掛かり付けの有床診が相応しいと思います。ある先生が有床診はビジネホテルス並と言われました、私はむしろカプセルホテル並みの入院料と言っています。今の様な低い点数でもって3食付で経営して行ける訳が有りません。これは郵便局と通じます。あの郵便局のネットワークは、明治時代に国営でネットワークを作らなければならないず皆に寄付をして貰って出来上がって来たのです。全国津々浦々に張り巡らされた血脈のネットワークを壊しもう一回ネットワークを作りなおすには本当に多額の税金が必要です。それと同じように有床診を壊して、もう1度、地域の患者をみなければいけないので、再度少しずつベッドをもって下さいと言われても作れません。今の診療報酬の点数では絶対無理だと思います。だからいまこそ医療提供体制としてしっかり役割分担を決め、守るべき物は守っていかないといけない。有床診療所への診療点数は確かに雀の涙程上がりましたが最大の問題は重要項目の中に地域医療が入っていなかった事です。大学病院には診療報酬点数で1000億行きました。本来、大学病院は文部科学省の病院であって運営交付金で成り立つようにしていかないといけない病院です。大学病院を独立法人にする時に約9000億の借金を抱え稼がなければならないシステムになっている。ここが根本的に間違っています。運営交付金の中から毎年約400億の金を借金の利払いに回している。ここで今9000億円の借金をチャラにしたら病院経営はがらりと変わる。そのうえで大学病院は、特定機能の役割と教育機関の役割を果たせばよいのです。たとえば東北大学は金を、稼ぐ為にショートスティサージャリ―を始めたのです。盲腸、胆石などの手術をやっています。これは民営圧迫の何物でもない。資源の最大の無駄使いです。大学病院は次のステップで三次救急病院であって、そして二次病院がある。どこが手術をしてどこが機能回復を行うかの絵をもう一度、書き直す必要がある。この点数を少しだけ上げましょうとかでなく、根本的に変わらないと、勝負は来年、再来年の介護との一体改革でどうするか。今、介護の現場の状況は悲惨です。療床病床には介護と医療の療床があります。その両者を一緒にするのは良いが、問題は老健の一部に移行させると言う事です。今、療養病床が足りない事を現場で知る必要が有ります。老健は介護と医療の間ですから、手の掛かる人達を老健は経営上も置きたくない。そこで特養と言う事になるが、医療の必要な人を医師もいない特養で見るのは職員にとって大変なストレスです。この様なゆがんだ構図では事はうまく運びません。この様なところをセットで変えていかなければなりません。ここに有床診がどうかかわってくるかがカギになります。その上で保険点数と人の配置を考えなければならない。特に地方には看護師がいないのですから。看護師の数だけで点数をつけるのは大変です。今、私は民主党の中の医療費を考える会の会長をしており、医療の問題をとり上げています。適正な医療を考える議員連盟185人の議員がこの議連に入っています。今チーム分けをして秋にかけて本格的にさまざまな分担を決めて総合的な政策をつくっていきたいと思っています。有床診療所協議会の先生たちにも知恵を出してもらって色々な形でデスカッションをさせて頂きたいと思います。少しは私も現場を踏んでいますが、まだまだ細かい事は分かっておりません。皆さんと供に国民にとって良い医療体制を作って行きたいと思います。

 

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2010.07.02 22:42 |  生活 / くらし  |  映画 / 音楽 / 読書  |  その他(一般)  |  でんさん  | 推薦数 : 0

