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末期であっても保清と口腔ケアは大切であり、特に入浴は要介護者にとっては快適なものである。全身の循環が良くなり新陳代謝が賦活され、肌をはじめ心身が生き生きとなれる。人はきれいでありたいと願う。終末期になってもできる限りの入浴は続けたい。死期が近いと予想される場合の入浴は看護師や介護者にとっては不安は大きい。入浴、特に温泉文化をもつ日本では,入浴が生活の一部でもある。終末期だからと言って入浴をしてはいけない理由は見当たらない。
○入浴前の注意事項
血圧や脈数、体温等、体調に異常が無いかチェックを行う。入浴前に出来るだけ排泄を済ませておく。食事直後や空腹時の入浴は避ける。
○浴室と脱衣所
温度差があると血管が急激に収縮し、脳卒中の原因になるので、特に冬場、脱衣所にも暖房をつけ浴室と脱衣所の温度差をなくす。浴室入口や浴槽周辺に手すりを設置すると安全性が高まる。浴室や浴槽内は滑りやすいので滑り止めマットなどを敷く。
○入浴中
入浴前によく湯加減をチェックする。入浴は15分程度で済ます。麻痺のある場合、麻痺のある側から介助をし、浴槽へは麻痺のない側から出入りさせる。
○入浴後
入浴後は、素早く体を拭き、着替えし、湯ざめをしないようにする。脱水症状にならないように、かならず水分補給をする。
○入浴が困難な場合
入浴が困難な場合、お湯を入れた洗面器を用意して手を洗ったり、足を洗ったりする。シャワーは、入浴よりも体力の消耗が少ないのでシャワーで洗うのもよい。入浴は本人にとって気持ちが良いが、体調変調が起こり易い。在宅介護で入浴介助をする場合には、介護者と協力して、きめ細かく注意を払いながら行う。
入浴介助の際の事故防止。
(入浴介助の情報共有 観察)
1.看護師等によるバイタルチエック
入浴前のバイタルチェック
その日の朝だけでなく、入浴直前に看護師によるチェックが求められる。
2.現場のスタッフの再度のチェック
本人の顔色、息づかい、睡眠・食欲の状況、皮膚の状態。
3.入浴前の浴室・浴槽に対する環境チェック
床の滑りやすさ、室温、湯加減、シャワーの状態、手摺り。
3つのポイント
a.浴室の床や浴槽内などが滑りやすくなっていないか。
b.湯温や脱衣所の気温など、利用者の身体にダメージを与えがちな「温度」になってないか。
c.利用者の状態にあった福祉用具などが整っているか.
おおむねこれらのチェックポイントをマニュアル化して、入浴直前に抜け落ちのないように点検する習慣を整える。
4.入浴中、入浴後の状態観察。
チェックポイントとして顔色や皮膚の状態、入浴中の息遣いなどがあげられる。異常が認められれば入浴を中止する。どのような異変が認められたら入浴を中止すべきか、事後的にでも看護師等へ報告するべきかということを、あらかじめ決めておく。
5.看護師などにフィードバック
介護職としても、入浴直前の「本人の顔色」「皮膚の状態」「睡眠や食欲の状況」などを随時チェックし、担当看護師に伝えるという業務習慣が望まれる。
入浴介助時の介護ミスは死亡など重大な結果を招きやすい。高齢者は、要介護状態でなくても湯船で溺れたり、体調異変が生じ易い。「見た目」だけでは予期できない状況把握が必要であり、緊張感が求められる。
6. 入浴中における利用者へのメンタルケア
一つひとつの介助動作に際しての適切な声かけは本人に安心感を持たせることで、不自然な力が入らないようにするという目的もあります。予告なくシャワーをかけたりすれば、反射的に動いてしまうなどのリスクが高まることを常に頭に入れておく必要がある。
NHKドラマ「家で死ぬということ」の放送があった。今の日本で「死」を口にすることはタブートピックである。日常に死を語る事を取り戻さなければならない。生があって死で完結する事は生物としての当たり前のことである。
見取りの現状
多くの人は自宅での穏やかな死を望んでいるにも関わらず現状は全く逆のことが行われている。
介護施設看取りの時期や状態の判断が曖昧のまま、やるべき医療を中止して、倫理的熟慮なしに漫然と行われる可能性がある。医療と介護が連携し最後までをどう支えるかが、尊厳なある死が望まれる。延命治療を望まない事と、緩和医療等見取りに必要な医療を受けないこととは意味が違う。
病院
病院では死を敗北と考え、1秒でも心臓が動くことに力を尽くす。また受ける側も医療を過信しているので、施す側も見すて市としての訴訟を恐れ無益な延命治療を続ける。精神的ケアは無視され安らか死とは程遠い非人間的な主ちが行われる。医療を受ける国民側と病院勤務医の意識改革が必要である。