溶ける糸

 医局の机の上に二つのリングを2段に重ねた鉛筆立てが置いてある。一番上のリングには火消の纏の馬簾の様に糸が何本も結んで垂れている。クリニックには週二回、2人の外科医が診療の手伝いに遣って来て呉れる。どちらかの医師が診療の合間に糸結びの練習をしたのだろう。それを見るたびに大学の外科医局に在籍していた昔を懐かしく思い出している。私はもともと心臓外科医であるが今は外来で外傷処置程度の診療しかしていない。鏡視下手術が大勢を占める現在はどのようになっているかは知らない。私の時代は外科の修業はまずは鈎引きと糸結びから始まった。止血、胃腸の縫合など糸の結び方が悪いと、術後出血、縫合不全など合併症が生じ大変な事になった。特に心臓手術では魔術師的早業で糸結びをしなければ心臓を止めている時間が少しでも長引けば術後に成績が悪くなる。人工弁一つを縫い着けるのにしっかりともつれないように200回ほどの糸結びをする必要がある。外科結び、片手結びなど結び方にも色々ある。場面、場面で使い分けなければならない。上手になるよう暇があるとポケットに忍ばせた糸を引きだしのつまみ等に引っ掛けて練習をした。糸にも用途により種類がある。時間とともに吸収される羊の腸から作った糸や化学合成糸に吸収されないナイロンやテフロン糸。撚り糸とそうでないテグス状のフィラメント状のもある。心臓血管手術に使う糸は非吸収糸である。血管、心臓は術後すぐに機能しなければならない。また壁には相当な血圧が掛かる。しっかり固定されていなければ出血し、人工物は外れてしまう。一昔前、テレビで「 刑事コロンボ」 と言うシリーズものの推理ドラマがあった。その中に「溶ける糸」と題する一章があった。あらすじは大学病院の心臓血管外科医局内で起きた話で、何かにつけ主人公の助教授にとっては出世の妨げとなっていた上司の教授が心臓を悪くして人工弁置換術をしなければならなくなった。願ってもないチャンス到来と巧妙に完全犯罪を装って教授を殺害する方法を考え実行したのである。それをコロンボが見破る。ヒントは手術のときに使われた糸が鍵になる。教授の悪くなった心臓弁を切除し、代わりに人工弁を縫いつける。縫いつける糸は非吸収のナイロン糸でなければならないのに吸収糸を使う事を考えた。助手の看護師が渡したナイロン糸を術衣のポケットに隠し持っていた溶ける糸と取り換えたのだ。溶ける糸を使うと手術後しばらくは持ちこたえる。しかし吸収糸ではだんだん溶けていき数日後に人工弁は完全に外れ教授は死んでしまった。術後しばらくの間、心臓機能は回復し、外目に手術は完璧に行われ高に見えた。術者に責任は無い。まさに完全犯罪成功とほくそ笑んでいる助教授の犯罪をコロンボが見破る。洗濯に回された術衣のポケットにナイロンの糸が残っていた。犯罪者の考えることは洋の東西を問わないらしい。医局の鉛筆立てを見ながら昔を懐かしんでいる。  

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5月31日は世界禁煙デーである。この日、世界各地で地球上の全てのタバコ喫煙を無く使用と様々なキャンペーンイベントが開かれる。今インフルエンザでその存在を世界に知らしめている世界保健機関WHOは1988年から1997年までの2期10年間を日本の中島先生が総長を勤めた。その後、ノルウエーのブルントラント女史が継いだ。彼女は医師であるとともに有能な政治家で後にノルウエーの総理大臣になった人である。彼女はWHO総長の任期中「たばこ規制枠組み協定TCTA」の制定に努力して2003年世界保健機関総会に提出して、全会一致の賛成に漕ぎ着け協定は成立した。そして2年後には発行、現在日本を初めWHO加盟国中164カ国が批准をしている。制定過程で陰に陽に足を引っ張ったのがたばこ産業の発達したアメリカ、ドイツそれに日本で、当時、世界からはタバコ喫煙の3大悪の枢軸と言われた程で有ったがその後、健康意識の高まりから日本では健康日本21や健康増進法が定められ2005年にTCTA協定を批准した。驚いたことにはタバコの吸殻が道路のあちこちに投げ捨てられ散らばるドイツで最も困難な受動喫煙防止法が制定されたのである。一方、ブッシュの時代のアメリカは到底無理であったがオバマになって期待は持てる。そのドイツで一人の政治家が科学者の喫煙の健康被害に関する正確な検証とエビデンスを武器に1914年から100年以上にわたりたばこ産業界と国家政策により形作られマインドコントロールされたタバコの健康神話とたばこに対するイメージを崩し去ったのである。たばことスポーツを組み合わせ青空の下で吸うタバコのイメージを健康的と思わせる操作がずっと続いてきた。しかしその陰で例えば、マルボーロのたばこの宣伝に使われているカーボーイのふたりはタバコによる癌で47歳と50歳で死んで居た。長いキセルをくゆらせて素敵に装う銀幕の美女ヘップバーンの55歳の顔は皺だらけでどす黒く変わり果てている。タバコがビタミンCを奪い皮膚のヒアルロン酸が失われた為である。最後にはタバコに健康被害で死んだ。そのほか喫煙シーンがかっこよいとされたマリリンモンローも大腸がんで死んでいる。ところで鹿児島では新鮮な魚の事をブエンと言う。交通機関の発達していない昔、海岸沿いの部落では新鮮な魚を口に出来たが、山間部では保存の関係で塩漬けでしか食べられなかった。その関係で刺身になる新鮮な魚のことをブエン(無塩)と言った。新鮮なことがブエンである。たばこは空気を汚す。新鮮さが損なわれる。ドイツでは部屋に満ちた煙を冷たい煙と呼ぶ。その部屋の冷たい煙から逃げられない非喫煙者に膨大な害を及ぼす。たばこの煙が漂う飲食店で刺身を食べても美味しくない。たばこはブエンの鮨や刺身には似合わない。無煙でなければならない。いま全世界で受動喫煙防止が大きく取り上げられている。これまで日本でも超党派の議員連盟が受動喫煙防止法を提案国会でも議論されたが政局の具にされつぶされた。人々の集まる公共の場所での喫煙が周りの人に多くの健康被害を与えている。公共の場所で働かなければならない非喫煙者の中には妊娠した人、喘息の人も沢山居る。言い出せないで居る。ドイツでは受動喫煙で年間3千人もの非喫煙者が死んでいる。喫煙者に至っては13万人と言う。日本でも喫煙者の夫のタバコで非喫煙者の妻が肺がんに掛る率が多くなった居る。父の日の今日、タバコのみの旦那さんは禁煙を決意すべきである。タバコのみのおじいさんには可愛いイ孫も近づかない。孫が出来た機会に禁煙を決意し私の禁煙クリニックを訪れる人も多くなった。もともと日本人は伝統的に人に迷惑を掛けてはならない事を旨として来た。しかしたばこに税収を求める行政は喫煙は善行であるとして、喫煙とスポーツ、娯楽など他の楽しいイメージとのセットで宣伝し、たばこの魔の手である依存性から抜け出せない状況を利用して国民の導徳心をなくさせた。神奈川県は民主党を中心にした議員の働きで、日本で初めての受動喫煙防止条例に漕ぎ着けた。因みに民主党々首の鳩山さんの選挙区は神奈川県である。日本の倫理、道徳に向けて。

 

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2009.04.18 02:52 |  仕事 / 職場  |  生活 / くらし  |  映画 / 音楽 / 読書  |  その他(一般)  |  でんさん  | 推薦数 : 0

若葉の頃

診察室から窓越しに大きなクロガネモチと柿の木の生えた庭の植え込みを見渡せる。この時期、指宿の街を明るく彩るイペーも植えられている。若葉の季節になると枝に空の青と対照的な黄色い花が放射状に拡がる。今年は不順な気候の所為かクロガネモチに実が成らず葉も落ちている。ヒヨドリが赤い実を啄ばみに集まるのに今年はそれが無い。イペーの花の蜜を吸いに来た。花ばかりのイペーの木は無防備だ。花に取り付いては隣の柿の若葉の陰で羽を休めていた。

http://www.youtube.com/watch?v=mkRNJt6-kBM


http://www.youtube.com/watch?v=pkcqLQbGGOo&feature=related

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グループホームの演芸会で脳血管性認知症の患者さんが片言の言葉しか話せないにも拘わらず昔の歌を一番から十番まで音程もくるうことも無く歌詞も正確に唄い終えた経験から大脳での会話言語の中枢と音楽と関係した言語中枢は別々に存在すると感じて来た。今日、NHKの番組「たび唄」のなかで小椋佳の息子さんが左脳の言語中枢を若年性脳梗塞で障害され言葉が話せなかったのに父親が唄う歌に反応して一緒に唄うようになり言葉が出る奇跡が起こったとのエピソードが紹介された。まさに私が経験し、私の考えていた事が正しい事が証明された思いである。

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(3年前のブログから)画像

歌は言葉と違うメカニズムで記憶される?