文部科学省は2013年度からの小中高校で行われている健康診断の検査項目にスポーツ障害検査の導入を決めた。平成20年2月2日第16回鹿児島スポーツ医学会ではこの事に対する特別講演会を行い、その要旨を私が鹿児島県医師会報に投稿している。
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節分も過ぎ寒さがやっと緩み、梅もほころび出したところに、思わぬ寒波が逆戻りし、雪までちらついた昨日、東シナ海に面した港町、いちき串木野のアクアホールであった南さつまグループホーム連絡協議会研修会に出席し、ターミナルケアについての講演を無事終えた。準備にためこのブログを休止し打ち込んできた。今、ホッとしてこの文を書いている。漠然とはわかっていても講演し聴き手に分かってもらうことは書く事よりも難しい。それに関した書物を幾冊か読破し、しかしバラバラになった知識を拾い集め補強し、自分のものにしてからでないと人前での口演は覚束無い。日本の今の一般社会で堂々と死について語ることはタブートピックスである。テーマがテーマだけに、お手本も数えるほどで自分なりに構成しなければならず少しならず苦しんだ。平成24年度医療、介護同時改定答申と重なり在宅医療及びそれに関係した訪問診療、老人施設介護での見取りの関連した加算が引き上げられ、私のグループホームでの看取りに関するテーマは時機を得た有意義なものだったと自負している。
多くの人は自宅での穏やかな死を望んでいる。
介護施設
看取りと称して治療を安易に中止し倫理的な熟慮なしに漫然と行われている可能性もある。延命治療を望まない事と必要な医療を望まない事とは違う。
医療介護が連携し最後までをどう支えて行くか、尊厳有る死が望まれる。
病院
死は敗北、需要も忌避。訴訟を恐れ無益な延命治療が行われる。精神面のケアが重視されない。安らかな死とは程遠い非人間的処置。
日本の医療の有り方に問題があり、病院勤務医の意識改革が必要である。
有名な看取り場所を表すのに使われるXカーブには社会経済、疾病構造、人口構成、家族構造、医療の進歩、社会保障制度など時代と共に移り変わる多くの影響が映し出されている。現在、多くの人が病院で死ぬのは当たり前と考えるほどに、医療機関で亡くなる人が80%を超え、自宅で亡くなる人が12%である。自宅での死亡は家庭に介護者がいる場合であって独居世帯、老夫婦世帯の場合は老人ホームなど自宅でない居宅サービス施設に入っている場合は含まれない。今でこそ老人ホームでの死亡は6割と増えきているが、介護保険が始まつて3年たった時点の平成15年ですら老人ホームでの死亡は35%であった。老人ホームは生活の場であって医療の関わる看取りの場ではなかった。そして利用者が重度化したり急変した場合は病院に入院して来た。調査が始まった昭和26年では在宅死が82.5%で病院や有床診療所でなくなる人は11.7%であった。日常生活の中に死があったのである。医療技術の発達もあり、何かあったら医療機関に入院する風潮と国民皆保険制度や老人福祉法での老人医療費無料化など社会保障政策が充実して来た1997年頃にはその割合が5割を超え1980年には医療機関死が57%、在宅死は38%と割合は逆転した。在宅死の多かった時代は戦後の混乱期でもあり疾病構造も現在とは違い、死亡する年齢も老小に関係なかった。現在の死亡者の殆どは高齢者である。何かあれば病院に入院し、回復しても自宅に帰れない高齢者が多くなって行った。社会的入院の増加である。解消しようと介護保険や医療提供体制改革による在院日数短縮、病床削減等の影響もあり受皿としての老人ホームなど自宅ではない住まいが必要になると共に、経年による重度化、看取りが問題となり平成18年、施設での重度化・看取り加算が創設された。今年の4月からは介護スタッフの痰吸引など医療行為の容認もあり介護施設での看取りも加速される。Xカーブにも変化が見えてくる。
①本人の状態のきめ細かな観察
②家族の看取りの意向の確認
③家族の看取り環境の整備
④職員の看取りケア体制
(看護・介護の連携)の再確認
⑤看護職と医療機関との連携の強化
看取りケアの視点
1.長い介護関係の暮らしの延長線上に死がある。 医療現場とは異なる長期の介護関係の存在。 2.暮らし全体を支え、暮らしそのものに力を注ぐ。 看護職の健康管理、家族のサポートを得ながら介護中心の暮らしの場作り。 3.医療連携が本人、家族、スタッフの支え。 苦痛を取り除く適切な医療との連携で、医療中心の看取りではなく、その人に相応しい終焉を創造する。 4.家族や身近な人への支援 悔いの無い、納得出来る家族関係をサポートする。 5.日頃の介護関係から生まれた信頼関係にケアの本質がある。 心の救いが芽生え、共に寄り添いながら安らかな死への橋渡し。