入院患者さんに寝たっきりの方がいる。一点を見つめたまま話しかけても視線も動かさない。言葉も出さない。私が病室を訪れて目を合わせてむかしの流行歌を歌うと視線を私に向けて口元が緩み、何かを訴えるしぐさを見せる。グループホームや通所サービスでは歌ったり、歌ををベースにして進めるゲームが日課として取り入れられ効果をあげている。季節、時間、場所、人の認識や言葉の記憶を忘れている認知症の酷い方でも歌を使ってコミュニケーションが出来るような気がしている。単純な言葉と違いリズム、メロディーのある音楽は記憶のメカニズムが違うと思われる。音楽は2重3重の複雑なプロセスを踏む為とも思われる。錠前と鍵に例えれば意味言語は個別の合鍵であり、歌はマスターキーみたいなものかもしれない。

 

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グローバルなバブル経済の破綻は実態経済まで波及し、日本も不景気のどん底にある。市場メカニズムとしての生産調整のドミノ倒しは雇用調整に及び、その受け皿としての非定期雇用者の解雇が進行している。今、大幅解雇は当たり前としてまかり通ってその家族を含め生活が崩壊の極みにある。従業員のリストラはその人にとって最大の危機で不幸である。企業はそれを承知でこれでもかこれでもかと畳み掛けてくる。弱肉強食を地で行くアメリカ市場主義に右え倣いの酷い仕打ちに平然としている。長期雇用が当たり前であった日本的経営の互助・同族的な繋がりのかけらも無い。従業員の社会生活を無視し全く倫理的な社会的責任を果していない。市場メカニズムの行き過ぎは、人間社会の活力である生産消費システムを能率化、巨大化させて人間性の無い制御できない歯車にしてしまった。73年前にチャップリンが映画モダンタイムスのなかで描いたシーンがまさに今の世界にも当てはまる。今を予想していたのかもしれない。歴史は繰り返される。

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2009.03.07 00:22 |  趣味  |  映画 / 音楽 / 読書  |  その他(一般)  |  でんさん  | 推薦数 : 0

999

2006年5月に始めたブログの記事数が今日で999を数えます。これまでの総アクセス数:845038アクセスです。京の五条の橋の上で弁慶の刀狩りが1000本に後1本の所で牛若丸に敗れて、牛若丸の家来になる話とは違いますが記念に私の大好きな歌手 妃晶子とHirok&バンド仲間達のライブをYou-Tubeで紹介させてください。よかったら覗いて下さい。

今日、アコーステック・ライブが有ります。3/7(土)アコースティックライブ@高田馬場

http://mixi.jp/view_bbs.pl?page=1&comm_id=3888378&id=39501582

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2009.01.04 06:14 |  趣味  |  映画 / 音楽 / 読書  |  その他(一般)  |  でんさん  | 推薦数 : 0

デジタル・ジレンマ

データーや映像を記録するツールとしてデジタル機器の弱点の1つ目はCD,DVDなどの媒体の寿命問題。2つ目がダークアーカイブスと呼ばれる見読性の無い事で見たり読んだりしたい時ハードとソフトが揃わなければ直接アクセスできない事である。またハードの基本ソフトOSは数年に1度かの改訂があり、以前の記憶ソフトが機器と合わない可能性もある。コピーで対応は出来るが費用が掛かりすぎる。またハードディスクの故障も数%報告されている。そして今やスーパーコンピューター時代に作成したデーターベースは死蔵データーとなっている。このようにデジタル記憶媒体の不安定さで失われてしまうデータ資料、映像など知的財産、情報を保存する為にアメリカの非営利組織ポルチコやスタンフォード大の研究組織クロックスはガラス半導体に情報を封じ込める研究を行なうなど各関係組織と連携を取り合っている。  私もそれを心配しデジタルカメラで撮影した写真やブログに書いた文章などなるべく紙に保存しなおすようにしている。

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認知症は大変だとされている。何が大変なのだろうか。認知症の本人は物忘れのため今が朝か夜なのか分らない、また今どこにいてそばに居るのは誰なのか定かでない。テレビやクーラーのリモコン、炊飯器、掃除機の使い方や冷蔵庫の開け方までが分らなくなって仕舞っている。こうなると生活は愚か生きてさえいけなくなる。もしこれが動物なら食べ物を得る能力がなくなり死ぬしか無い。本能的に人間は集まる社会性を持っているので、仲間を見捨てずに手助けをする。ところが困った事には認知症は記憶が障害されているが感情は残る。これが厄介である。本人は物忘れでつじつまを合わせようとしている。一方、そばに居る者には相手が言う事、する事が何かおかしいと気付いていても、なぜそうなのかの理由が分らない。なんとかまともな状況にしようと必死になるがすれ違いが生じる。てっきりわざとしているのではないかと疑ったりする。そして人間関係がおかしくなって悪循環が生じるのである。認知症は物忘れと感情の残存から生じる対人関係のまずさが根本にある。そこから問題行動の周辺症状が出てくるのである。

以前、漫画「サザエさん」を書いた長谷川さんの作品に「意地悪婆さん」がある。アメリカでも翻訳されドラマ化された。今は亡き青島幸男がテレビで好演したが主人公のお婆さんの行動は決して意地悪ではなく、物忘れで理解および判断力が鈍り状況判断の誤りから、お婆さん自身は正しい事をしていると思っているが、周りは、てっきりお婆さんはおかしい認知症の症状とも思わずただ意地悪をしていると勘違しているのである。意地悪婆さんは認知症の方の対人関係性の障害を如実に描写していると思う。

 

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一本のダン傘。

昔、鹿児島ではオランダから伝わった品物の頭にダンと言う接頭辞を付けて呼んだ。日本の蛇の目傘は油に浸した和紙で出来ている。西洋の傘は布製で強い。オランダから伝えられたこうもり傘を最近までダン傘と呼んだ。傘の他にも穀物を入れる麦わらで編んだ袋をカマスと呼ぶ。外国製ジュートで出来た袋はダンカマスである。戦前、父は母と長男を連れて満州に渡り満州鉄道に技術者で勤めた後は独立、機械工作の事業所を営んでいた。母に言わせれば少しハイカラで当時としては偉丈夫の父は人が二~三人は入れるダン傘を愛用していたと言う。そんな父も兵として老兵の四十歳にも拘らず太平洋戦争末期の昭和二〇年六月に関東軍に現地徴兵された。まずい事に、その二ヶ月後の八月十三日にソ連が和平条約を破棄して参戦して戦車隊が大挙して満州国境を超えて進攻して来た。その戦闘に巻き込まれ未だに最後の様子さえ分らないままである。敗戦国の日本の運命と共に異国満州の日本人達は敗走を余儀なくされたが母のお腹には十月出産予定の私が居た。日本まで無事な筈が無い。そこで母は父を慕い親しくしてくれていた中国人の好意に甘えた。私を出産後の翌年の六月日本に帰る事に成功した。奉天を去るときの母の一つの勇気と判断が家族四人の命を救った。輸送車とて無い状況で母は胸に私を抱いて幼い兄と姉の手を引かなければならなかった。逃避行に必要な荷物の数は一人に一個に限られていた。赤子の私の分はオムツである。後の三個の中で母が選んだ物はなんと命を繋ぐには役立ちそうも無い父が愛用していた大きな一本のダン傘であった。ところが朝鮮に向かう汽車には屋根は無かったし、満員の引き揚げ船上しかり本土の汽車とて同じであった。そして途中の駅舎や野宿する建物も空襲によって破壊されただ壁だけが残っていた。日差しはおろか雨風や夜露さえも凌げなかった。引き揚げ船の中では食べ物も無くなり母の乳も出なくなった。乳飲み子の私は母が小分けにして身に付けて来た米を小さく砕いたお粥で命をつないだと聞いた。そんな状況の中、父の形見の傘が威力を発揮した。母子四人が入る大きな傘の下で体を寄せ合い何とか無事に父の故郷に辿り着けたのである。父の魂が導いてくれたとしか考えられない。道中では多くの幼子達が命を落とし水葬されたそうである。大変な動乱の中で私達子供達が中国残留孤児にもならなかった奇跡を思う時、母の聡明さには感心する。そして運命の不思議さに畏敬さえ感じる。父の帰りたかった故郷で私は父の年齢を四半世紀も超えた。苦労した母は今年百歳を迎えた。

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